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春雷

作者: 床擦れ

 春である。

 桜が咲き誇り、そして散っていく頃合いであった。

 ある陋巷ろうこうに住む男は、その父が医者に行くということを聞いて


 自分も、その医者に世話になったらいけない


と思い、場所を確かめるためという言い分を作って、父にいて其処まで行くことにした。

 桜が大いに散っている。

 故に路傍には多くの花びらが落ちていた。その枝を見れば、色は褪せて、その間に萌黄の色を帯びたわかい葉がその姿を覗かせていた。


 もう、この週で花は見納めだな


 男の家の近くには、ひるを過ぎると子らがあそぶ姿に爛漫らんまんと彩られる公園がある。

 公園の中には外周に沿って桜の木が植えてある。その下で游ぶ子らは活発で、その声は七十歩(約一二〇メートル)離れた男の家まで聞こえてくる程である。

 男はその公園の近くを通りかかった。

 すると、一人の人物が目に入った。

 桜の木のたもとで竹の柴を以って作られたほうきを使い、道に落ちている桜の花弁を一心に集めていた。


 ああ、あの人か


 男はすぐにこの人物は如何なる人なのか、判った。

 かの人は男である。歳は既に壮年であるが、午過ぎにその公園にやってきて、まなびやから帰ってきた子らと夕暮れまで游ぶということを毎日している。

 男は、この人を密かに


 尋常の人ではない


 と思っている。

 なにしろ、この男が幼少の頃から、今に至るまで、同じように子らと接しているのを見ているからである。

 男の歳は既に二十八であるから、二十年は其処に居ることになる。

 男は、この人のことを軽侮していたことがある。

 まだ近くの黌に通っていた時のこと。即ち二十年ほど前の話である。

 かの人はその当時、肩の下まで伸びた髪を持っていた。その髪を風に吹かせて子らと遊んでいる姿を見た時に


 気味が悪い


と思った。

 年を重ねた男が声を張り上げ、子らと追いかけっこをして遊んでいる、ということが余りに異様な風景に写ったのである。

 さらに言えば、男は痴である。明らかに、同い年の他の者に比べて頭脳が足りていない。そのことは傍から見ていて、そしてその口の利き方を聞いていれば幼くても判ることであった。

 近隣に住む者にとってはよく知れている人である。

 ときに男と同い年の人間、つまりは同級生の間で会話が為された。


 あの人は、あの歳になって子供と遊び、何を狙っているのだろうか


 もしや、幼い子供をたぶらかそうとする人間ではないか


 男もまた会話の中に居て、その言にうなずいた。

 子供の時分、親や教師といった人々から


 怪しき人を見れば、近づくなかれ


 ということを言われていたし、また、そういうことがあれば疑いの目で見ろと言われていた。

 学びを受けている子供というものは、成年に至った人らの言を忠実に実行することを善しとする。それが社会としての通念である。

 男もまた、忠実であった。

 それから暫くして、かの人が巡邏じゅんらの者に尋問をされたのだ、といことを聞いた。

 男にとってみれば、というよりも、一般通念からしてみれば


 さもありなん


といえる。

 男もまた、これでかの人が子らに魔手を伸ばすことはしまいと安堵した。

 男はそれから歳を重ねた。二十四、五歳の頃のことである。

 公園の傍を通りかかると、聞き覚えのある声を聞いた。


 おや


 と思って公園の中を見ると、見覚えのある姿がある。


 あの人ではないか


 男はこの時、己の目を疑うような気分になった。

 あの人が未だに様子を変えることなく、子らと游びに興じているのである。


 もう十八年経っているんだぞ


 男は以前の姿と変わらない、その人の姿に驚いた。

 髪は短くしていた。しかしながらそのことは些末で、身のこなしや言葉遣い、子らへの接し方の全てが、まったく変わっていないのである。

 男には従弟がいる。歳が離れていて、その感覚には大いな違いがある。しかしそのせいで男は、成人した者が年端もいかない子供の相手をする、というのは骨が折れるということを、身を以って知っていた。

 そういったことを、この人は男が幼い頃から、毎日、十八年の間続けているということを知った。

 無論、男が歳を重ねてきたように、この人も歳を重ねているはずである。歳の差を考えれば、躰には衰えが始まっているであろうという想像は容易にできた。


 それでもなお、変わらなかったのか


 男はそれからというもの、その人の存在を気に掛けるようになった。

 公園を通る度に、その人が子らと游んでいるのを見ては


 こういう人がいるんだな


と思った。

 そういったことを繰り返しているとき、この人が複数の女性と立ち話をしている所を見かけた。恐らくは、公園にいる子供のうち、誰かの母親であろう。

 男が耳を傾けるまでもなく、会話の内容が耳に入ってきた。

 よく聞き取れはしなかったが、しかしその語り口と、ともに游んでいる子らのことについて話しているのだけは判った。

 会話を聞いた男は


 この人に勝ることはできない


と思った。

 子らと游ぶときのおさなく聞こえる口調とは違い、語気がはっきりとしているし、親に子の様子を説いている時もその言葉によどみが無い。

 つまりは確かな観察眼を持ち、自己の人格を場所に依って使い分けているということである。

 それから、男はこの人を敬うようになった。

 この時分、男はこの歳頃にありがちな迷いを心に抱えていた。

 人は如何に生きればよいのか、という迷いである。

 そのせいか、この世に善悪というものを設けることは適当では無いだろうと考えていたし、そういった部分に於いては、世の中は擾乱じょうらんの態を示しているように思えたから、男は己の中で価値観を醸成しようと思っていた。

