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六滴め『王都・ソレイオにて』

 ソレイオに戻ったリラは、父にカフェ事業への参入を提案した。

 サン・ベリコで得たインスピレーションを形にするためだ。


 それは、単なる気まぐれではない。


 あの場所で過ごした時間がリラに新しい目標を与えたのだ。


 逃避に見えた旅は、リラにとって未来を切り開くための旅だった。


 帰宅後、リラはカフェの準備に没頭し、半年という短い間に新しい道を一気に切り開いていった──




 最初の一か月間は、全体の計画を立てることに費やした。


 カフェのコンセプト、メニューの方向性、店の内装イメージを具体的に描き、まずは形にすること。


 父のつながりを通じて出会った地元の有力者たちからのアドバイスもあり、リラはビジネスプランをしっかりと練り上げた。


「まずは土台をしっかりと」


 リラは自分に言い聞かせるようにノートに書き込み、計画を次々と埋めていった。


 二か月目に入ると、リラは店の場所を探し始めた。


 王都の喧騒を忘れられるような静かな空間が必要だった。

 候補地をいくつか見て回る中で、とある旧図書館跡地にたどり着いた。

 その場所は、歴史を感じさせる美しい建物で、リラの心を一瞬でつかんだ。


「ここなら……サン・ベリコの雰囲気に通じる何かを感じられるかも」


 目の前に広がる古いレンガ造りの建物を見上げながら、リラは自分がここにカフェを作る未来を思い描いた。


 三か月目には、カフェの内装作りが始まった。


 葡萄園を思わせる自然なデザインにするため、リラは地元の職人たちに協力を仰ぎ、家具や装飾品の選定にこだわった。


 サン・ベリコの蜜柑をイメージした鮮やかなオレンジのランプや、柔らかな木目を活かしたテーブル、取り寄せた葡萄加工品をディスプレイに使い、自然の温かさを感じられる空間に仕上げていった。


