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八滴め『一滴ずつ紡がれ続ける物語』

 王都の豪華なホールには、名士たちが集まり、熱気に溢れていた。


 今夜のパーティーは、リラが新たに進める『ワイン事業の輸出拡大』『ワイン専門店の開業』、そして『カフェのチェーン展開』を発表するための重要な場だ。


 煌めくシャンデリアの下、リラは深い青のドレスに身を包み、堂々と来客たちと挨拶を交わしていた。その表情は自信に満ち、『残念なお嬢様』と嘲笑された頃の影は、もはやどこにもない。



 ◇



「リラ、お久しぶりねぇ」

 ──舞台袖で進行を確認しているリラの耳に、聞き慣れた皮肉な声が響いた。


 振り返ると、そこにはセシリアが立っていた。


 笑顔を浮かべたその表情は、一見親しげだが、その奥には挑発の色が滲んでいる。

 その隣には、エドゥアルドの姿もあった。彼は無言のまま、リラをじっと見つめている。


 セシリアはグラスを片手に、意味ありげに目を細めながら言葉を続けた。


「まあまあまあ、ずいぶん立派になっちゃって? こういうパーティーで主役を張るなんてねぇ」


 リラはその挑発を軽く受け流すように微笑み、「招待はしてないけど、来てくれてありがとう」と返す。


 セシリアはグラスを乱暴に回し、縁を指先でなぞりながら、鋭い口調で口を開く。


「それにしても──」

 セシリアの声には、嘲笑が混じっている。隠す気もないようだ。


「どう? カフェやワインに全力投球するのもいいけど、そろそろ『家庭』を築く準備もしておかないと、周りから哀れまれちゃうわよ?」


 リラはその言葉を一瞬無表情で受け止めたが、すぐに穏やかで冷ややかな笑みを浮かべた。


「私が哀れに見えるなら、見ている方の価値観が哀れなのかもしれないわね」

「……なんですって?」


 エドゥアルドが何かを言いかけたが、リラは彼に目も向けず、静かに振り返る。


「失礼。そろそろ舞台に上がらないと」


 司会者の呼びかけに応じ、リラは背筋を伸ばして歩き出した。

 その後ろ姿は、二人のいる空間から光の射すステージへと向かう。


 セシリアは軽く舌打ちをしながらグラスの中身を飲み干し、エドゥアルドはリラの背中を目で追っていた。



 ステージに上がったリラは、スポットライトを浴びながら堂々と挨拶を始めた。


「本日はお集まりいただきありがとうございます」


 流れるようなプレゼンテーションが始まり、壇上にはリラが用意した事業ビジョンを描いた一枚の絵画が掲げられた。


 そして、リラは満を持してこう続けた。


「さらに、本事業の成功を支える重要なパートナーをご紹介します」


 その言葉と共に、ステージの袖から一人の男性が現れた。


 黒いスーツに身を包み、堂々とした足取りでリラの隣に立つ。


 ──ルカだ。


 会場のざわめきが一瞬で静まり返り、空気が緊張に包まれる。


 リラは微笑みながらルカを紹介する。


「彼はサン・ベリコの農園を支える重要な代表者であり、私たちのプロジェクトを共に歩んでくださる方です」


 ルカが一歩前に出て、挨拶を始める。


「このプロジェクトは、サン・ベリコの地元の自然と、都会の人々を繋ぐ架け橋となることを目指しています。リラの情熱に刺激を受け、私も精一杯力を尽くしたいと思っています」


