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アンダー・アース 終末姉弟生存記  作者: 遁遁拍子
第2章 黒界・日本
19/20

2 地上

 

「はぁ~……すっっごい……」


 ジローは、明朝もう何度目かのため息をついていた。

 

「早く来てってば」


 先を歩く姉アキラにそう呼びかけられても、彼の表情はぼんやり上の空で、正気に戻ってくる気配はない。


 それもそのはず。ここはまるで幻想の世界だ。


 緑に囲まれた森。頭上から葉が揺れる音が絶えず聞こえ、足元には歩きにくい土の感触がある。


 それまで12年間、彼が生きてきた無機質な地下とは対極にあるような、大自然の王国。

 それが地上。ふたりいま立っている場所だった。


「はぁ……」


 頭は既にパンク寸前だ。

 情報量が違いすぎる。

 知らない色、知らない匂い、知らない音。

 五感が悲鳴を上げている。

 いままで自分がいた世界は、本当にちっぽけだったのだと思い知らされる。


「はぁ~~~すごいぃ!!」


 ジローはもはやその場で五体投地して、顔を地面に押し付け、胸いっぱいに土の匂いを吸い込んだ。


「……最高だ……っ!」

「はやくこい!」


 ふたりは朝陽を見た後、落とした荷物を回収するためシェルターの出口まで引き返した。

 ハイキングコース跡らしき道から山林に入り、木々の中に紛れた鉄扉の前まで来る。

 出口はちっぽけでとても目立たなかった。

 遠目からでは景色と同化してほぼ見つけられない。


 その中には、水染みと(コケ)にまみれた階段があり、地下通路を奥に百メートルほど歩くと、エレベーターシャフトに繋がっていた。


「へえ、こんな風になってたのか」


 隔壁は、異獣が侵入した時に食い破られたらしく、鉛扉からエレベーターまでは吹き抜けになっている。

 シャフトの下は暗くてよく見えなかったが、静まり返っていた。


「…………下にはもう異獣はいないわ」


 アキラは暗い縦穴の底を見つめながら言った。「私が全員、殺した」努めて感情を込めないように。


「……そっか」


 ジローも淡白にうなずき、シャフトの淵にひっかかっていたリュックを拾い上げた。


「ひとまず山を降りるわよ」


 猟銃を構えて外を見渡し、アキラが先に鉄扉から出る。その後を歩きながら、ジローは木々の間から見える山の麓を眺めた。


「注意して。何が出てくるかわからないわよ」

「あ、見て! あそこ行きたい!」

 

