第5話「吸血姫と赤の檻」
冒険者ギルド『銀剣の宿』にて、レントが受付嬢に振り回されながらも冒険者登録を完了した同刻のこと。
レントと別れた、"第一魔族領の領主"フレウ・ファーレ・ライフォスとその従者レミ・ウォッタビアの二人は、魔族領を取り纏める有力貴族の一家『マニュエルノッティ家』の応接室へと招かれている最中だった。
「こちら、どうぞお召し上がりください」
透明な硝子で作られた美しいテーブルの上に、ティーカップがひとつ置かれる。
使用人は手にしていた綺麗なティーポットを傾けて紅茶をティーカップへと注ぎこむと、暖かな熱気の立ちこめるそれをフレウの手元へと持っていった。
「うむ。気遣い感謝するぞ」
フレウは渡された紅茶に口をつけて、ひとつお礼をする。
その様子を見て、礼を受けた使用人とフレウの後ろで仕えていたレミ・ウォッタビアは少し目線を動かすが、しかし直ぐに元の業務へと戻っていった。
その様子に、フレウは思わず心の中で苦笑する。
本来、国を統治している王やそれに準ずる要人の飲食物ともなれば、まず毒味役となる従者が口をつけるべきなのである。
暗殺や強襲、王命を狙った輩にどれだけ気をつけていても、ある日食事に盛られた毒でコロッと死にました......なんてことが、日常茶飯事にある世界でフレウたちは生きているからだ。
しかし、フレウはその辺を気にしない。
何故ならば、フレウは自他ともに認める実質的な魔族の王ではあるが、しかし魔族領───ここ、魔国ファレアレクにおいては、彼女は新参も新参であるからだ。
「当主様を呼んで参ります。少々お待ち下さい」
魔国ファレアレク、第一魔族領の領主。
父君である『シレン・ファーレ・ライフォス』が三年前に病死した後、フレウは今の地位を半ば自動的に手に入れた。
しかし魔国の第一領領主とは、たしかに人族域でいう『魔王=魔族の王』を表す存在ではあるが、その肩書きとは裏腹に実質的な魔国の王と呼べる存在では無かったのだ。
理由は、二つある。
ひとつは、そもそもとして魔国は絶対君主制ではないからだ。
現在の長きに渡る人族国家との戦争により国力が低下した状態でも、第一から第七までの魔族領が存在している。
そして、その第一から第七までの全ての領に一人ずつ各種族を取り纏める領主が存在しており、計七名の王が提携する形で国が成り立っているのだ。
これはそもそもの魔国の成り立ちとその歴史によって確立された『擬似共和制』であり、様々な種族が寄り集まってできたお国柄上、文化や食性の違いが激しくひとつの王の元で管理するのは些か無理があったからである。
そしてフレウが実質的な魔族の王といえる立場ではない、もう一つの理由だが……
「あら、みなしごの領主様じゃない。ご機嫌よう。
来訪が遅すぎて今日はもう来ないものと思っていたわ。貴女も随分とまぁ偉くなったものね?」
「……あぁ、すまなかったの。シャルロッタ。
少し露店に目がいってしまってな。到着が遅くなってしまったわ。待たせて悪かったのう?」
───そう。
それはフレウが『ライフォス家』直系の子孫ではなく、数年前に拾われた《幽鬼族》の生き残りの養子であるというのが対外的に大きく作用しているのだろう。
フレウを貶す二つ名を口にした少女。
そんな少女に目くじらを立てるレミを目線で諌めながら、フレウは少女に対して軽く笑いかけて謝罪の言葉を口にする。
「ふぅん、露店ね。まぁいいけれど。
そんな所で油を売っている余裕が、貴女にはあるのかしらね。フレウ・ファーレ・ライフォスさん?」
黒に赤の差し色を基調としたゴシックロリータのドレスに、左眼を覆うレースの黒布。
薔薇の装飾が施された黒のカチューシャを身につけており、それによって纏められた美しい銀の髪は、耳元あたりで両サイドの巻き髪と肩上ぐらいまでの後ろ髪に分けられている。
身長はフレウより少し高いぐらいで華奢な少女といっていい。
しかし、その少女のような姿とは対照的に、彼女の立ち振る舞いは理知的な印象の灯る貴族としての洗練された所作が窺い知れる物だ。
───シャル・エルロッタ=マニュエルノッティ。
彼女はこの第一魔族領の裏社会を牛耳る吸血鬼一族、裏の領主とも言うべき『マニュエルノッティ家』の現当主の吸血鬼である。
又の名を、"血化粧の吸血姫"。
長きに渡る三十年間の人族との戦争で、何よりも冷酷に、表情一つ動かさず迫り来る敵を殲滅する様から付けられた、仲間内からの異名であった。
「はは。油を売る、か。言い得て妙じゃな。
……しかし、これがまた存外良い物が見つかってのう。露店も中々侮れんよ?シャルロッタよ」
「はぁ。そう。でも、それで待たされる此方の身にもなって欲しいのだけれどね。領主様?」
魔国にある他の領土に比べて、比較的、血気盛んな奴らが多い《鬼族》の縄張りとしている第一魔族領。
そしてその土地柄や精神状態によって様々な進化をみせる鬼族の中でも特に血の気の多いのが、戦闘民族『吸血鬼族』の特徴だ。
「あぁ、すまんすまん。
本当に申し訳なかったと思っておるよ。
次は無いようにする。悪かったな。シャルロッタ」
そんな、ヤバい奴らの元締めである吸血姫に圧を掛けられて、内心冷や汗をかきながら紅茶を口に含む。
───そして。
そんな内心の動揺をおくびにも出さず、しかしその一口で紅茶の半分も飲み干した頃。
「……して、それでなんじゃが。
お主、妾に話があると言っておったな?一体何用じゃ?