 その言葉にリラが微笑み返すと、会場の人々は二人の間に漂う特別な雰囲気に気づき始めた。


 リラの言葉が終わると、会場は拍手に包まれた。



 ルカが視線をこちらに向け、リラもまた彼を見つめ返す。


「ねえ、リラ」


 ルカは小さく囁くように声をかけた。

 その声はリラにだけしっかりと届いた。


「なあに?」

「ありがとな」


 その一言には、リラへの感謝だけではなく、このプロジェクトを通じて共に歩む決意が込められていた。

 リラはほんの少しだけ目を細めて微笑み、そっと頷いた。



 最後の挨拶を終え、二人がステージから降りると、待ち構えていた報道陣が二人に駆け寄る。


「リラさん、このプロジェクトには特別な想いがあると伺いましたが、具体的には!?」

「ルカさん! サン・ベリコの農園がここまで注目されるようになった秘訣は?」


 次々と飛んでくる質問に、リラは微笑みながら答える。


「私たちが目指しているのは、地方の魅力を都会の皆さまに届けることです。それだけでなく、都会に暮らす人々にも、少しでも心の安らぎを感じてもらえたらと思っています」


 ルカもそれに続く。


「サン・ベリコの自然の中で育まれたワインや果物は、素朴で温かい味わいがあります。それを都会の皆さんにも届けることが、私たちの夢なのです」


 ふたりが並んで立つ姿は、ワインボトルに描かれたラベルのように美しかった。

 会場にいる人々の間からも、感嘆の声が上がる。


 そんな中、ふとした隙間で、ルカがリラにだけ聞こえるように囁いた。


「なあ、俺たち、最高の二人だよな。よく頑張った」


 リラは小さく笑った。


「そうね。でも、私の方が少し頑張ってるかも」


 その言葉にルカは肩をすくめた。


「うん、それは認める」


 二人だけにわかる軽いやり取りは、これから先の未来を予感させるものだった。




 ──会場のざわめきが少し落ち着いた頃、カタリーナが静かに近づいてきた。


「リラ様、ルカ様。外で少し風に当たられては? お疲れのご様子です」


 リラはカタリーナの気遣いに感謝し、ルカに目配せをした。


「少しだけ外に行きましょうか」

「そうだな、さすがに疲れた」


 会場を抜け、二人は屋外のテラスへと出た。



 夜空には満点の星が広がり、都会の喧騒もここからは遠く感じられた。冷たい夜風が頬を撫でる。


「リラ」


 ルカがポケットから小さなものを取り出すと、それはリラのために用意した小さなペンダントだった。


「これは……?」

「リラが帰る前、ビビって渡せなかったやつ……貰ってくれる?」


 リラは驚きながらもペンダントをそっと手に取る──彼の手が、少し震えているような感じたのは気のせいだろうか?


 ペンダントは、蜜柑の形を象ったシンプルなデザインだが、その輝きは星空の下でひときわ美しかった。


「嬉しい……大切にするわ」

「うん」


 ルカはホッとしたように微笑むと、リラの肩にそっと手を置いた。


「これからも、ずっと一緒にやっていこう。どんなことがあってもさ」


 ルカの言葉に、リラはそっと頷き、目に浮かんだ涙を隠すことなく彼の胸に顔を埋めた。


「ええ」


 そして、ペンダントを握りしめ、リラは微笑みながら小さく呟く。


「……私、あなたと出会えて、本当に良かった」


 その言葉がするりと出て、自分でも少し驚いた。

 けれど、リラにはそれが嬉しかった。

 ──そういえば、名前を知った日にも自然と「ありがとう」と言えた。


「クソ馬鹿男と横恋慕女にも感謝だなー。神様もいい仕事した」


 ルカは軽く冗談を言いながら、リラを引き寄せる。


「でも、まあ……俺も感謝してるよ。リラに出会えたことにさ!」


 リラはその言葉に一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに笑みをこぼした。


「ふふ」

「リラが可愛いことにも感謝だし、あの時声をかけた自分にも感謝だ! 俺、最高ー!」


 ルカは「へへっ」と笑い、リラの額にキスを落とした。


「あなたも十分可愛いわよ」

「だろ? 俺って可愛いんだー。あっ、でも、一番可愛いのはリラだよ。王都一、可愛い。いや、世界一可愛い」


 リラはふと目を伏せ、少しだけ照れたように笑う。


「……そ、そんなふうに言われるなんて、慣れてないから、なんだか、恥ずかしいわ……」

「すぐ慣れる。これから毎日言うからな!」


 ルカの軽やかな声が胸の奥に響き、リラは小さく頷いた。


「……あなたにそう言われると、本当にそうなのかなって思えるの。不思議ね。でも……嬉しいわ……あの、毎日、言ってね?」

「うん、言う! 毎日言う! リラは可愛い!! ああ、今日のドレスも似合ってるよ。それに、目の下のキラキラも可愛いし、ピンク色のほっぺたも可愛いね。それに、オレンジ色の唇も最高に可愛い。食べちゃいたいくら──」

