黒蟻女王、策で河辺都市を滅ぼす
■(第三者視点)■
魔の森を起点に発生した巨大アリの魔物によるスタンピードが魔王軍の侵攻によるものだと判明し、更には大規模な討伐軍が一日で全滅したことは魔導王国中に衝撃をもたらした。
とりわけ戦場となった地域からほど近い河沿いの都市は次にアリの大軍勢に襲われることがほぼ間違いないため、命が惜しい住人はこぞって脱出を始めた。ある者は遠い親戚を頼り、ある者は遠くでやり直すべく全ての財産を持って。
しかし、半分以上の住人は金もなければツテもない。そんな一般市民にも国が疎開のための支援に乗り出しており、数日中には避難が完了する予定だ。しかしそれではアリの進軍速度から逆算すると半分近くの避難が間に合わない見込みだった。
活気を失い静まり返った都市内で人々は避難準備をしながらも生活を送っていた。物流も混乱に巻き込まれて食料も減る一方、水が豊富で乾かずに済むのだけはありがたかった。その日も住人は豊かな水源で喉を潤した。
その日、小規模な巨大アリの群衆が都市より遠い位置で発見された。
巨大アリ達は忙しなく何かをしているようだが、時折位置を変えるだけで都市に何かを仕掛けているようではなかった。距離が遠すぎるのもあって攻撃も出来ず、討伐部隊を差し向けても間に合わない。害を及ぼさないならと放置するしかなかった。
同時に巨大アリ達が河の上流で何かを投げ入れているのも発見された。しかし大河の水量は膨大で、例え毒を入れたとしても致死量には及ばない。用水路への分岐点は守られたままのため、水質調査を継続することでこちらも放置となった。
住人達に異変が生じたのは次の日のことだった。
老人や子供から体調不良を訴え始めた。診断をすると全員毒の症状が出ていることが分かり、直ちに環境の詳しい調査が行われた。しかし空気、水質、食料、土壌などあらゆる項目が基準以下となっていて、原因は分からずじまいだった。
その次の日には体力のある大人までもが不調になった。巨大アリ対策で派遣された十賢者二名もまた例外ではなく、そのうちの一人が残された体力を削って懸命に解明挑んだ。
最初に異変が発生して三日目。決して少なくない数の死者が発生し、十賢者の一人がようやくアリの仕業だと突き止めた。しかし毒に蝕まれた状態で無茶をしたことで体力が底をつき、もう一人の十賢者に後を託して力尽きた。
「水質汚染と大気汚染が原因……?」
報告書を読んだもう一人の十賢者はようやく手遅れであると悟った。
水を汚染した毒と空気を汚染した毒。どちらも単独ならば基準値以下なので健康に支障は無い。しかし両方を身体に飛び込むと途端に反応を起こして強力な毒素が生じ、身体を蝕んでいくのだ。
平野で何かしていた巨大アリの群衆は常に風上に立っていた。大気中に毒素をばらまいていたに違いない。河の上流でも毒の塊を放り込んでいたのだろう。どちらか一方だけでも阻止していれば今頃はこのような被害を受けなかったのに。
「ど、毒除去の魔法キュアポイズンで……」
しかし毒を除去するためにはその毒についての知識が必要だ。住民を苦しめる巨大アリの毒は今まで体験したことのない未知の物質。解明は間違いなく出来るだろうが研究する時間が全く足りない。
既に仕掛けられた段階で詰んでいた。それがもう一人の十賢者が導き出した結論だった。
もう一人の十賢者は用水路や井戸の水は決して飲まないように都市内に通達。更にこれ以上毒素を吸い込まないよう口を布などで覆うように厳命した。治療方法を先に確立させるために少しでも毒の進行を遅らせる措置を取ったのだ。
そんな少しでも希望に縋る努力を嘲笑うように巨大アリの軍勢が姿を見せた。
そして毒まみれとなったこの都市を攻め落とすべく侵攻を開始……しなかった。
巨大アリ達はこの都市を守る防御塔の射程圏の外を迂回して素通りしていく。
「は……ははは。もう我々に攻撃を加えるまでもない、ということか」
都市へと繋がる全ての陸路は封鎖された。河も上流と下流両方に部隊が配置されている。上流では毒の塊が投げ入れ続けられ、風上では毒素が依然としてばらまかれている。もはやもう一人の十賢者を始めとして生き残った者達は何も出来ない。
せめてこれまで培ってきた十賢者としての……いや、せめて魔導師としての技術を遺憾なく発揮した戦いの末に討ち果たされるならまだ矜持が許しただろうに。何も出来ずに毒で命を落とすことになるなんて。
もう一人の十賢者はそう悔やんだまま倒れ伏し、二度と起き上がれなかった。
数日後、その都市に残っていた住人の大半が命を失った。
感の良い者だけが備蓄の水でやり過ごしで一時は助かった。
しかし無抵抗となった都市から餌を回収するために入り込んだワーカーアントやターマイトワーカーによって無慈悲にも連れ去られることとなった。
河辺の都市はこれまでの先例に漏れず、誰一人として残らぬ無人の廃墟となった。