私は目を奪われた
土曜日、私は朝早くに目が覚めた。
約束の時間は九時なのに、時計はまだ五時を表示していた。
私以外まだ誰も起きていなくて、静かで暗い居間の電気を点けて座布団に座った。すぐに立ち上がって戸棚から食パンを取り出した。トースターに一枚入れてスイッチを入れる。
トースターは小さな音を立てながらじわりとオレンジ色に光り始める。パンが焼きあがるまでと思って座って、バターを取るのを忘れたことを思い出して立ち上がる。
ソワソワして仕方がない。じっとしていられなくて、バターを塗りたくったトーストを立ったまま台所で食べた。お行儀が悪いと思ったけど、座っていられない。
誰もいない暗い居間は少し寂しくて、部屋に戻って友達ノートをカバンから取り出して眺めた。
昨日、初めての部活動で初めての後輩が出来た。三人には友達ノートを書いてもらうべきだろうか。でも、後輩だし、先輩がこんなノートを作っているのをみたら、笑われてしまうかもしれない。
後輩たちはやめておこう。
同い年のお友達だけにしよう。
今私は、今まで経験したことがない楽しい学校生活を送っている。
そして今日も、初めて休日に友達と遊ぶ。
「楽しみだなあ」
友達ノートを抱きしめてその場をくるくると回る。そのままベッドに倒れ込んで足をジタジタさせた。
十時十二分。時計は確かにその時間を示していた。友達ノートを抱きしめたまま眠ってしまったらしい。
「寝ちゃってた……。寝坊しちゃった! やっちゃった!」
慌ててベッドから飛び起きた。
最悪だ。
失敗した。
あんなに早起きしたのに寝坊した。
パジャマから机の上に置いておいたお気に入りの服に慌てて着替える。木製の櫛を使って前髪を整える。姿見の前で自分の今日のコーディネートを確認する。白いシャツに黒いワンピースが可愛い。お気に入りだ。
「あ、リボン忘れてる」
まずはお嬢様結びを作る。いつものように髪を束ねてくくっているのに、うまくいかない。その場で足踏みをしながら慌ただしく髪を結び、リボンをつける。リボンの裏に付いたダッカルをお嬢様結びの上に挟み込む。黒い肩掛け鞄の中に友達ノートと筆記用具を入れて、居間に降りた。
「もう! お母さん! なんで起こしてくれなかったのさ!」
お母さんに八つ当たりした。完全に八つ当たりだ。眠りこけていたのは自分なのに。でもこの失敗を一人では背負うには重すぎた。誰かが一緒に罪を被ってくれないと、心が壊れてしまいそうだ。
「明日九時に遊びに行くって言ってたでしょ!」
「おはようたかしちゃん。あれ、十時じゃなかったっけ?」
「もう! 九時だよ九時! そもそも十時だってもう回ってるよ! ばか! 遅刻だよ! 行ってきます!」
「ご飯はー?」
「もうパン食べた!」
「いつ?」
お母さんの声を無視して急いで家を出た。お母さんは少し申し訳さそうな顔をしていたけど、どこか楽しそうだった。
もう、一時間も遅刻してるのに。お母さんめ。
自転車も考えたけれど、そこまでの距離じゃないから走っていつもの通学路を進んでいく。今日は学校に登校している人はいない。というよりも、登校している人たちどころか誰もいない道をひたすらに急いで走った。
息を切らしながら昨日きらなちゃんと別れた道を左に曲がる。きらなちゃんにあったらどうしよう。なんて言えばいいだろう。考えるけれど思いつかない。それなのに公園はどんどん近づいてくる。
「はぁ。はぁ」
「あっ、たかしちゃん来た!」
私が公園の入り口で息を切らして立ち止まった所を、すぐさま公園のブランコを全力で漕いでいたきらなちゃんに見つかった。
きらなちゃんは勢いよくブランコから飛び降りて、そのまま柵を飛び越えた。ふわりと翻るスカート。パンツが見えちゃってる。でもその華麗なきらなちゃんのジャンプに私は目を奪われた。
「待ってたよー」
きらなちゃんは走り寄ってきて、そのまま私に抱きついた。肩で息を切らしている私につられてきらなちゃんも上下に揺れる。
「走ってきたの? 大丈夫? 髪すごい乱れてるよ」
「だって、遅刻したから。九時って言ってたのに。ごめんなさい」
酷いことをした。約束をしていたのに、私はきらなちゃんを裏切ってしまった。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
手櫛で髪を整えながら必死に謝った。
「ああー。気にしないで。蹴人なんて私の家の隣なのにまだ来てないから。それに私も昨日たかしちゃんとの約束破っちゃったからさ。それに、たかしちゃん今ここにいるし」
オッケーオッケー問題なし。と言いながらきらなちゃんは私の手を引いて公園の中に入っていく。公園のグランド側ではすでにここちゃんと、知らない男の子の二人がサッカーボールを蹴っていた。
「たかしちゃん来たよー」
「おー、たかたかおはよー」
「おーす」
「おはよう高橋さん」
みんな一人ずつ私に挨拶をしてくれた。遅刻をしたのに誰もその事を気にする様子もない。
「おはよう、ございます」
まだ息が上がっていて、綺麗に挨拶ができなかった。