申してみよ、シャルロッタよ?」
そのままの流れで、今度は逆に此方が圧をかけるようにフレウはそう問い掛けたのだ。
そう、この第一領内での実権ではあちらの方が上かもしれないが、建前上の立場としては流石にこちらの方が優勢なのだ。
……だからこそ下手に下手に出て主導権を握られると、今後の交渉に関わってくる。
そして、そうなると本当に『マニュエルノッティ家』に第一魔族領の全実権を握られかねないのである。
だからこそ、フレウは内心緊張していても、最大限圧を出すように目を細め、あくまでも上からの立場で『申してみよ』と質疑の問答を仕掛けたのだ。
そして、そんなフレウの対応を受けて、ついぞ冷徹なる《血化粧の吸血姫》はその血色の瞳に冷ややかな光を浮かべながら今回の議題について口にした。
「えぇ、そうね領主様。
このまま二人で紅茶を傾けながらの世間話も良いけれど、貴女のせいで茶会の時間も大分過ぎてしまったしね。
それでは……さっそく、本題に移らせて貰おうかしら。」
そう、そのフレウの首筋に。
友人に手でもこまねく様な自然な動作で鋭い薄両刃の細剣を突きつけながら───。
「……貴女、自らの家内に人間の男を匿っているでしょう?
それも元々は勇者の身分だった少年を。
一体第一魔族領の領主様である貴女は何を考えているのかしらね?
とりあえず……話を聞かせてくれないかしら?」
逃がさないぞ、という感情の籠ったフレウよりも濃い血のような瞳を向けながら、第一魔族領を治める彼女達の戦闘の火蓋が切られたのだ。
ーー
バチィィッ───!!
ガキィィィン───ッ!!!
『マニュエルノッティ家』のお屋敷の空。
中庭にある吹き抜けから飛び出す形で二人は距離を取り、フレウは屋敷の屋根で、シャルロッタは中空で型を構える形でそれぞれ剣戟を交えていた。
既に両者の実力は拮抗しており、先程の話し合いから十分程度が経ち長い長い睨み合いが続いている状態だったが、どちらもここぞという所まで攻めきれずにいた。
「ッ───、は───!!!」
キィイイインッ───バチィッ!!!
空から急降下して斬りつけるシャルロッタ。
フレウはそれを何とか懐の打刀を抜刀し、すんでのところで側方に逸らす。
(チッ、子奴やはり吸血鬼なだけあって力強いのぉ……!
少し斬撃を逸らすのが遅れただけで、面白いぐらい手がしびれておるわッ……!)
そう、だが互いの実力が拮抗していると言っても、それは実力だけの話だ。
戦闘場の環境において明らかな有利を取っているのは蝙蝠の羽によって空を飛べるシャルロッタであり、フレウもそれを分かっていながらも受け身に回るしか出来ない状況に内心では酷く歯噛みしていたのだ。
「あらあら、どうしたの?フレウ・ライフォス。
防戦ばかりで……反撃しなくていいのかしら。このままだと答えも聞けずに死んでしまうわよ?」
上空でくすくすとシャルロッタが嗤う。
此方が空への攻撃手段が無いことを理解しながらも、嘲笑い、戯ける……いや、理解しているからこそフレウの事を煽っている。
それはさながら、赤子を手の先であやし遊んでいるような余裕の感情が伺える見下しの笑みであった。
「うむ、そうじゃな……。
そろそろ妾としても、一撃加えたい所ではあるが。
あいにく、妾に翼は生えておらんでな?そちらが降りてきてくれると有難いんじゃがの?」
優雅に空を浮かびながら、鼻歌でも歌うかのように日の落ちかけた空を舞い踊っているシャルロッタ。
そんな彼女を見て、一羽ばたきもできず飛べない鬼は何を思うのだろうか。
眼下の中庭では、レミが使用人の吸血鬼相手に大立ち回りを行っている。
掴んで投げての攻勢に出ているが、しかし多勢に無勢だ。あれが通用するのも時間の問題だろう。
(うーむ、あのままじゃまずいの。
レミは腕力は並外れて強いが、戦闘特化の鬼ではないからな。しかし救援に行こうにも、此方も打つ手がない状況、どうしたものか……)
思考を続けながら空を見上げ、そしてシャルロッタの背後にある夕焼けの光に目を細めるフレウ。
そんな彼女を見下しては、可哀想だと嘲るように口元に手を当てるシャルロッタは細剣を正眼に構えた。
「ふふ、降りて来て欲しい、ね。
……じゃあ、本当に此方から行こうかしら?
