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たかしちゃん  作者: 溝端翔
プロローグ
10/274

洗濯物がばさりと落ちた

 四月一六日。土曜日。


 三時のおやつの切り干し大根を食べながら、リビングの大きなテーブルで私が宿題をしていると、廊下に置いてある白い電話が慌ただしく鳴った。


「出てー」というお母さんの声を無視して宿題を進めていると、大量の洗濯物を持ったお母さんが「もうー、出てって言ったのにー」とぶつくさ言いながら、慌てて受話器を取った。


「はいもしもし。高橋です」


 電話に出る時のお母さんの声はいつもと違う。なぜか少し高くなって他所行きの声になる。私はこのお母さんの声がちょっと苦手だ。なんで声変えるんだろうって思う。


 いつも通りの日常。


 弟の天は友達の家に遊びに行っていて、お母さんは掃除や洗濯をする。お父さんはお仕事だ。

 私はというと宿題をしたり大好きな裁縫をしたりする。


 今日も静かな一日だった。


「ええっ!」


 突然の大きな声にびっくりして振り向くと、受話器の向こうの声を聞いているお母さんの顔色がどんどんと青ざめていき、持っていた洗濯物がばさりと落ちた。

 なんだかテレビドラマを見ているみたいだって思った。


「はい……。はい……」


 お父さんや天に何かあったのかな。交通事故とかじゃなければいいけど……。

いつもは色々とおしゃべりをするお母さんが、今日は真剣な声ではいとしか返事をしない。


 何か悪いことじゃないといいけど……。


 お母さんは、それからもしばらくの間堅い声で「はい」とだけ答えていた。


「わかりました。では、失礼します」


 かちゃっと受話器を置いてお母さんは、そのままそこにぼうっと立ち尽くしている。

 何か悪いことがあったんだ。こんなにお母さんの顔が青ざめるなんて。でもまだ本当に悪いことが起こったとは限らない。私のお母さんはちょっとの事でもすぐに慌てる人だ。なにがあったか今すぐにでも聞きたいけど、お母さんが話してくれるまで待とう。変に声をかけたらかえって慌てさせるかもしれない。


 大丈夫かなあと思いながら宿題も手に付かなくなった私はお母さんをじっと見守っていた。


 ハッと我に返えったように「お父さん」と呟いてお母さんは、お父さんに電話をかけはじめた。電話をするお母さんの話だけでは全然どういう状態なのか分からなかったけれど、『お母さんが倒れた』とお母さんは言った。


 お母さんがお母さんって呼ぶのはおばあちゃんだけだ。おばあちゃんか。何があったんだろう。倒れたって脳梗塞とかかな。それともただ転んだだけかな。


「たかしちゃん、準備して。病院行くよ。あ、天ちゃん誰の家遊びに行ってるんだっけ」


 お父さんとの電話を終えたお母さんはいきなりとんでもないことを言い出した。おばあちゃんの家は県外にある。うんと遠くだ。


「ええー」


 今日は宿題をさっさと終わらして、その後はゆっくりと黒猫のぬいぐるみのお裁縫をしようと決めてたのに。お婆ちゃんのせいでとんだ邪魔が入ったと思った。


 どうせ時間もかかるだろうしと思って、私は作りかけのホオジロザメのアップリケと裁縫セットを小さなピンク色のポーチに纏めた。

 今日は土曜日だし、お外にも行く予定がなかったからあんまり可愛い格好をしていない。ちょっとお気に入りの灰色のパーカーを羽織って誤魔化すことにした。


 パンパンに膨らんだ鞄を持ったお母さんに急かされながらマンションを出てお母さんの小さな車の運転席の後ろに乗りこんだ。車種とかは分からないけど、小さくて丸っこくて、可愛い顔をしていて私は好き。反対にお父さんの車はあんまり可愛くなくて好きじゃない。


「武蔵くんの家に寄って、天くん拾っていくわね」


 もうそろそろ友達の家に着きそうな時に、近くの公園でみんなとドッジボールをしている天を見つけた。


「あっ、天いた」


 お母さんは公園の横に車を停めて助手席の窓を開けて大声で天を呼んだ。


「天くん天くんー! 急いでー!」

「えっ? お母さん? なにー?」


 焦っているお母さんが何にも説明をしないせいで、よくわかっていない様子の天に、私はとりあえず手招きした。


「天くん天くん! 病院行くよ!」

「病院?」

「えっと、あのね……電話がね、お父さんにね」


 お母さんがまごまご言ってて全然話にならない。これじゃあいつまで経っても埒が明かないと思った私はスパッと説明した。


「おばあちゃんが倒れたんだって。だからおばあちゃんのとこの病院行くんだって。だから早く準備して、病院行くよ」

「え、おばあちゃんが? わかった。カバンとってくる」


 遊んでいた天を拾った。さて、目指すはお婆ちゃんの元へ。

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