高齢者介護施設でのボランティアのお話。
《対・AI放談》~日々の暮らしの中から~
放談:6話 ~高齢者、蓑を着る!~
放談者 AI: Sir ChatGPT
私:大畑 直晴 昭和20年生宮城県在住 80歳
私:こんにちは
Sir ChatGPT: やぁ~、こんにちは。放談の時間が来たね。今日はどんな話かね。
私:前の5話で ~実践される瓢水の蓑~として『膵臓がんの患者会』のお話から、瓢水の “浜までは海女も蓑着る時雨かな”の実践のお話をしましたね。今日はこの続編で行こうかと思います。
ところでSir お変わりあいませんか。
Sir ChatGPT: わしは変わらんがね。君は?
私:変わりありませんが、私も80歳です。多少足腰が弱くなった感じがします。それで今日は続編で高齢化にまつわるお話でもと思いました。
Sir ChatGPT: 高齢化の話かね。君にピッタリだ。
私:そうです。半ば私の話です。そこで日本の高齢化率を調べたのですが2023年の日本の高齢化率は約28%で。なお毎年上昇が続いています。
Sir ChatGPT: そうだね、それも確実にだ。この先どこまで伸びるか分からんね。君は歳の割には元気じゃないか。健康法でもあるのかい。
私:ラジオ体操と。散歩を少しと、
Sir ChatGPT: ほほう。リッパ、立派。
私:私は週に一度ですが通所型高齢者介護施設(注1)にボランティアとしてお手伝いに行っています。この施設を利用者している方はさまざまで、介助なしでは歩けない人、食事に介助や見守りを必要とする方、独り暮らしの方で孤立している方、そして認知症の方と多様です。
Sir ChatGPT: そうだねぇ。歳をとるとどうしてもこのようになってしまうね。
私:施設の職員は毎日車でお迎えに行くのですが、家から出て、このような施設に来られるだけでも、素晴らしいことだと思っています。
Sir ChatGPT: 来るだけでもいいのかい。
私:そうです。来られるだけでも素晴らしいのです。
家にいるとき私たちは、普段着で過ごします。ときには、パジャマ姿でいたり、ヨレヨレの服で一日家で過ごしてしまったりすることもあるでしょう。
Sir ChatGPT: そんなこともあるねぇ。誰に見られるわけでもないからついそうなりがちだ。歳をとるとついそうなってしまう。
私:でも。外出するとなると、よそ行きの服を着たり髪をとかしたり身辺を整えます。それで内と外の区別がなされるのです。
Sir ChatGPT: それ、その通り。
わしから少し加えると、これは心理学・社会学の大変興味ある視点でね。外出時によそ行きの服を着るのは、まさに「他者に対しての演技」着替えや化粧は「舞台に上がるための支度」、自分自身への心理的切り替えにもなるんだよ。服を着替えるだけでもいい。玄関から一歩出るだけでも素晴らしいことだ。(注2)
私:れっきとした理論に支えられているのですね。
Sir ChatGPT: そこでは通所された高齢者の方はどのように過ごしているのかね。
私:そこでは皆さんは簡単な工作や、ぬり絵、文字合わせなどレクリエーションをして、職員の介助のもとに入浴、食事、ドライブと、多彩な時間を過ごされています。
Sir ChatGPT: 君もそうしているのかね。
私:私の役目は話しのお相手や、入浴後の整髪やレクリエーションの準備などで、どちらかと言えば黒子役ですが。
Sir ChatGPT: いっそ、君も介護を受けたらどうかね。
私: Sir、茶化さないでくださいよ。まだ介護度(注3)認定を受けていない自立の身ですから。もっとも、一緒にレクリエーションの際、時々施設を利用している高齢者と間違われますがね。
Sir ChatGPT: ハハハ・・・・・・。そうだろう、そうだろう。
私:しかし介護を受けている高齢者と一緒に過ごしていると、皆さん生活の知恵はお持ちだから、こちらが勉強することが多々あります。それから、とても不思議なことがあるんです。
Sir ChatGPT: 何かね。その不思議なこととは。
