全然逃げられない
「あはっ。私の名前覚えてくれたんだー嬉しいなー。メアリちゃんって呼んでくれてもいいんだよ?」
「私、帰りたい」
勇気を出して断った。心臓が張り裂けそうだ。
きらなちゃんが居たらと思うけれど、今は私一人だ。きらなちゃんはいない。それにクラスを見回しても私たち以外誰もいない。ここちゃんも阿瀬君も部活に行ってしまっている。だって、最後の一人になるまで残ってたんだから。
この場をどうにかして切り抜けられるのは私だけなんだ。ちゃんと断ろう。笑顔できらなちゃんを待ってるために。
「お願いします……」
「はぁ?」
日向さんの表情が一変した。嫌なものを見るような、それでいて怒りを表しているような。怖い顔をした。でもその顔は一瞬の出来事で、すぐに優しそうなさっきの顔に戻った。
「何でさー。ちょーっとだけだからっ。ね? ほんとちょっとだけだからさ。いいでしょたかしちゃん」
日向さんに手首を掴まれた。それもすごい力でぎゅっと握りしめている。痛い、離して。やめて。
「ね? いいよね?」
「だめなわけないじゃんねー」
「私たちが誘ってるんだもんね」
どんどんと手首を掴む腕の力が強くなる。
痛い痛い。
「ごめんなさい。でも、今日はこれからお母さんとお出かけする予定があって」
私は嘘をついた。帰るために私は彼女たちに嘘をついた。嘘をつくことはダメなことだろうけど、帰らないと何が待っているかわからない。帰るためには仕方ない。
「だから、手、離してください」
手を振り解こうとしても全然離してくれない。これじゃあいつまで経っても帰ることができない。
「それ、嘘でしょ?」
日向さんの顔が怖くなる。私の背筋がヒヤリと冷たくなる。
「う、嘘じゃないです」
嘘じゃないんです、本当なんです。だから、帰してください。
「へぇ。じゃあなんで最初に言わなかったの? わかってるって。後で思いついたんだよね? 私たちから逃げる為に嘘ついたんだよね。友達に嘘つくなんて酷いなあ」
嘘をついたのがバレてしまった。どうすればいいかわからない、謝ったほうがいいのかも知れない。でも帰るには帰るって言うしかない。日向さんの爪が私の腕に突き刺さる。
痛い、痛い。
「痛い。お願い、ごめんなさい。でも、私帰りたくって。帰らせてください。お願いします」
「お願いしますお願いしますってねえ。あはは。駄目」
グイッと私の腕を引っ張った。
「ほら、行くよ。準備できたでしょ」
全然逃げられない。腕を離してくれない。誰も助けてくれない。
もう、日向さんたちに着いて行くしかなかった。もし教室に誰かいたら……。いや、きっと誰かいたとして、私が助けを求めてもきっと助けてくれないんだ。
阿瀬君もここちゃんもサッカー部に行っちゃったし。竹達くんも、縫合くんも……。みんな自分のやることがあるんだ。――きらなちゃんはインフルエンザだ……。
ううん。きらなちゃんはまだ来ないんだ。それまで私は頑張らないといけない。大丈夫だよ、きらなちゃん。私は負けないから。私はグッと心に力を込めた。
玄関まで連れてこられて、靴に履き替えさせられた。その間、ずっと四人に取り囲まれていて、走って逃げるなんてことはできなかった。
私が先頭を歩いて、追い詰められるようにしてバスケットボール部が使用している体育館の横を抜けて体育館の裏にきた。
ボールの弾む音と部活動をする声、それからキュキュッっと靴が床に擦れる音だけが聞こえる静かな所に連れてこられた。
左手には大きな体育館で右手には学校の敷地を覆う壁。体育館は入り口以外の三方向がこの壁に覆われていて、この場所にいる私たちのことは、この場所に入らない限り誰からも認識することができなかった。
私はほとんど隠れた場所に追いやられた。