 しかし、そういったことを思っていた中での、あの光景である。

 男が受けた衝撃は大きく、善悪に迷うことがあると


 あれこそが、まさに善である


とすら思うほどであった。

 男は以前に軽侮していたことを思い出して、それを悔やみかけた。しかし、その感覚は純粋なものであったし、その感情も含めて己であると認めねば成長は無いと信じて


 悔やみはすまい


と決め、その分かの人の様な感覚を己の中に生み出そうと思った。

 それからまた数年が経ち、件の春に至るのである。

 桜の花びらを掃き集めているのを見た男の父は


 えらいものだ


と言った。その人に声を掛けようとしたので、男もまた、それに合わせて挨拶を交わした。

 その人は特段驚いた様子もなく、言葉を返した。

 言葉を重ね、その人は花弁を集める理由をこう話した。


 花弁をこうして集めねば、川に流れて行ってしまう。それで困ることはないが、管が詰まりかねない


 男の父も、この言に


 なるほど


と思い、その人を労った。

 その人は重ねて


 この辺りは花弁がよく飛んでくるので大変だ


とも言った。

 男の父はこの姿にいたく感銘して、近くの商店で麦茶を買って、この人に渡した。

 その人は、男の父の見せた厚意に感謝すると同時に


 明日は雷が落ちる。そうなれば桜も一気に散るだろう


と言った。

 男は


 はて、雷が落ちるなんて言われていただろうか


と思った。

 近々の天気予報でもそんなことは聞いていない。男は持ってきていたスマートフォンを片手の内に開いた。

 確かに、雨が降るとはなっている。しかし、雷があるとまでは書いていない。幾ら情報を見ても、雷に関しては何も書かれていない。

 こういう時は、男が情報にくらく、この人が良く天気について調べているとみるか、この人の経験則や勘がそう言っているのか、そのどちらかである。

 しかし雷に関しては神出鬼没であるし、注意すべきならば、情報網の敷かれた時世である。報せのひとつやふたつが書かれていても良いだろう。

 男は思った。


 いずれにせよ、この人の予言が当たった時、自分はどう受け取るべきなのだろう


 もしも何の情報もなく、風雲の向きを察知して雷が来るといったのならば、その感覚が衰えている現代に於いて、この人は畸人きじんである。

 成年してから見た、この人の姿を思い返してみると


 あり得るかもしれない


と思わせるのが不思議であったが、実際に雷があるのかはまだ決まっていない。

 早とちりをしてしまっては、それこそ愚かしい。


 むしろ、雷が落ちてきてはくれないか


 などと男は思いながら、翌日になったら天候をよくてみようと考えた。

 日が明けて、男は午の内に外に出てみた。空は厚い雲が覆い、確かに、その日のうちに雨が降りそうである。


 確かに、雨は降るかもしれないが


 知見の浅い男でも雨を予見できる空である。さらに言えば、夕方ごろに涼しい風が吹くようなことがあれば、これは確実である。

 しかし


 雷は鳴りそうにはないか


 と思った。雷を蓄えた黒い雲がこちらまで流れてくるだろうか。その予感は、午の時点ではしない。

 しかし、まだ午である。一日が終わるまでには、まだ時間がある。

 夕方になると、にわかに風が吹き始めた。温度は低い。


 もうそろそろ、降る


 男はひとまずほっとし、あとは雷があるか否かだけを気にした。

 外に出てみると、南の空の雲が鉛のように暗くなっているのを見た。あの辺りはきっと、本降りの雨が降っているはずである。そう思うと同時に


 雷がありそうだ


と男は感じ取った。男はそのまま外に出て、遊歩を始めた。

 男は常に、南の空を見ていた。雨の中を傘を差して歩き


 いよいよ雷が来るだろう


などと思いながら半里(約二キロメートル)歩いた時、その南の空の、その黒くなった雲の間に、稲光があった。

 横に走る稲光は、男のにぶい目にもはっきりと見えるほどの閃光を、屈曲した白い線として表した。


 ついに光った。


 男は顔に出さないまでも、歓喜した。あの人の言うとおりになったことに、素晴らしい景色を見た気分がした。

 雨は大雨になることもなく半刻(一時間)で止み、雷に至ってはその一度きりであったが、男にとっては些細なことである。鳴ったこと、そのものが重要なのである。

 その次の日、男は公園の桜を確かめに行った。あの人の言っていた、桜が多く散る、というのが本当であるかを見てみようと思ったからである。

 公園の桜は、前の日に比べて多く散っているわけではなかった。


 さすがに、ここまでは当たらないか


 男はそう思って家に帰ると、この一連の出来事をよくよく考えてみた。

 己が雷が来ようという予言に喜んだのは、巫言ふげんを信じた古の人々にちかく、雨に喜んだのはあまごいをしていたに過ぎない。果たして己は、当世に生きる人のように確実な報せを受け、それをもとに推論し、そして実行すということをしていただろうか。いや、してはいないだろう。

 しかしながら同時に、この時に感じた胸騒ぎというものを以って、古の人の心情に寄り添ってみることもできるのではなかろうか。それは一個の宗教心に間違いなかろうが、これが解らぬと解るのとでは後者のほうが良い、と男は思った。

 桜の散る頃である。桜の木は既に緑色を多くはらみ始めている。

 さて、その桜を見つつ、筆者たる私はひとつ思うところがある。

 恐らくかの人は、情報を以って雷が来ると断じたはずである。対して男は、その男の言を疑わずに信じたのある。どちらが痴であろうか。そして、どちらが善き行動を行ったといえるのだろうか。

 私には判別がつかぬので、読者の方に判断を促したい。

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