「も、もう、しつこいっ!」


 リラは、ルカの言葉を両手で口を塞いで遮った。


「もが、もが──こらこら、リラちゃん?」


 ルカはリラの手を捕まえて、にやりと笑う。


「最後まで言わせてよー」

「お、お手柔らかにお願いするわ……慣れてないのよ」

「かーわーいー!」

「ばかっ」


 ここで、ルカはふっと笑みを消し、真面目な顔でリラを見つめた。


 そして、静かに口を開く。


「俺、リラが好きだよ」


 その言葉に、リラは驚いたように目を見開いたが、次の瞬間、ふわりと微笑んだ。

 頬がほんのり赤く染まり、視線を少しだけ伏せながら、しっかりと頷く。


「…………私も……ルカが、好き。だいすき」


 リラはルカと見つめ合い、どちらからともなく笑みを交わした。


 その笑顔は、幸せそのものだった。





 ◆◆◆





 パーティー会場を後にしたエドゥアルドは、夜の空気を胸いっぱいに吸い込もうとした。

 けれど、その呼吸は浅く、喉を締めつけられるような苦しさを伴っていた。


 ……かつての自分なら、こんな辱めを受けることなど考えられなかった。


 ステージ上で輝くリラと、その隣に立つ男──ルカ。

 二人の姿が脳裏に焼き付いて離れない。


「くそっ……!」


 苛立ちをぶつけるように、足元の石を蹴る。

 しかし、固い石は微動だにせず、返って靴先にじんとした痛みが残っただけだった。


 その時、不意に後ろから声が響いた。


「エドゥアルド、久しぶりだな」


 振り返ると、そこには宝石商の嫡男、カールトンが立っていた。

 家族ぐるみで付き合いのある相手で、いつもは愛想の良い笑顔が印象的な男だ。


「ああ……久しいな、カールトン」


 エドゥアルドは眉をひそめながらも、気取った笑みを浮かべた──体裁を保つためには、どんなときでも『エドゥアルド=アストリア』でなければならない。


 だが、カールトンの表情には、いつもの愛想の良さとは違う、どこか軽薄で冷たいものが見え隠れしている。

 そして、彼が口を開いた瞬間、その違和感は確信に変わった。


「お前さ、失敗したよな。リラ嬢を手放すなんて」

「……何が言いたい?」


 エドゥアルドの声は低く、冷たかったが、内心のざわつきを隠せてはいなかった。

 カールトンは肩をすくめ、まるで無邪気な少年のような仕草を見せながら、さらに言葉を重ねる。


「いや? ただ、あのルカって男、うまくやったよなーって感心してさ。あー、そうだ。お前、もう終わりだって噂が立ってるぜ? 後継ぎには弟のほうがふさわしい、とかなんとか」