 リラは職人たちとの会話を通じて、自分の想いを形にする喜びを感じた。


「これなら、あの村の空気を少しでも感じてもらえるかもしれない」


 そう呟きながら、リラは新しい家具が運び込まれる様子を見つめていた。


 四か月目には、スタッフの募集が始まった。


 経験豊富な人もいれば、未経験で緊張した様子の応募者もいたが、リラは一人ひとりと向き合い、店のコンセプトや自分の思いを伝えた。


「ここはただのカフェではありません。心を休められる癒しの場所にしたいんです」


 リラの言葉に共感した人々がスタッフとして集まり、チームが少しずつ形作られていく。


 リラ自身もメニューの試作やサービスの訓練に積極的に参加し、スタッフとの絆を深めていった。


 五か月目に入ると、カフェの宣伝が始まった。


 地元の新聞やラジオ、知人たちへの口コミを通じて、少しずつカフェの存在が広まっていく。


 カフェの名前は『Tales(テイルズ) of(オブ) Grapes(グレイプス) and(アンド) Oranges(オレンジズ)』──葡萄と蜜柑の物語。


 サン・ベリコの風景を思い出させるその名前を聞いた父は、嬉しそうに微笑んだ。


「いい名前じゃないか。リラらしい」


 その言葉に、リラは小さく笑って頷いた。



 そして六か月目、カフェのオープンを目前に控えたリラは、最後の確認とリハーサルに追われていた。


「リラ様、今日も順調ですね」


 カタリーナが笑顔でそう声をかけると、リラは軽く息をつきながら微笑んだ。


「ええ。でも、まだやることは山ほどあるわ」


 店内に並べられた新しいテーブルと椅子、カウンターに整然と並んだカップ。

 窓から差し込む柔らかな日差しが、カフェ全体を優しく照らしていた。


 半年間の努力の集大成が、目の前に形となって現れている。


 王都の喧騒の中でも、ここはきっと人々が少しだけ足を止めて休める場所になるはずだ。




 ◇◇◇




 無事にオープンしたリラのカフェは、忙しくも穏やかな日々に包まれていた。

 しかし、その平穏が一瞬だけ乱されたのは、ある日の午後だった。


 カフェのドアが開き、乾いたベルの音が店内に響いた──


「リラったら、ずいぶん『たくましく』なったのねぇ」


 挑発めいたその声に、リラはカウンター越しに顔を上げた。


 そこに立っていたのはセシリアだった。


 エドゥアルドの婚約破棄が起きたあの日から、彼女の顔を見ることはなかったが、その目は相変わらず相手を見下すような色を浮かべている。


 セシリアは堂々と店内を見回し、わざと大きなため息をついた。唇の端には、薄く嫌味な笑みが浮かんでいる。


「まあ、ずいぶんと『素朴』なカフェねえ……。これが、都会の社交界にいたリラの『夢』だったのかしらぁ?」


 彼女の笑みがじわりと広がる。その顔には、「こんなもので満足しているの?」と言わんばかりの侮蔑が滲んでいる。


「何のご用?」


 リラは冷静に尋ねた。その声には、微塵の揺らぎもない。


「別にぃ? ご用なんてないわ。ただ、あちこちで噂を聞いたものだから、見に来てあげただけよ」


 セシリアは皮肉げに笑みを浮かべ、カフェの内装を眺めながら続けた。


「これがあなたの『新しい人生』ってわけね。あはっ。まあ、こういう田舎臭いカフェがぴったりって感じよねぇ。都会では居場所がなくなったから仕方なくここに逃げ込んだ、ってところかしら。こんなところでちょっと頑張ってみせたって無駄なのに」


 セシリアの目がリラを値踏みするように動く。その視線には、優越感とわずかな意地悪さが混じっている。


 リラは目を細め、深く息を吐いた。

 よくもまあ、ペラペラと喋れるものだ。

 しかも、昼間のカフェで。


 ──かつての自分なら、この言葉に胸を痛めていたかもしれない。


 でも、今のリラは違う。


「忙しいの。用件があるなら、手短にお願いできる?」


 セシリアはリラの冷淡な態度にも気にする様子はなく、椅子に腰を下ろしながら鼻で笑った。


「忙しい? 違うでしょ。今のあなたには『婚約』とか『結婚』とかより、むしろ『逃げた』とか『捨てられた』とか、そんな言葉のほうが似合ってるみたいに見えるわ。ねえ、みんな色々言ってるわよ? 本当に大丈夫? 心配だわぁ」


 リラの指先がほんのわずかに震えたが、すぐにそれを制して微笑んだ。


「ご心配、どうもありがとう。でも、私はそう簡単に傷つかないの」

「まあ、本当にあなたが満足してるなら、よかったけどね? ほら、あの時のリラって、本当に惨めだったから。あんなに素敵な婚約者に逃げられた後で、まさかこんな場所で店を構えることになるなんて、誰が予想したかしら? あ、そうそう──リラは読んだ? 例のゴシップ記事。まあ、品性のかけらもない文章だったけど……正直、私には楽しめたわよ」