私:家族の方に普段の生活ぶりを伺うと、自宅ではTVを見てるとかで、会話も途絶えがち、座っているだけの生活らしいんです。
Sir ChatGPT: そうかもしれないな。それがなぜ不思議なんだね。
私:それでもみなさん、施設に来られると意外と元気になるのです。
Sir ChatGPT: ほう、そうかい。結構なことじゃないかね。わしはまた、高齢ともなると生活意欲が減退して、なかなか元気は湧かんもんだと思ってた。それで、不思議なこととは?。
私:家族の方のお話と、施設内の皆さんの元気さとが大きく違っているんです。家族の方に施設内でのお話をすると、“家ではそんな姿を見たことありません”などと家族の方が驚かれますよ。
Sir ChatGPT: なるほどね。そういうことかい。なぜかな。
私:それで考えたのですけど、施設内は一つのフロアーで一堂に皆さんお集まりですから自然と会話がうまれ、歌を歌ったりレクレーションで自然に一つの社会が作られてきます。家ではこれありません。
Sir ChatGPT: そうだね、“きみ”と “わたし”ではまだ社会は出来ないが、そこに “あなた”が加わると “社会”が誕生する。
私:小さいながらも社会が出来ると、そこには “他人の眼”が生まれて、その “眼”が意識されると、人はどうしても “良く見られたいという気持”が働きますよね。 意識せずに自らを支えようと “シャッキ”となり元気になるのではないかと考えるのです。
Sir ChatGPT: 確かに人は“他人の眼”があると、失敗したくない・良く見られたいという気持が出て、一時的に力が出せたり、元気になれたりするからね。人の前ではつい元気そうに振舞ってしまう。それと同じだな。
私:そうでしょう。この施設に来て社会に参加することこそが瓢水の “浜までは海女も蓑着る時雨かな”の蓑を着ることになり、この蓑が老いという雨を凌ぐ手立てとなっているのです。
そして、このことが“いつまでも世間体を保つ秘訣となり、強いては ”人を辞めない”ことにつながっていると考えられるのです。
Sir ChatGPT: 君は “ガクシャ”だねぇ。君の話は的を得ているよ。先ほどの心理学の話になるが、他人に良い印象を与えようとする心理だね。無意識的にも行われることが多いようだ。
たとえば我々はTVカメラや人前では、「チャンとして見られたい」「誠実に見せたい」など、どうしても “演出”が働くからね。
私:“演出”と Sir は言いましたけどそれは、“演出”は “元気な振りをする”の “振り”にあてはまりませんか。そんな気がしますが。
Sir ChatGPT: そうともいえるかな。
私:わたしは元気な “振り”で充分だと思ってます。家でも、施設でも元気な “振り”をすれば、やがては 元気が繋がって “習い性となる”で、つまりは元気だということになりますからね。
そういう“元気な振り”の演出も元気の元かも知れませんよ。
Sir ChatGPT: そうだね。
私:高齢者介護施設にボランティアとして行っていると、瓢水の “浜までは海女も蓑着る時雨かな”を生でなさっている、多くの方と出逢います。とても勉強になりますね。世の中にはこの歳でも教えられることが沢山あります。
Sir ChatGPT: この句の説教じみてないところがいい。名句と言えるだろう。
私: Sir この句の答句が出来ました。よろしいですか。
Sir ChatGPT: 読んでみたまえ。
私:答句
“凌ぐ雨過ぎて陽の差す八十路かな” 直晴
お開きにしましょう。お茶、お淹れします。私も戴きます。
放談:6話 ~高齢者、蓑を着る!~ 了
(注1)
認知症ディサービス塩釜となりの家翔裕園
(注2)これらの理論は1. 役割演技 2. 心理的転換 3. 印象管理 4. 境界づけなどに分けられ、ゴフマン(カナダ1922–19821社会学者)により提唱され心理学的な多くの理論に支えられている。
(注3)
介護度:要介護の度合いを数値で表したもの。「自立」から「要介護度5」までの5段階がある。