 エドゥアルドは思わず言葉を失った。


 カールトンの言葉は、いつもの軽口とは明らかに違う響きを持っていた。

 どこか優越感に浸っているようなその口調は、以前の彼が見せることのなかったものだ。


「……そんなわけが……」


 エドゥアルドの声が震える。


 カールトンはその様子を楽しむように、薄く笑う。


「冗談だと思うなら、確認してみればいい。お前がその無駄に高いプライドを振りかざしている間に、運命はもう決まってる」


 その言葉には、冷たさと、かつてエドゥアルドから受けた侮辱の復讐心が垣間見えた。


 気がつけば、カールトンの愛想の良さはとうに剥がれ落ち、そこには嘲笑を浮かべた男が立っているだけだった。

 カールトンは一度も振り返ることもなく、笑いを噛み殺しながら去っていった。


 残されたエドゥアルドは、そこに立ち尽くしたまま、じわじわと体の芯から冷え込むような感覚に襲われていた。


 彼の頭に浮かぶのは、ステージで輝いていたリラの笑顔だ。

 あの女はかつて自分のものであったはずの未来の象徴──いや、自分が当然のように享受するはずだった『勝者』の持ち物だった。


 でも、気がつけば、その未来は遥か遠くへと消え去っていた。


 手の届かないところにあるのだと、今さら思い知る。

 エドゥアルドは握り締めた拳を見下ろした。

 ……自分に残されているのは、空虚なプライドだけ。


 そして、夜の静寂に苛立ちをぶつけるように、乾いた笑い声を一つ漏らした。


 ◆


 片や、セシリアは会場内でグラスを手にしたまま、周囲の視線を気にしていた。


 誰もが自分を羨むはずなのに。どうしてこんなにも居心地が悪いのか。


 目の前では、リラが再びステージに上がり、会場の人々の注目を一身に浴びていた。

 スポットライトの下で堂々と振る舞うその姿に、セシリアの苛立ちは募る一方だった。


 自分こそがその場所に立つべきだ。


 ……そう思うたびに、胸の奥に鈍い痛みが広がる。


 そんな時、エドゥアルドがセシリアに近づいてきた。


「セシリア、ちょっと話せるか?」


 声を聞いた瞬間、セシリアは眉をひそめた。


「何よ」


 苛立ちを隠そうともせず答えると、エドゥアルドはそのままセシリアの腕を掴み、会場の隅へと連れ出す。


「やめてよっ、引っ張らないで!」


 セシリアは抵抗するように腕を振り払うが、エドゥアルドはいつもの冷静さを失った険しい顔で彼女を睨みつけている。


「リラへ嫌味を言うのはやめろ。何の意味がある?」

「は? 意味も何も、ただ本当のことを言っただけよ」


 セシリアは悪びれる様子もなく返す。


「あの人、確かに事業が成功してるみたいだけど、それが何? 私の方が華やかで──」

「お前がリラに突っかかるたびに、僕まで哀れに見られるんだ!」

「哀れに見られる? それ、エドの問題じゃないの?」

「ふざけるな!」


 エドゥアルドの声が怒りに震える。


「お前がいい気になって噂を広めたせいで、僕まで巻き添えを食らってるんだぞ!? お前が全部──」

「私のせいだって言いたいの!?」


 二人の言葉は次第に激しくなり、会場の隅から漏れ聞こえる声に人々の視線が集まり始める。


 その中で、セシリアの視線がふと、ステージ上に再び立つルカへと向かった。


 上等なスーツをまとい、堂々と立つ姿。

 どこか洗練された雰囲気──会場の誰よりも目を引く存在感。


 気づいてしまった。


 ルカは見た目も立ち居振る舞いも完璧で、エドゥアルドのようにイライラと怒鳴り散らすような男ではない。


 ……隣に立つなら、ああいう男がいい。


 その瞬間、ルカがセシリアの視線に気づき、一瞬だけ目を向けた。


 だが、その目には興味の色は微塵もなく、冷たさだけが宿っていた。まるで、「場違いな視線を向けるな」とでも言わんばかりに。


 セシリアは慌てて目を逸らした。


 その間にも、エドゥアルドの声は耳に響き続けている。


「聞いてるのか、セシリア!」


 セシリアはもう耐えられなかった。


「いい加減にしてよ!」


 怒りを隠すことなく叫ぶと、グラスを手にしたまま踵を返した。


「こんなくだらない話に付き合ってる暇なんてないの!」



 ◆



 エドゥアルドとセシリアが激しい口論を始めた頃、会場内では彼らを遠巻きに見守る来賓たちの間で、ひそひそとした囁きが広がっていた。


「見て、あれエドゥアルドよ。あんなところで何を揉めてるのかしら?」

「あら、相手はセシリアじゃない。彼女、以前カフェでもリラさんにつっかかっていたわ」

「ええ? さっきも嫌味を言ってたけど?」

「勝てるものは、胸の脂肪くらいだなー」

「言えてる。まあ、今となっちゃあ、可哀想だがね」

「ええ? 可哀想でもなんでもないわよ! あの浮気劇の結末なんて自業自得じゃない?」


 セシリアがヒールを響かせて場を去る様子を見ながら、別の男性が皮肉たっぷりに言う。


「エドゥアルドもセシリアも、自分たちが中心にいると思っているけど……真の主役はリラさんとルカさんだよな。なんて惨めな引き立て役だ」


 その言葉に、周囲がくすくすと笑い声を漏らした。




 ◆◆◆




 翌朝、エドゥアルドとセシリアの言い争いは、下品なゴシップ誌の大見出しで、王都中にさらされていた。


 《略奪愛の末路! エドゥアルドとセシリアが公衆の面前で大喧嘩!》


 この日の大見出しが王都中の注目を集めたのは、無理もない。


 《かつて社交界を賑わせたエドゥアルド氏。しかし、幼馴染のセシリア氏と『純愛』を装った略奪愛で婚約破棄に至り、今では『過去の人』として冷笑の的となっている。


 今回のパーティーでの二人の様子は、まさにその評判を裏付けるものだった。


 セシリア氏は、ドレスの選択を誤ったのか、体に合わない派手な装いで会場を歩き回っていたが、その視線の先には常にリラさんがいたという。いかにも嫌味を言おうとして近づいたものの、返り討ちに遭い、完全に言葉を失った挙句、怒りをエドゥアルド氏にぶつける結果となった。

