だって、お空は飛べないよ
俯いている私の目の前に、イルカの刺繍が入った綺麗な白いハンカチが現れた。
顔を上げると知らない女の子が立っていて心配そうにこっちを見ている。私と同い年くらいの女の子は少し軋んだほんのり茶色の肩まである髪で、前髪の左側を大きな黄色い星のヘアピンで止めている。日焼けをしている肌は夕日に溶け込むように光っていた。
「ふふ、すごい顔。使っていいよ。鼻かみなよ。ティッシュもあるよ」
涙と鼻水で顔が大変なことになっている事に気がついて、慌てて俯いた。申し訳なかったけれど、出発のドタバタで持ってくるのを忘れていたので、その女の子にハンカチとティッシュを借りることにした。
貰ったティッシュで鼻をかんで、顔とパーカーの袖をハンカチで拭いた。当たり前だけれど彼女のハンカチは私の涙と鼻水で汚れてしまった。どうしたらいいか思ってわたわたと困っていると彼女は「いいよ」と言ってくれた。
「それあげる。私のお気に入りだから大切にしてね。ふふふ」
彼女の優しい笑顔に私は嬉しくなって、ぎゅっとハンカチを握りしめた。
「なんかあった?」
私の頭を撫でながら、心配そうに声をかけてくれる。なんだか暖かくて、人見知りの私でも素直に受け入れられた。もしかしたら、もう二度と会わない人だってわかってるからかもしれない。
「ちょっと……」
「ちょっとなの? 私ね、ずっとそこの木の上に居たんだ。そこからいつもこの夕日を眺めてるの。私の特等席なんだー。だからね、知ってるんだよ。あなた、この公園に入ってくる時から泣いてたでしょ。さっきまでずーっと泣いてた。だから私はあなたのことが心配になったの。多分同い年くらいでしょ。心配だわ。私、今あなたのお話を聞かなかったら絶対に後悔する。そんなの嫌だもの。だから、もしよかったら聞かせて? それにさ、悩み事って誰かに言ったらちょっとは楽になったりするものじゃない?」
彼女は私の手を握って、目を見つめて、私を心配してくれた。今まで、家族以外にこんな眼差しを向けられたことはなかった。恥ずかしいような、嬉しいような、今まで感じたことのない温かい気持ちになった。
「ありがとう……」
まだ少し垂れてくる鼻水を啜りながらお礼を言った。
今会ったばかりだし、名前も年齢もわからない。性別はわかるけどそれくらいしか分からない。同い年くらいの女の子に、多分、私は今救われているんだ。
「あ、そうだ。私は御城麗夏っていうの。中二よ。あなたは……?」
うっ、自己紹介だ。
この御城さんって女の子は自己紹介をしてくれたのに、私は言葉に詰まって俯いてしまう。もしかしたら今私を助けてくれている彼女も、私の名前を聞いたら変に思うかもしれない。
変に思ったら嫌われるかもしれない。これ以上話を聞いてもらえないかもしれない。
この温かい気持ちがなくなっちゃうかもしれない。
「ふふっ、どうしたの? 名前忘れちゃった? んー、じゃあリボンちゃんでいい? おっきいリボンつけてるから。うん、リボンちゃんね」
また、ぽわっと胸の辺りが暖かくなった。自己紹介をしなくても、お話ってできるんだ。って一瞬思ったけれど、多分、御城さんが特別なんだって思った。御城さんとならなんだかすごくお話ができる気がした。
「わ、私も中二」
「わっ、ほんと? じゃあ同い年だね! 私はすぐそこに住んでるんだけど、あなたは?」
「と、東京」
「うわあー。すごい。じゃあ遠くから来たんだね。都会っ子だ」
「そんなことないよ。いつも家でお裁縫ばかりしてるから。どこでもいっしょって気がする」
「そっか、お裁縫好きなんだね。私は水泳が好き。水の中を泳ぐとね体が軽くて、宙に浮いたみたいで気持ちいの。いつか空も泳いでみたいなあ」
「ふふふ」
「あ、笑ったな!」
「だって、お空は飛べないよ」
「そうかなあ、時代が進歩すればいつかスイスイ泳ぐことが出来るようになると思うんだけどなあ。あ、どうしよう。泳げるようになった時にはお婆ちゃんだったら……。くぅー、その時も泳げるようにずっと鍛えとかなくちゃ」
私の心は彼女の明るい声と話題に、どんどんと笑顔に変わっていく。
なんて暖かい人なんだろう。もし御代さんと同じクラスだったら、友達になれたのかな。なんて考えてしまう。
「よかったー、笑ってくれた。ずっと泣いてるばっかりだったらどうしようかと思ったよ。嫌な事からは目を背けたって良いんだって、私のお母さんが言ってたよ。だから、辛いことなんてその時がくるまで放っておいて、笑って過ごすって決めたんだー、私は」
彼女にも何かあったのだろうか。私には分からないけれど、彼女の目は力強い目をしていた。




