第三話 変わらざる笑顔
???「はあ、はあ……!」
――私も一応話は聞いていたのだ。
魔物「ぎゃ!! ぎゃ!!」
???「ひいい……!!」
今、私はとある都市へと至る街道を、数体の魔物に追われて逃げ惑っていた。
???「く……、こんなことなら、はあ、はあ! もっと護衛に金を積むべきだった」
私は、そう――、今更ながらに後悔する。
私は賢者の王国――、ヴァンドレイクの地方都市、ミガーテにある魔術学院を目指して旅をしてきた。
貧乏農夫の兄弟の中に生まれた私は――、ある日【魔術師】クラスに目覚め、それを極めるべく学院への入学を目指した。
なんとか入学を許可されたところまでは良かった。ただ、その学院までは自費で旅しなければならず……、それで護衛代をケチったのがこの有り様の原因であった。
???「く……、魔物が、はあ! ……ヴァンドレイクへの侵攻を、く、強めていることは知っていたけど……」
街道を護衛と進む途中で魔物に遭遇した時――、護衛たちはあっさりと私を見捨てて逃げた。
魔物の強さを見て分が悪いと考えたのかも知れない――。そもそも、相場より少ない前金だけもらって逃げる算段だったのかもしれない。
護衛に逃げられ――、乗っていた馬にも振り落とされた私は、走って逃げることしかできなくなり――、なんとも私は不幸すぎる。
涙で顔をベチャベチャにし、鼻水をたらしながら逃げ惑う私の姿は、魔物たちにとってあまりに滑稽に見えたのだろう。
楽しいおもちゃを与えられた子どものように、私を楽しげに追いかけ回した。
???「私は――、ああ、こんなところで死ぬのか?! 何もなさず?!」
――と、不意に魔物たちが追跡をやめてその場に立ち止まる。その様子に私は疑問を感じながらひたすら走り――。
???「あ……」
――石につまずいてすっ転んだ。
???「いた、あ……」
そんな私の前に手のひらが差し出される。私は驚いて――、その主を見た。
剣を携えた旅人「大丈夫か? お前――」
???「え?」
泣きながら呆然とする私に、その男は笑顔を向けて言った。
剣を携えた旅人「まあ――、とりあえず立て。あの魔物たちは俺がなんとかしてやるから」
???「ああ……」
私はこの幸運に感謝した。そして――、それをもたらした彼に手を組んで祈りを捧げた。
その時の彼の笑顔は何より暖かく感じ――、いつまでも忘れることのないものになった。
――それこそが、私――、魔術師カーネル・グリントが、【勇者】と出会った初めての場面であり――、後に彼の旅に同行し、その行く先を手助けすることになった理由であった。
◆◇◆
カーネル「ふう……」
その日も私は、執務室の机でため息を付く。
人類圏が平和を取り戻し――、その果てに私はヴァンドレイク王国の宰相として迎えられ、その筆頭官として仕事をこなしているのだが……。
カーネル(困った人たちだ――、国内情勢がある程度安定した途端に、貴族同士の権力闘争とは――)
自らの意見を通すべく、――国の発展のために意見をぶつけ合う政治的闘争――、それはまあいいだろう。
でも今彼らが――、貴族共が行っている事には、ただ権力を得て甘い汁を吸いたい、それだけがあって――、国のことが見えてはいない。
カーネル「く……、こんなことだから――、勇者様に見限られる!」
私は憎々しげに吐き捨てて、机に拳を打ち付けた。
カーネル(平和になれば――、世界は良くなる……、そう私は信じていた。でも――)
その結果はこの有り様――、私は少し現状に疲れを感じていた。
――と、私の執務室の扉がノックされ、開き――、秘書官が部屋へと入ってきた。
秘書官「カーネル閣下! お喜びください!」
嬉しそうに秘書官がそう告げる。
その笑顔を見て――、私は、今まで何度も国王に進言してきた事が、ついに通ったことを理解した。
カーネル「ああ! これできっとこの国は良くなる!!」
私は希望に胸を踊らせながら立ち上がったのである。
◆◇◆
カーネル「……うう」
――私はいきなり一種の後悔に苛まれていた。
魔界への旅を申告し――、とある理由のために馬に乗って一人旅をしてきたのは良かったのだが……。私は自分の、その旅への適性のなさにため息を付いた。
カーネル「そういえば、かつての旅も――、勇者様や仲間に助けられてばかりだったしな」
王からの命を受けて魔界へとやってきて――、喜び勇んでいたのははじめの頃だけ、ずっと執務室にこもっていたが故に、久しぶりの旅ですぐに疲労がたまり、もともと苦手であった乗馬もあって少し気分が悪くなってきていた。
