プラスチックの取手付きのコップを取り出した
冷たい……。
防火用と書かれた赤いバケツに入っていた水を全身にかけられた。昨日と違って綺麗な水でよかった。そんなことを考える自分がいて、悲しくなった。
「ちょっとバケツ貸して」
「はい」
「何ぼけっとしてんだよ! もっと嫌がるところだろうが。冷たいとかやめてとか言えよ!」
日向さんが根波さんからバケツを受け取って、そのバケツを私に投げつけてきた。私が無言で水を浴びたことに怒りを買ったらしい。
そんなの知らない。私だって好きでぼうっとしているわけじゃない。こうしていないと心がダメになりそうだからこうしているんだ。私なりの逃げ方なんだ。アルミ製のバケツは大きな音を立てて床を転げ回る。もちろんぶつけられた頭がジンジンと痛くなる。
「ほんとお前うざいよな。ずーっとずっと。転校生か何だか知らないけど、調子乗りすぎなんだよ。うざいならうざいなりに一人で根暗にやってろよ。吉良に寄生してもお前みたいな奴は何も変わんねえんだよ」
私の後ろ髪を掴んで濡れた床に押し付けられる。泥はないけれど、ここは男子トイレの中で。トイレの床に顔を擦り付けるのは、汚くて嫌だった。
日向さんの後ろから水の出ているホースを持った梁さんが顔を出して、私に水をかけ始めた。
冷たい。
二日連続で制服がびちょびちょだ。お母さんになんて言い訳をすればいいんだろう。日向さん達は一緒に考えてくれないんだろうな。昨日私のことを親友と言ったくせに、こんなことをするんだもん。嫌だな。
「ねえー、やっぱり私も混ぜてよー。きいちゃん見張り交代してー」
「いいよー」
ハイタッチを交わしてから二人は選手交代をした。
楽しそうだな。いいな。私もそっち側に加わりたいな……。
でも、いくら楽しそうでも誰かをいじめるのは嫌だな。人として、そんなことしたくない。この人たちとは友達になれそうにない。
「私さー、いいもの持って来たんだー」
スキップをしながらトイレに入ってきた井岡さんはカバンの中から、プラスチックの取手付きのコップを取り出した。
「みんなカバン貸して、あっち置いてくるから」
「お、ありがと。トイレの床なんて汚いからカバン置きたくないもんなー。汚したくないもんなー。そうだよなたかしちゃん?」
そんなトイレの床に私は顔を押し付けられている。この人たちは私の顔は汚れてもいいと思っているんだ。井岡さんはみんなのカバンを廊下に置いて戻ってくるとコップを高々と掲げてから言った。
「たかしちゃんって汚いの飲むの好きでしょ? 昨日も泥水飲んでたしさ」
それは好きだから飲んだわけじゃない。飲んだら帰らせてくれると思ったから飲んだんだ。好きなわけない。と思っても、言えない。
顔が床に押し付けられて、痛い。口が床につきそうだ。
「これでさあ……本当は泥水飲まそうと思ってたんだけどさ……」
井岡さんは私を押し付けている日向さんに耳打ちをした。小さな声で私には聞き取れなかった。
「あっはは、瑠子、それ名案。天才すぎ」
「でしょーメアリちゃん。褒めて褒めて」
日向さんは井岡さんの頭をわしわしと撫でた。
井岡さんはコップを持って和式のトイレが設置してある個室の中に入って行った。それを見て日向さんと根波さんはお腹を抱えて笑っている。個室に入ってすぐに井岡さんはコップを持って出てきた。そのコップを持って私の前に立つと、目の前に水の入ったコップを突きつけてきた。
「ほら、飲めよ」
飲めって……これを?
「……あっ。ごめんごめん、この手どけないと飲めないよね。ほらっ」
髪をつかみ上げて上体を無理やり起こされる。目の前には汚いトイレの水が入ったコップが突きつけられている。
私は横を向いて無視をした。飲みたくない。いくら心を殺しているとは言っても、嫌なものは嫌だった。コップに入っているのは、絶対に便器から掬ったトイレの水だ。いつ誰が用を足したのかもわからない。こんな汚い水、飲みたいわけがない。
「ほら! ほら!」
私がそっぽを向いていると、コップをほっぺたに押しつけられた。私は顔を逸らして逃げた。すると、反対の方のほっぺたに押しつけられる。口を思い切り噤んで、私は顔を左右に振って拒絶した。
「あーもう。うっざ。さっさと飲めよ。」
「ちょっと、瑠子貸して。私がやるわ」
「はい、メアリちゃん」
「二人とも、たかしちゃんの両腕掴んで逃げられないように固定してくれる? 二人ともちょっとくらい汚れてもいいよね? この水かかっちゃうかもしれないけど」
「うーん、嫌だけど。でも飲むとこ見たいしいいよ。最悪逃げちゃうかもしんないけど」
「いいよいいよ、ちょっとでも飲ませられたら私たちの勝ちじゃん」
「だね」
「オッケー」
井岡さんと根波さんが座り込んでいる私の腕を掴んで、私の自由を奪う。
体を左右に振っても身動きが出来なくなった。




