第一話:赤字と、お茶の匂い
この春、私は少しだけ変わったバイトを始めました。
お洒落でも、流行っているわけでもない、
スーパーのレジ裏にある小さなお茶屋さん。
そして、どうやら赤字らしいです。
経営学科にいるのに、経営にはあまり興味のなかった私が、
ほんの少しだけ“仕事”について考えはじめた、
そんなお話です。
※本作は「春チャレンジ2026」参加作品です。
大学二年の秋、私はちょっと変わったバイト先を選んだ。
お洒落なカフェでも、にぎやかな居酒屋でもない。
地元スーパー『フレッシュ・マート』のレジ裏にある、小さなお茶屋さん。
店の名前は「茶の湯・緑風園」。
決め手は、たいした理由じゃない。
ここなら、お茶の匂いがすると思った。それだけだ。
半年前から、祖母の家の台所に湯気は立たなくなった。
濃いめの狭山茶と、固い煎餅。
あの時間が、なんとなく好きだった。
だからというわけでもないけれど、
気づいたら、ここでエプロンをつけていた。
そして初日、知った。
「……ここ、赤字なんだよね」
午後三時。
お客さんはゼロ。
レジ横の時計の秒針だけがやけに響く。
棚には静岡茶、宇治茶、狭山茶。
きれいに並んでいるけれど、減っている様子はほとんどない。
賞味期限のシールだけが、やけに現実的だった。
ヨレたスーツ姿の店長、佐藤さんが言う。
「今月も厳しいなあ。本社からは“来季判断”って言われてる」
来季判断、という言葉が、少し怖かった。
私は経済学部の経営学科にいる。
でも正直、ちゃんと勉強しているとは言いがたい。
単位は取れている。
けれど、「何を学んだの?」と聞かれたら、たぶん答えられない。
カタカナの理論。
海外企業の成功事例。
巨大な市場分析。
(こんな一坪の店に関係あるのかな)
そう思っていた。
「はるかちゃん、経営学科なんでしょ? 何かない?」
店長が冗談半分で言う。
「いや、私、授業けっこう寝てますよ?」
笑いながら答えたけれど、
赤字、という言葉だけは、なぜか頭から離れなかった。
鞄の中には、今日一度も開かなかった『経営学入門』。
なんとなく取り出してみる。
ノートの端に、走り書き。
「4P」「ターゲット」「差別化」
意味は、あまり覚えていない。
それでも。
棚の奥に置かれた狭山茶の袋を見て、思った。
その袋だけは、なくなってほしくない。
「……なくなるの、ちょっと嫌ですね」
ぽつりとこぼれた言葉に、店長が少しだけ驚いた顔をした。
店はまだ静かだ。
売上も、きっと変わっていない。
でも私は、その日初めて、自分の意志で教科書を開いた。
眠くなる文字の中に、
赤字という現実が、うっすらと重なって見えた。
たぶん、ここから何かが始まる。
まだ大したことじゃない。
ただ、赤字のお茶屋さんでバイトをしている、というだけの話だ。
けれど私は、その一坪を、少しだけ気にしはじめていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
はるかはまだ、経営というものに本気で向き合っているわけではありません。
けれど「赤字」という現実は、彼女の中で小さな違和感として残りました。
この物語は、特別な才能の話ではありません。
ひとりの普通の大学生が、仕事と出会い、少しずつ考え始める過程を書いていきます。
次回、はるかは小さな行動を起こします。
その一歩が、どこへ向かうのか。
よろしければ、続きもお付き合いください。