 二人の声を荒げた口論はあっという間に注目の的となり、社交界の面々が見守る中、彼らの醜態は隠しようもなかった。


 エドゥアルド氏も、もはやかつての華やかな姿は見る影もなく、場の隅で目立たないように振る舞うばかり。セシリア氏に責められ、呆然と立ち尽くす姿は、往年の『王都の貴公子』の面影を完膚なきまでに打ち砕いた。

 二人が去った後、会場では「小さな劇場でも見せられたようだった」という皮肉めいた感想が飛び交い、その場の話題は完全に彼らの惨めな振る舞いで持ち切りだった》


 記事は、エドゥアルドとセシリアの無様さを描ききりながら、こう結んでいる。


 《もはや『愛の勝者』として振る舞っていた頃の二人はどこにもいない。代わりに残されたのは、浅はかな行動の末にすべてを失い、社会からも見放された滑稽な二人の姿だけである》


 対して、記事の終盤ではリラとルカが主役として称賛される。


 《対照的に、この日の主役はリラさんとパートナーのルカ氏だった。二人が並んでステージに立つ姿には、社交界の誰もが魅了され、その堂々たるプレゼンと美男美女ぶりに、多くの人々が感嘆した。

 セシリア氏が拙い嫌味を飛ばしていた間、リラさんは成功の階段を着実に登り、エドゥアルド氏は影の薄い引き立て役に甘んじていたのだ》


 セシリアは、記事を目にして呆然としていた。


 文章を読み進めるほどに胸の奥が冷たくなり、手にした紙がわずかに震える。


 ……こんなはずじゃなかった。


 鏡の中に映る自分の顔を見つめる。

 薄く化粧をした顔は相変わらず美しいはずなのに、どこか浅ましく見える。


 セシリアの周囲には、もう誰も寄り添ってくれる人はいない。

 リラに嫌味を言った自分の姿と、その後の人々の冷笑が脳裏にこびりついて離れない。


「……どうして、こうなったの……?」


 それ以上は考える気力も湧かず、ただため息をついて視線を逸らすだけだった。




 ◇




 その頃、リラとルカは記事の存在を知らず、穏やかな朝を迎えていた。


 柔らかな朝日が差し込むベッドの上、リラは寝転がりながらカップを口元に運ぶ。


「ルカ、今日の予定は?」


 隣で枕に片肘をつきながら、ルカはにやりと笑う。


「予定? ん~、このままリラをずっと抱きしめてるってのはどう? おいで、リラー」


 そう言いながら、ルカは片手を広げ、大げさにリラを招く仕草を見せた。


 リラはクスッと笑い、わざと少し身をずらす。


「それじゃあ一日何も進まないわ」

「でも休息は大事だ。それに、昨日まで俺らは馬車馬みたいに働き詰めだったし?」


 ルカはさらりと肩をすくめると、リラの手からカップを取り上げ、自分も一口飲む。


「あ、こらっ」

「なんか美味しく感じるなー。リラの隣で飲んでるからかな?」

「ふふ、仕方のない人ねえ」


 リラは呆れたように笑いながらも、そっとカップを取り返すと、一口含んで目を細めた。



 ──記事が取り上げる騒動や冷笑は、ここでは別世界の話。


 リラとルカにとって今重要なのは、この穏やかな朝を味わうことだけだった。




【完】

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― 新着の感想 ―
辛いときでも、何か自分を奮い立たせてくれるものを探すことのできるリラさんをすてきだと思います。 リラさんのもつ頑張りやのところ、真面目なところをすてきだと捉えるルカの存在。得難いですよね。いついつまで…
サン・ベリコの豊かな大自然と夕暮れの蜜柑色の光景が目に浮かぶようでした。 蜜柑ワインを飲んでみたくなってしょうがありません。 人は落ちるところまで落ちたと感じた時からが勝負ですよね。 後は上がるだけ、…
面白かったです! 情景の描写が素敵でした。 最後まで素性が分からないルカは一体何者だったのでしょうか(笑)
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