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善と偽善について
助けを求める人がいたとする。一般的に言われる「善」はその人が助けを求めたから助ける。「偽善」は自分の評価を上げるために助ける。そんなもんだろう。私はここに差異はないと考える。「まわりから見たらどちらも同じ」とかいう表面的なものではない。根本からほぼ変わりがないということだ。
人は欲によって行動する。眠いから寝る。腹が減るから食べる。ではここでの欲はなにか。偽善の欲はわかりやすい。自分の評価を上げ、モテたい、褒められたいとかだろう。善の欲は人が幸福になってほしいみたいなところだろうか。共通点はどちらも最終的には自分が気持ち良くなるのだ。モテたら気持ちが良い、人が幸福になると気持ちが良い、結局は自分のため。
ではなぜ偽善は偽善とよばれるのか。それは「大衆がそう考えるから」という曖昧な答えしか出ないだろう。
しかし、この考えは「まわりから見たらどちらも同じ」という意見で意味がなくなる。こんなことを考えても意味はないかもしれない。だが考える。考えるのは気持ちが良いから…