「そう。楽しめたのならよかったわ。品性のかけらがない人にはちょうど良い読み物だったでしょうからね」

「……なっ」


 セシリアは口をぱくぱくさせてから立ち上がり、リラに近づきながら、わざとらしく笑みを浮かべた──顔が少し引き攣って見えるのは、リラの勘違いでは決してない。


 そして、空咳を挟み、低い声でささやくように言う。


「エド、あなたが自分に未練があるって言ってたわよ。もう本当に迷惑してるって」


 どうだ、と言わんばかりの反撃だろうか、セシリアは「ふふんっ」と笑う。

 しかし──


「それはないわね。それより、彼に伝えておいて」

「? 何を?」

「もう手紙は送らないで、って。届いても全部処分するだけだ、って」

「……はあ?」


 セシリアの顔が一瞬歪んだが、すぐにいつもの意地悪そうな笑みを取り戻す。


「強がってそんな嘘まで……。惨めね」


 セシリアは踵を返し、ヒールの音を響かせながらカフェを出ていった。


 彼女が去った後、店内には一瞬の沈黙が訪れたが、すぐに常連客の一人が小さく笑い声を漏らした。スタッフたちからは控えめな拍手がリラに送られる。


 リラはその音を聞きながら、ふと肩の力を抜いた。

 胸の奥にあったわずかな緊張が、すっと消えていくようだった。


 そして、それが伝染するように、カフェはすぐに元の穏やかな空気を取り戻した。


 リラは深呼吸をする。


 かつての自分なら、きっとセシリアの言葉に胸をえぐられるような思いをしていたに違いない。悔しさや惨めさを噛みしめながら、何も言えなかったかもしれない。

 しかし、今のリラは違う。自分の足で立ち、未来に向かって進む覚悟を持っている。


 カフェの窓から外を眺めると、夕陽が瓦屋根の向こうに沈みかけていた。

 空はオレンジ色に染まり、その美しさにふっと心が和らぐ。


 リラは静かに微笑んだ。


「これでいいのよ。……私は、もう大丈夫」


 蜜柑畑の匂い、穏やかな風、そしてサン・ベリコで過ごした日々。リラの胸の中に浮かんでくるのは、あの場所で見た風景だった。


 ◇


 翌日の午後。


「リラ様、またあの方からお手紙が届いております」


 カタリーナが困ったように持ってきた封筒には、リラが見慣れた封蝋が押されていた。


「エドゥアルドからね……」


 リラは表情を変えずにその封筒を受け取り、中身を開く。


 《リラ、どうかもう一度会って話し合いの機会をくれないだろうか──》


 そんな書き出しで始まる手紙を、リラは一読してから、淡々とカタリーナに手渡した。


「……父に見せるからしばらく保管しておいてくれる?」

「かしこまりました。……ですが、リラ様」

「なあに?」


 カタリーナは少し言葉を選ぶようにして続けた。


「エドゥアルド様は、何かお話があるとおっしゃって、先ほど店にお越しになっています」


 その言葉に、リラの眉がわずかに動いた。


「……下に案内したの?」

「はい。断り切れず……申し訳ありません」

「いえ、いいのよ、謝らないで。どうせ、あの人が無茶を言ったのでしょう?」

「はい。……どうされますか?」


 リラは三秒ほど考えたが、すぐに頷く。


「行くわ」



 リラが階段を下りると、エドゥアルドはカフェの一番端の席に腰を下ろしていた。

 リラはその姿を見ても、ため息一つつくことなく、彼の目の前に立った。


「忙しい中わざわざありがとう。でも、私はあなたと話すことなんてない」


 エドゥアルドは微笑み、椅子から立ち上がった。


「リラ、そんな冷たいことを言わないでくれ。僕たちはまだ話し合う余地があるはずだ」


「何を話し合うというの?」

 リラは眉一つ動かさずに聞き返した。


「婚約は終わったのよ。私の父が正式にそれを宣言した。それ以上でも以下でもない」

「リラ……」


 エドゥアルドは声を低くして言う。


「君の父上が感情的になってしまったことは理解している。でも、それで全てを終わらせるのは間違っているよ。僕たちの結婚は、家同士の絆を深めるものだったはずだ」

「……感情的?」

「リラ、君も分かっているはずだ。僕たちの結婚は、家のためだけじゃなかった。僕は今でも……君が特別なんだと感じている!」

「あなたは私を裏切ったわ。そして、私に可愛げがないと言ったのよ」


 エドゥアルドの顔に動揺の色が走った。それは一瞬だけのことだったが、リラにははっきりと見えた。


「あれは誤解だ! 君にはもっと説明する機会を与えるべきだった! 僕だって感情に流されることはある! それに僕は君を可愛くないなんて……今は思っていないよ」


 ……こんなに頭の悪い男だっただろうか?

 言っていることがめちゃくちゃだ。


「説明なら十分聞いたわ」


 リラは冷たく言い放つ。

 それ以上の言葉を必要としないという断固たる意思がそこにはあった。


 エドゥアルドは焦りを隠せない様子で口を開く。


「リラ……君のためにも、僕のためにも、考え直してほしいんだ」


 その言葉に、リラは小さく首を振りながら静かに答える。


「いいえ、私は考え直さない。あなたは過去の人なの。何度言ってもわからないみたいだけど、何度でも言う。もうここには来ないで」


 その毅然とした言葉に、エドゥアルドは何かを言いかけたが、結局黙り込んだ。

 そして、無言のまま店を後にした。


 リラは背を向ける彼の姿を見送ることなく、そのままカフェの奥へと歩き出した。

 ……心の中で、ほんの少しだけ胸を締め付けるような感覚がよぎる。

 けれど、それもすぐに消えていった。


 過去は過去。


 リラの未来には、もはやその影は存在しない──それが自分で選んだ道だった。



(っ・д・)≡⊃)3゜)∵

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― 新着の感想 ―
(っ・д・)≡⊃)3゜)∵ (爆笑) 今度また来たら、言っても分かんないヤツには、やっちゃえ!
カフェに来たなら、茶の一杯でも注文しやがれ。
昔の男はゴミ箱に入れて捨てたらもう忘れるし、感情は戻らないんだよなぁ…。 捨てられた男がストーカーになりがち案件の根本を、何故教えないのかねぇ…
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