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たかしちゃん  作者: 溝端翔
たかしちゃんとズル休み
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意味わかんないよ

 テレビの音。それを見てくすくすと小さく音を立てるお母さんの笑い声、お婆ちゃんの寝息。私はご飯を食べ終えて、しゃーくんのぬいぐるみを縫っている。


 ――学校は。明日はどうすればいいんだろう。もう、学校に行きたくない。ずっとこうやってお家にいたい。


「いっ」


 手が震えて、左の人差し指をちくりと針で刺してしまった。刺し傷から出てきた赤い血がまるで宝石のようにぷっくりと綺麗な球形になって光っている。


 痛いなあ。


 なんとなく痛みを感じる気はするけれど、明日の学校のことを思うと胸の痛みの方が大きく感じて、指の痛みはほとんど感じなかった。


「ねえたかしちゃん。学校で何かあった?」


 さっきまでテレビに夢中だったお母さんが、心配そうに私を見ている。あまりにも急な、何も知らないはずなのに的を射た質問がきたから、慌ててさっき刺した怪我がバレないように指を隠してしまう。

 こたつ布団に血をつけないように気を配りながら冷静に返事をした。


「べ、別に……。昨日夜更かししちゃって、今日はちょっと眠たかっただけだから」


 冷静に返事をしたつもりだったけれど、声が上ずってしまった。


「本当に? 本当に何にもない?」

「うん……。何にも……」


 質問をするお母さんの目は真剣で、隠すことが後ろめたくなってしまう。ついお母さんから目を逸らしてしまった。それでも、お母さんには心配をかけられないと思った。


「お母さんね、知ってるんだよ。たかしちゃんが、前の学校でいじめられてた事」

「えっ……」


 お母さんは知っていた。私が前の学校でいじめられていたことを。


「たかしって名前がね、男の子みたいだって。それで、クラスの子たちにからかわれてたって、前の学校の担任だった須山先生が教えてくれたの。その時、お母さん、私のせいだ。たかしって名前をつけた私たちのせいだ。って少し後悔した。でも、お母さんにとってたかしちゃんはたかしちゃんで、変な名前でもなければ男の子でもない、かわいいかわいいたかしちゃんなの。先生からからかわれてることを聞いたその後に『学校はどう?』ってたかしちゃんに聞いたら、たかしちゃんは『大丈夫』って笑って言ったの。大丈夫じゃないのに頑張ってくれてるんだって思うと、それ以上何も聞けなかったし、学校に行くのも止められなかった。お母さんは。お母さんはね……」


 お母さんの目から涙がつうっと流れ落ちた。


 なにそれ。


 意味わかんないよ。


 許せない……。


「だったら! だったらなんでこんな名前付けたのさ! 私にこんな名前を付けるからいじめられるんだよ! 私が未熟児だったとかそんなこと関係ない! こんな男の子みたいな名前つけたら、名前でいじめられるってわからなかったの? お母さんそんなことも考えなかったの? 私、女の子なんだよ? お母さんとおばあちゃんも! こんな名前を私に付けるから、私は今もこうやっていじめられるんだよ! どこに行ったって名前で笑われる。考えたらわかることでしょ? 全部全部お母さんとお婆ちゃんのせいなんだよ!」


 お母さんの話を遮って、私はずっとずっと思っていたことを言った。言ってしまった。お母さんの顔は見れなかった。多分悲しい顔をしているんだろうなと思ったけれど、いじめられてた。なんて簡単にいうお母さんが許せなかった。


 お母さんは私の苦労や悲しみは知らないくせに。


 最近は自分のことに必死で忘れていたけれど、私はお母さんをずっと恨んでいた。お婆ちゃんもそうだ。

 普段、家族のみんなはとても優しくて、私のことを甘やかしてくれる。勿論家族のことは好きだ。お母さんもお婆ちゃんも好きだ。けれどそれとこれとは別なんだ。


 転校する前、学校に行くと、名前の事でクラスメイトにからかわれた。からかわれるたびにお母さんたちの顔を思い出して、どうしてこんな名前を私に付けたんだって恨んだ。そうすると少し心が落ち着いた。私はお母さんたちのことを恨まないと胸の奥がモヤモヤが消えなかった。


「もういいっ」


 作りかけのしゃーくんのぬいぐるみをお母さんに投げつけて自分の部屋に戻った。


 軋む階段がいつもより音を立てていて底が抜けるんじゃないかと心配になったけれど、折れちゃえって思ってわざと強く踏み締めた。


 ベッドの端に座って、あらためて思う。私の話をするお母さんは泣いていたけれど、全部お母さんのせいだ。こんな男みたいな名前をつけるから、私がこんなに苦しい人生を送らないといけなくなったんだ。お母さんは『あずき』っていう可愛い名前だから私の苦労がわからない。私も、可愛い名前がよかった。私だって、みんなと同じように楽しく学校生活が送りたかった。


 うざい。嫌いだ。もう何もかも投げ出したい。


「たかしちゃん。聞いて」

「うるさい! 話しかけないで。どっかいって」


 静かに上がってきて部屋に入ってきたお母さんを私は突き返した。今は誰とも話したくない。お母さんなんて知らない。私が不幸せなのはお母さんの元に生まれたせいなんだ。


 お母さんは私の部屋を押し出されて、肩を落として無言のまま階段を降りていった。階段の途中でお母さんは振り返った。


「こっち見ないで」


 私はお母さんを遠ざけた。


 今日は何度ベッドで眠るんだろう。私はベッドに横になった。横になって右手を上にあげる。天井からぶら下がっている蛍光灯は近いのに、掴めそうなのに掴めない。


 はぁ。


 お母さん、知ってたんだ。前の学校で私がいじめられてたこと。じゃあ、お父さんも知ってるのかな。お婆ちゃんも、知ってるんだろうな。でも多分だけど、天は知らない。というか、天には教えてほしくない。みじめにいじめられているお姉ちゃんでいたくない。


 なんで、助けてくれなかったんだろう。


 それは、私が嘘をついたからだ。


 いじめられていることを隠したからだ。


 私はあの時。ううん、覚えてないけれど、お母さんに『大丈夫?』って聞かれた時、大丈夫って言ったんだ。さっきみたいに。


 そりゃあ、助けてくれるわけないよね。


 だって、どう助けていいかわかんないもん。もし、天がいじめにあってると知って、天が大丈夫って言ったら、私は助けようとは思わないと思う。だって、大丈夫だって言っているから。大丈夫なんだ、自分でなんとかするんだって思う。


 そうだ。私がみんなの救いの手を払ってるんだ。


 わかってる。お母さんが悪くないことも、お婆ちゃんが悪くないこともわかってる。


 確かに男の子みたいな名前だけど『あきら』とか『つばさ』とか男の子みたいな名前の女の子がいることを私は知っている。


 確かにたかしは特殊だと思う。でも、それだけを言い訳にして。お母さんたちのせいにして。私は愚かだ。


 また怒っちゃった。


 今度はお母さんに怒鳴り声をあげてしまった。そんなつもりはなかった。でも、一瞬、お母さんのせいだって思っちゃった。


 謝らないとな……。


 でも、恥ずかしいな……。



 気が付くと、私は眠っていた。

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