黒蟻女王、魔導王国の都市に攻め込む
「……本当に?」
「本当に」
「驚いたわ。一体どうしたのよ? これまでただぐーたらしてただけでしょうに」
「魔導王国が妾達の駆除に本気になるのが時間の問題になってきた。その前に攻めておきたい」
「ふぅん。その心変わりの原因は知らないけれど、ようやく本気になってくれたのね。もう少し遅かったらクーデターでも起こしてやろうかと企んでたのよ」
そりゃあ丁度良かった。虎視眈々と決起の機会を窺っていたなら頭数は充分にあるだろう。さっき見た限りターマイトソルジャーも良く訓練されていたし、魔導王国の魔導兵ぐらいは楽勝だろう。
妾は指で地面に簡単に地図を描く。で、妾の巣とイヴォンヌの巣の位置にバツ印を付けて、イヴォンヌの巣から線を走らせた。隣接する魔導王国の城塞都市、およびその先にある複数の街へと。
「知っての通り魔導王国は国境沿いに強力な結界が張られてる。そびえ立つ城壁はおろか上空を高く飛んでいっても結界に阻まれちゃうだろ」
「でも地中深くはその限りじゃない。そうでしょう? 地層や地下水脈など障害物が多すぎて結界の効きが良くないのかしらね」
「バカ正直に城壁に突っ込んでかなくたっていい。城塞都市とその奥の街まで巣穴を作ってしまい、地上に出て攻め落としちゃおう」
「城塞都市は分かるけれど、近隣の街も制圧するのはどうして?」
「差し向けられる討伐軍を迎え撃つ前線基地にしたい。城塞都市は巣にしちゃおう。それで、巣穴を作るのにどれぐらい時間がかかる?」
人間どもと違って妾達は地中でも活動できる点が有利なんでね。有効活用しない手はない。正々堂々とか人間がのたまう綺麗事は関係ない。こっちは生存がかかってるんだ。弱肉強食って自然の掟に従ってもらおう。
「実は城塞都市まではもう出来ちゃってるわ。後はロザリーの承認待ちなだけよ。けれど近隣の街までは、そうね……三日ほど頂戴」
「うーん。じゃあ今晩にでも城塞都市を攻め落として、近隣の街は穴が開通した後にしよう。それでどう?」
「いいわよ。それで、攻め手はどっち? 私? それとも貴女?」
「巣穴から出るのはイヴォンヌ達シロアリ。結界が決壊したら妾達アリが地上から攻めるから」
イヴォンヌは恭しく一礼してから自分の子供に指示を送る。女王の命令を受けてシロアリ達が忙しなく動き始めた。イヴォンヌはそんな働き様を眺めながら面白いと微笑み、卵を生み続ける女王の頭を撫でた。
「任せて頂戴。それよりそっちの準備はどうなの? まさか平和ボケしてないでしょうね?」
「こっちはこっちでエルフ共への警戒要因で頭数増やしてたんでね。多分そっちと同じぐらいはいるんじゃない?」
妾とイヴォンヌは共に笑いあった。
さあて、人間風に言うなら、明日はテーブルの上に並べられた料理を思う存分食べるとしよう。
■(三人称視点)■
魔導王国のある城塞都市。ここは強力な魔物が多く生息する魔の森と隣接するため、王国でも重要拠点と位置づけられている。何度か掃討作戦が計画されたものの、何故かこの規模の魔物生息区域にも関わらず特に大きなスタンピードも発生していなかったため、そこまで警戒はされていなかった。
そんな城塞都市に人類に反旗を翻した勇者一行の一人が紛れ込んだと情報が入ってきたのは一週間ほど前。討伐隊が城壁を超えて魔の森に入ったのが三日前のことだった。人々は多少の不安は抱きつつも平穏な毎日を続けていた。
「しかしなんだが、どうして勇者様達は追放されたんだぁ?」
「俺は王様を侮辱したって聞いたぜ」
「俺は王女様との結婚を断ったからって聞いたぞ」
「俺は金をがめつく要求したからって耳にしたぞ」
今日もまた仕事を終えた男達が勇者一行について酒の肴にして飲み食いする。魔王軍の脅威にさほど晒されていない魔導王国の者達は自然と勇者一行とはほぼ無縁だったため、遠くから伝わってくる噂話でしか知らないのが現状だった。
酒場は大勢の客で賑わっていた。思う存分語り合い、交流を深める。店員達が忙しなく動いて料理や酒を振る舞っていく。それは城塞都市の日常の一コマを切り取ったもので、彼らはそれを満喫していた。昨日と同じように今日も。
「おーい嬢ちゃん。酒が切れちまった。追加よろしく頼むわ」
「はーいただいまー」
女性店員はエールジョッキを回収して酒樽のある地下室へと向かった。そして酒樽からジョッキにエールを並々と入れていく。いつもの作業、いつもの客層。仕事が終わったらどんな賄いが出るだろう、と想像するまでいつもの通りだ。
そんな日常が崩壊する。彼らが想像しない地下の世界から。
仕事に一生懸命な女性店員は気付かない。いつの間にか地下室の床に大穴が開いていて、巨大なシロアリが這い出したことを。そして彼女の背後に迫っており、大アゴを広げていることに。
「お、嬢ちゃん。やっと戻って……」
そんな地下室への通路の近くに座っていた男が振り向いた先にいたのは女性店員ではなかった。おびただしい量の血と肉片を大アゴにこびり付かせた巨大なシロアリがすぐ目の前まで差し迫っていたのだ。
男はすぐに眼前の光景を理解出来なかったし、理解することもなかった。直後にシロアリの大アゴが男の頭部に噛みつき、すぐさまその頑丈な頭蓋骨を砕き、貪り食ったからだ。
それだけに留まらない。地下室からぞろぞろとシロアリの群れが這い出て来る。そして酒場の者達が大混乱に陥る前にそれぞれの獲物に向けて襲いかかった。たちまちに酔っ払い達が捕食されていった。
「あ、アリだぁぁっ!」
と男衆が絶叫を上げるのも無理はないが、ロザリーがこの場にいたらこうぼやいただろう。
「いや、アリじゃなくてシロアリだから。一緒にしないでくれ」
と。