 と、森を両断するように横たわる大きな川を指す。


「……話聞いてる?」


 アキラはそれをちらと見た直後、何かを直感し立ち止まる。

 その場でしゃがみこみ、地面に続く足跡に目を走らせた。


「いる」

「えっ?」


 弟の首根っこをつかみ、素早く木陰へ。

 しばらく待っていると見たことの無い生物が山道の中を登ってくる。

 四足歩行。ずんぐりむっくりした体に、尖った鼻。


「あれは……」


 本で知っている動物で一番近いものにあてはめると、(イノシシ)、だろうか。


「初めて見た……なんで来るってわかったの?」

「なんで? ……足音が聞こえたからよ」


 弟の疑問に当然のように答えて歩き出すアキラ。ジローは耳をすませたが、虫や鳥のさえずりが聞こえるだけだった。


 山を降りると、少し開けた平地の森に出る。

 そこには、かつては人里だったらしい痕跡がまだ残っていた。

 まばらに住宅らしき建物が並び、またひび割れた道路もあったが、ほとんどは植物に包まれ、森の一部と化していた。

 絶えず鳥のさえずりや、生き物の鳴き声が、四方八方から聞こえた。


「うわ~……」


 ジローはスキップでも始めそうな足取りで歩き出す。

 警戒心が無さすぎる。アキラは背負った猟銃に手をかけながら後を追った。


 緑の街を抜けると川があった。

 すさまじく幅が広く、大量の水が流れている水路、というのが初見の印象だ。

 透き通る水面が朝陽を反射させてキラキラと輝いている。


「ぷは! 冷てぇええ!」


 アキラが隣を見ると、ジローはもう川に飛び込んでいた。


「ジロー! そんないきなり……!」

「大丈夫だよ!」


 バシャバシャと水を跳ねさせながら防護服を脱ぎ捨てる。


「アキラも入りなよ!」

「いや私は……」

「きもちいいよ!」


 彼女はしばらく河川敷で見ていたが、結局は我慢できなくなって、おそるおそる足を踏み入れることにした。

 ジローの言う通り水は予想以上に冷たかった。


「えあぁっ……」

「なんだよビビってんの?」

「うるさいっ……ぷはっ! オイ!」


 なんとか水に浸かったアキラは、ジローが跳ねさせた大量の水しぶきを被り、悲鳴を上げた。


「やりやがったな……!」


 ジローはお構い無しに水を浴びせてくる。アキラも負けじと浴びせ返した。

 水かけの応酬は、ジローが「待った!」と叫ぶまで続いた。


「ちょっ、ここ見て、なんかいる!」

「その手には乗らないわよ!」

「いや違うってホントに、なんか、なんだこれ、異獣……か?」


 ジローの足元に、黒緑に光る小さな生物が泳いでいた。


「これ……魚だ!」


 本で見たままの姿形の生物……とは少し違うが、間違いない。彼は感激して叫んだ。


「さかな……?」

「あっ、そっち行った! 捕まえて!」


 ジローが手を伸ばそうとすると、すばやく泳いで逃げる。


「えっ! ちょっとっ、待っ……」


 アキラは咄嗟に捕まえて、水面から引っ張り出した。

 ぬめった感触が手の中で激しく暴れる。


「うわこれマジで気持ち悪い! 無理かも!」

「じゃあ陸にブン投げて! 水の外じゃ動けないから……あ、こっちにもいる!」


 ジローは川のあちこちに魚を見つけていた。

 うろちょろとしているが襲ってくる様子はない。変異しても大して凶暴ではないようだ。

 ふたりは必死に群れを追いかけ回した。

 結局、2匹捕まえることに成功した。


「さー食べよう」


 魚を持ち川から上がったふたりは、近場にあったちょうど身を隠せそうな横穴に入った。


「なにここ?」

「誰かの隠れ家だったんじゃない?」


 そこは元々下水路だが、二人の知るところではない。


「じゃあ火を起こすけど、もうマッチは無いから今回からコレ使うね」

「なにこれ」


 ジローが取り出したのは、小さな筒型のサバイバル用具。「ファイアピストンって言うんだ」引き抜いたピストン部分の先端に、河川敷から採ってきた植物の綿をセットした。


「湿気の多い地下じゃ使えなかったんだけど……」


 ガチっ! と勢いよくピストンをシリンダーに押し込むと、中で空気が圧縮され、高熱で綿に火がつく。


「おお~……こりゃ便利で良いや!」


 種火に薪をくべて徐々に大きくして、下水路に焚き火を起こした。

 魚の調理法はよくわからないので、とりあえず枝に刺して、丸焼きにする。


「いただきます!」


 焼き上がるやいなや、ジローは躊躇無くかぶりついた。

 魚の身は、グロテスクな外観からは想像できないほど白く美しかった。


「熱いッ……けど美味しい……!」


 その歓喜ぶりを見て、アキラも我慢できなくなって一口かじる。


「はむ……むぐ……んっ? なんか苦いとこあるわ……」

「ハラワタだよそれ。いらないならちょうだい」

「……何言ってんの、食べるわよ」


 初めての味に戸惑いながらも、手放す選択肢はなかった。

 腸の苦味、皮の香ばしさ、身のホクホクした食感。

 かぶりつくたび、胸をすくような高揚感が込み上げてくる。

 脳の片隅がくすぐられるような。久しく忘れていた、食べ物を美味しいと思う感情。

 やっと思い出せたことが、ふたりとも純粋に嬉しかった。


「ふ~、食った食った」


 その後、ふたりは現状残っている物資を確認した。

 武器はナイフと、散弾銃剣。弾丸は残り30発弱。

 それとパイプ爆弾が最後の一本、もしもの時のために、タオルに包んでジローが持っていたものだ。

 食糧はまた一から調達する必要がある。


「さてと」


 木の枝を組みあわせて竿を作り、焚き火に立てかけて、川で濡れた防護服を干す。

 乾くのを待つ間、アキラは切れ味が落ちてきた銃剣の刃を予備のものと交換した。

 ジローは、足の補助具にこびり付いた血を拭き取り、各部のメンテナンスをしながら、

 

