第二十二話
夜の街は冷える。月夜はある程度は照らしてくれるが、道の奥は暗闇に包まれている気がした。
杖を握りしめる。街の中を歩いているのに、こんなにも心細いのは初めてだ。
石畳を打つ足音は、どこか頼りなく感じた。街の喧騒は遠く、サリアは世界から切離された感覚を受ける。
血の抜かれたミイラ死体。その姿になる自分を想像すると、一歩が重くなってしまう。それでも、代わりの人間がいないのだから、サリアがやらなくてはならない。
正直な話、他の人に依頼が代われるなら代わっていた。
猫の鳴き声で、肩を跳ね上がらせた。心臓が跳ね上がり、口から飛び出すかと思った。
びっくりさせないでほしいと、大きく息をつく。
黒い猫が目の前に降り立つ。黄色い瞳は、月明かりを受けて輝いていた。
「お、脅かさないでよ」
安堵をついて、黒猫をシッシッと追い払う。しかし、猫は顔を見つめたまま動かなかった。
──ドチャ。
肉が潰れるような音が聞こえた。街の中で暮らしていたら、まず耳にしないような音だ。
目の前にいたはずの猫は、人影に覆われていた。石畳には血がしみ出ている。
これはヤバい。心臓の音が警鐘を鳴らしている。ゴクリと喉も鳴る。
それでも、“話しかけないという選択”はサリアにはなかった。
「あ、あの……?」
声をかけると、蠢いていた陰の動きが止まる。
「何をされているんです……か?」
ゆっくり振り向いた男の顔は、血管が浮き出ていた。目は赤く不気味に光っている。
口の端から血と涎を垂らし、牙が月明かりに反射して鋭く光る。
彼の瞳の焦点は合わない。一目で頭がおかしくなってると分かる。
まるでホラー映画に入り込んだかのような緊張感に、サリアは思わず一歩下がった。
この男はただの人間ではない。しかし、魔物でもない。そのいびつな存在に、背筋が凍る。
サリアは杖を持ち直して、男の方へと向けた。
「血を……」
一歩、ジリジリと近寄ってくる。うめき声とも取れる言葉を、発しながら。
「血をよこせえええぇ!」
「『ウォール』!」
魔法の壁が、男の行手を遮る。よだれを塗りたくるように、透明の壁に舌を這わせる。
あまりの気持ち悪さに、全身が泡立った。
「サリアに何してんの!?」
割り込んできたのは、リオだった。男の背中に剣を突き立てる。
深く斬られたしかし、男は倒れない。ゆっくりとリオの方を見て、追いかけ始める。
「ちょ、ちょちょちょ待って! いや、待って!」
リオが逃げ始める。男はそっちに興味が引かれたのか、彼女を追いかけ始めた。
その彼の首元に、マイがナイフを突き立てた。彼の肩を足蹴にして、くるりと一回転する。
サリアの横に着地して、小さく息を漏らす。
「……固い」
マイは急所を狙ったはずなのだろう。それでも彼は元気にリオを追いかけている。
「いーやー! 助けてー! ミイラになるのはいや!」
夜の街に響き渡るのは、彼女の叫び声だった。
「サリア! 炎魔法だ!」
ロイスの声で、サリアの思考が戻る。
言われたとおりに詠唱して、炎魔法を展開した。直後、ロイスが横を駆け抜ける。
彼はサリアの炎を剣で掬い取って、そのまま男を斬りつけた。
血と絶叫が飛ぶ。身体全体に火が燃え移り、やがて地面に倒れ伏した。
焦げた男はそのまま動かなくなった。しばらくすると体の端から崩れていって、中空に消える。
残されたのは、猫の死骸一つだけだった。
沈黙が場を支配する。みんなの呼吸の音だけが聞こえる。
「なんだったの? あいつ?」
最初に口を開いたのはリオだった。しかし、彼女の質問には誰も答えられない。ただ、得体の知れない存在としか分からない。
「魔物?」
マイの問いに、サリアは首を振る。
「魔物は絶対にない」
彼から意志は感じられなかった。少なくとも魔物には行動するにあたっての意志がある。
例えばキラーラビットは、田畑を荒らすのは生きていくためだ。多くの魔物は例外なく生物としての体裁を保っている。
しかし、あの男にはただ目の前のものから血を奪い取るという本能しかなかった。
まるで意図的に造られた機械のように。
「とにかく、ここで話していても無駄だね。一度戻って休んでから、明日ギルドに報告しよう」
「そうだね。整理する時間は必要だから……」
ロイスの言葉にサリアが重ねると、マイもリオも賛同する。
一気に疲れたと、力を抜いた。杖を取り落としそうになって、抱え直す。やはり自分が前に出るものではないなと、自嘲する。
あまりの恐怖から、脚が震えている。そのことにサリアはようやく自覚した。
安心したのも束の間だった──
「血をよこせぇええええ!」
別の男の声とともに、一つの影が降りてくる。
聞き覚えのある声に、サリアは一瞬思考が停止した。そしてそれを証明するかのように、リオが一言漏らす。
「“お父さん”……?」
その言葉が、空気を一気に冷やした。