――もともとフィールドワークが苦手な自分では、こうなることは予想の範囲であるはずだった。
カーネル「むう……、そもそも魔界は、街道もまともに整備されていないし――。うう、どこから魔物が現れるか」
私は顔を青くしながら、馬上から周囲を見渡した。――森の奥から魔物が覗いているかのような錯覚を得る。
カーネル「うう……、やはり魔界は――、魔物は苦手だ」
私にとって魔物は一種のトラウマであった。――まあ、何度も追いかけ回されたから、ね。
カーネル「もうすぐ……魔王城であるはずだが――」
そう言って沈んだ表情でため息を付いていると――。
???「わ!」
カーネル「ひいいいいいい!!」
いきなり背後から声をかけられて、私は驚きのあまりに悲鳴を上げた。
???「ぬはははは!! カーネルぅ……、相変わらずいい顔で驚いてくれるのぉ!」
カーネル「うえ?!」
涙と鼻水を垂らしながら怯える私の頭上を、いたずらっ子のような笑顔の悪魔娘が飛んでいる。
それが誰か理解して――、私は顔を赤くして言った。
カーネル「レイ!! ――いきなり脅かさないでください!! 心臓が止まるかと思ったじゃないですか!!」
レイ「ははは……、まあ儂としても、勇者殿に貴様の迎えを頼まれた故に――、普通に歓迎してやろうとは思ったのだが」
カーネル「迎え? 勇者様の?」
レイ「その通りじゃ――。しっかし……、相変わらずの情けなさの漂うその顔――、イタズラしたくなるのも仕方がないとは思わんか?」
カーネル「全く思いませんとも!! ――ほんっとうに……、私は貴方が大嫌いです!!」
怒り顔でそう叫ぶ私を――、ケラケラ笑いながら楽しそうに見つめる魔族レイ。
かつての旅の仲間との再会に、昔の調子を取り戻しつつ、私は小さくため息を付いたのである。
◆◇◆
レイの案内で魔王城にたどり着くと、早速私は勇者様との面会を望んだ。
勇者様は少し出ているそうで――、しばらく応接間として使われている部屋で待っていると、外に出ていた勇者様が返ってきた様子だった。
勇者「おお! カーネル、久しぶりだな!」
カーネル「勇者様もお元気そうで何よりです!!」
私はその勇者様の笑顔に、なんとも嬉しくなって笑顔で返した。
勇者「はは――、つもる話もあるが……、少し忙しい身でな。早速要件を聞かせてもらってもいいか?」
カーネル「……あ、そうですね。お仕事の最中でしたか」
勇者「まあな――、魔界はまだまだ安定していないし」
カーネル「……」
私は少し心を落ち着けた後――、早速、今回自分が魔王城を訪れた理由を話した。
カーネル「実は――、私はヴァンドレイク国王へ進言していたことがあり――、今回それが通ったために参った次第で」
勇者「ヴァンドレイク国王? 進言? ――それは一体」
カーネル「勇者様――、どうか姫様達とともに王国へお帰りください――。現在勇者様にふさわしいポストを準備中でして――、将来的には国王を継いでいただいて――、国王は【勇者がそれを望むのなら】という条件でその進言を許可してくださいました」
勇者「……」
勇者様はすこし笑顔を消して私を見つめる。私は熱意を込めて勇者様に訴えた。
カーネル「勇者様――、王国の繁栄には貴方の力が必要なのです! もしなにか不都合があるなら、私が全力をもってお助けいたします!!」
勇者「……ええと」
勇者様は苦笑いをして私に言った。
勇者「そのために来たのかカーネル?」
カーネル「そのとおりです! 世界を救った英雄たる勇者様が――、称賛されることもなく、正しい権力を得るでもなくいることは、決して正しいことではありません!!」
勇者「カーネル……」
熱心に訴える私に――、少し真面目な顔になって勇者様は答えた。
勇者「……ごめん、カーネル。それは断るよ――」
カーネル「!! ――なぜですか?!」
勇者「まあ――、俺には今、やるべき仕事があるし……。そもそも国王になる器じゃないし」
私はその勇者様の言葉に、それまでの熱がすっかり冷めて――、そして、心のなかで思っていたことを言った。
カーネル「やはり、勇者様は人類があまりに愚かだから、このような場所に居るしかなくなったのですね?」
それは国王の宰相になって、しばらく後に考えた予想であった。
勇者様は本来は世界から称賛を受けて、絶対的な権力を得るべき人材であるはずだった。でもそれを勇者様は望まず――、人類圏から離れて魔王城に引きこもった。
――それは多分……、今自分が見ている権力争いをする貴族のような、愚かしい者たちの存在を勇者様が見て、それに失望したのだと私は考えたのだ。