「で、そろそろ教えてよ」

「ん?」

「なんで僕たちまだ生きてるの?」


 とあらためて姉にたずねた。

 なぜかワクワクした表情をしている。


「アキラ、なにか知ってるんでしょ。僕たちが防護服なしでも変異してない理由」


 アキラは傍らの防護グローブについたサーベイメーターに目を向けた。

 そこにはいまふたりがいる下水道内の放射線量が表示されている。

 毎時3000ミリヴェール。

 これは人間なら即座に肉体が変異、もしくは死亡していなければおかしい環境である。

 そう、ふたりがいま防護服もマスクも着けずに普通に会話していることは、本来ありえないことなのだ。

 この汚染された地上においては。


「…………私だって、よく分からないって言ったでしょ」


 そして、ふたりはつい先程、地下で異獣に追い詰められ、その身を食い尽くされたはずだった。

 にもかかわらず、いま手足はまるで何事も無かったかのように再生し、傷などどこにもありはしない。

 これらの原理はいったいなんなのか。


「……私たちは、他の人と違うって、母さんはいってた」


 アキラは、生前の母が言っていた言葉を思い返しながら言った。


「私たちふたりだけは、特別だって。父さ……あいつの血を引いてるから」


 その呼び名を口にしたとき、ジローはわかりやすく目を丸くした。


「初耳だよ、僕」

「他の誰にも言うなって言われた。ずっと昔のことだし、いままで忘れてたけど……」


 極限の状況下、記憶がよみがえると共に、アキラの身体に変化が起きた。


「これはたぶん、あいつの体質よ」


 それがアキラの結論だった。


「……そうか……」


 ジローはあごに手をやり、うつむいて黙り込む。


「じゃあ……やっぱり、父さんも生きてるってことだよね!」


 と、嬉しそうに言った。


「……え?」

「僕たちが生きてるんだから。同じ体質の父さんも、ウン、ぜったい生きてる!!」


 まずそこなのか。

 こんな突拍子もない話、普通もう少し戸惑うとか、なんかあるだろうに。


「間違いない。この世界にまだ人はいるんだ……!」

 

 ジローは心底嬉しさを噛みしめているようだった。

 その様子にアキラははっとした。

 そういえば、弟が外に出たがっていた目的は、本来そこにあったのだった。

 

 父親に会うために。


 物心着く前だったジローと違い、アキラには、父との記憶がある。居なくなった時のことも、微かながら覚えている。

 幼い自分と弟、母を捨てて、地上に出ていった人物。

 正直、アキラはそんな人間のことをもう父親とは思っていなかった。

 ただ……


「父さんは、この地上のどこかにいる……」


 こんなに久しぶりに、一切の陰りなく純粋に喜んでいる弟をいま見て、もう何もいえなかった。


 ジローはずっと信じてきたのだ。可能性などすべて潰えたような地の底でも、何年も諦めずに。

 自分にはできなかったことだ。アキラはいまでは、そのことに純粋に敬意を持っていた。


「……そうね」


 ジローが会いたいというのなら、会いに行く。

 そしてもし本当に会えたら、とりあえず、顔面ブン殴ってやる。


 アキラはたき火を見つめながら思った。


 その時まで自分がジローを守る。

 それが自分の役割だ。と、再確認した。



「この地上のどこかに……もしくは……」

 

 一方、そんな姉の内心を他所に、

 ジローは下水路の天井に空いた穴から、空を見上げていた。


 そこには白くまばらな雲とともに、巨大な“惑星”の姿があった。


 うっすらと見える陸地の輪郭。海におおわれた、空に溶け込むような青い星。


 “第二の地球”は、依然としてその異質な存在を保ち、下界に加入した新たなふたりを悠然と見下ろしていた。

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