苦しげにうつむく私をしばらく見つめた勇者様は――、
勇者「ぷ、ははははは!」
――いきなり可笑しそうに笑い出した。私はその笑い顔に困惑して勇者様に問うた。
カーネル「何が可笑しいのですか?」
勇者「いやごめん、真面目な話しだったな」
カーネル「?」
困惑して首を傾げる私に――、優しげな笑顔を向けた勇者様は言った。
勇者「お前さ、ほんの短い間だったが、一緒に旅したよな?」
カーネル「はい」
勇者「その旅で出会った人たちは、お前の目には愚かに見えていたのか?」
その勇者様の言葉に少しうろたえて私は答える。
カーネル「そ、それは」
勇者「魔王の脅威に晒され、苦しい事も悲しい事も日常で、それでも必死に足掻きながら、時に笑っていた人達が、お前の目には愚かに見えていたのか?」
カーネル「……」
黙り込む私に、勇者様は静かに笑って話を続ける。
勇者「まあ、お前の言う通り、愚かな奴も、下劣な奴も、世の中にはいるさ。少なくはないし、多分多いんだろう。――でも、そんな奴らの醜態を見た程度で、旅で出会ったみんなまでまとめて絶望して、見限るほど俺は夢見がちなロマンチストじゃないよ」
カーネル「ならば何故?」
勇者「そういった大事な人達が居るからこそ――だな」
そう言って勇者様は少し困ったような笑顔を作って続ける。
勇者「俺が人類圏に居続けると、少なくないバカ共に利用されて、みんなを傷つけたり、下手をすれば死なせるかもしれん」
カーネル「だから、ご自分が犠牲になると?」
私の悲しそうな表情に、勇者様は首を横に振って答えた。
勇者「いや、それは違うよ。――だってまだ此処に、苦しんでいる人達がいるんだから」
カーネル「あ……」
勇者様は私に真剣な目を向けて答えを示す。
勇者「魔王を討伐して人類圏を救う、その英雄譚は終わったが、それで世界が終わるわけじゃない。その先も世界は進み人々は苦難を乗り越えていかなければならない」
カーネル「……だから」
勇者「――そう、だから、俺の冒険はまだここで続いているんだ」
その言葉に私は全てを理解して頷く。
カーネル「ああ、私は何という愚かな勘違いを」
私は、自分の目に今見えている事だけを見て、勝手に勇者様の心を勘違いしていた。
――そう、王国の現状を見て、勝手に失望して――、人類圏を見限ろうとしていたのは、勇者様ではなく私であったのだ。
勇者様は、そんな私のような愚かな考えを持ってはいなかった。それどころか――、
カーネル(勇者様――、貴方は今も、殺し合いのような殺伐とした事は少ないが、おそらく永遠に滅びる事のない【大魔王】と戦っているのですね?)
私は納得の表情で勇者様を見る。
カーネル(願わくば――、その冒険の道連れになりたい所ですが、私にはやるべき事がありました。――勇者様の旅路が少しでも楽になるよう、私は王国を、人類圏をより良い世界にしなければならないのですね?)
そして――、私は、かつての旅を思い出す。
かつての旅は――、旅の苦手な私にとって困難の連続であった。苦しむことしか無く――、しかし、何故か心地よく楽しい旅だった。
旅で出会う人々の悲しみと嘆き――、そして、その先に得られた喜びの笑顔――。それは何よりの私の宝であり――、そして、それを皆に与える【希望】そのものであった勇者様の――、その笑顔こそが……。
カーネル「理解いたしました。非常に残念ではありますが」
――そう呟く私に勇者は静かに頷いた。
◆◇◆
レイ「おう、カーネル! もう帰るのか?!」
いたずらっぽく笑いながら飛び回る彼女を見て、私はスッキリした気持ちで頷く。
カーネル「今度は――、勇者様が忙しくない時に、普通に遊びに来ますとも――」
レイ「そうか……、まあ、楽しみにしておくか」
カーネル「ははは……、それはありがたいですね」
私は馬に乗って魔王城の門をくぐり抜けて、その先を進んでゆく。
すこし魔王城の方を振り返り見ると――、笑顔の勇者様が手を振っているのが見えた。
その姿を見て、――私は笑って手を振り返す。
カーネル(かつて勇者様と始めて出会った時、魔物に襲われ逃げ惑う私を助けてくださった時、不意に見せてくださった安心出来る笑顔。――それは今も確かに変わらずありました)
私は魔界の青い空を見上げて――、そして、一言声を発した。
カーネル「さあ……、王国に帰って――、次の仕事をするか!」
その魔界の空は――、人類圏の空と少しも変わらずに、どこまでも青く澄み渡っていた。