───血よ。踊り狂い、叫べ。獄炎魔法《灼ゆる血の厄災》」
───瞬間。
横凪に振り抜いた細剣から、赤熱の炎が大空に轟く。
いや、よく見れば細剣からではない。
振り抜く前に切り付けた自らの手首の滴る血。
そこから湧き上がるように血が蠢き、踊り、燃え盛り細剣に纏わりついて赤熱の炎と成しているのだ。
「さぁ、みなしごの領主様。
───これは、当たると痛いわよ?」
傍からでも解る、血が滾るような熱気。
ジリジリと肌が焼けていくような、吐息が熱く温まるような滞空温度の上昇。
そんな、人を殺す熱意の籠った《赤き炎の大剣》が、上空の空にて顕現している。
「これは……まずいのぉ。
流石に、妾の幽鬼族の肉体でも耐えられんぞ……?」
吸血鬼の真祖であるシャルロッタの血を媒介にして、発動された獄炎魔法。
その猛き炎は、全てを焚き尽くす業火の炎である。
対して、それを振るわれるのは幽鬼族の肉体。
体内魔力と肉体強度を程良く高水準で有し、鬼の長所と短所を良い所で補い合っているオールラウンダーの身体だ。
だからこそ、耐えられない。
素のままの肉体では、あの業火の炎には魔力強度と肉体強度の両面で耐えられないと直感した。
「じゃ、フレウ・ライフォス。
次は地獄で、また殺り合いましょうかッ───?」
「ッ!?まず、回避が間に合わな……ッ?!」
そして、その赤熱の大剣が、瞬間的に加速したシャルロッタの羽ばたきによる踏み込みと同時に、袈裟斬りにてフレウの幽鬼族の肉体に叩き込まれて───!
「ははッ……なぁんてな?ふんッ!」
「ッ、は───?」
次の瞬間だった。
太陽が落ち、完全に夜の闇が世界を包み、月が顔を出して全てを照らし出した時。
そこにあったのは、馬乗りになってシャルロッタの首に懐刀を突き付けるフレウの姿だった。
「ぐ、あぐぅ、はぁ……?
あ、貴女、な、何故生きて……ッ?」
さっき確実に燃やしたはず……!
そう呟きながらシャルロッタは体を動かそうと必死に力を込めるが、しかし腕はしっかりと拘束され、マウンティングの体勢で固められており抜け出せない。
……何より、首元に当てられた小刀。
それは恐ろしい程に冷たい光を放つ鋭さで、少しでも動けば首が切られてしまうだろうことが分かる業物だった。だからこそ、シャルロッタは動けなかった。
「……ふむ、なるほどな。何故生きている、か。
あの炎の中で、どうやって?と」
「そんなのは簡単な事じゃ。
"血化粧の吸血姫"。お主の戦場での噂を聞いておって、お主の得意な火属魔法の対策をしてこない訳がないじゃろう?ほれ、これ見てみぃ?」
そうして見せたのは少しすす焼けた服だった。
水色のワンピースと和装を合わせた和洋折衷の様な服装だ。
ゆるっとした黒線の魚と波線円の絵が描かれた水色の布地を、白に草花の柄の帯で蝶結びした服装。
───そしてよくよく見れば、その『黒線の魚と波線円の絵』……二つの紋様が二つの袖を合わせることによって『水属魔法陣』を形作り、火に対する耐性効果を付与出来るようになっているではないか!
「はぁ……なるほど、ね。最初から真正面に私を誘い込んで返り討ちにする手筈だった、ってことね……。」
「まぁ、そうじゃな。
妾としても、流石にあのまま空から打ち下ろされておったら勝ち目は無かったかもしれんわ。
ありがとうな。簡単な挑発に乗ってくれてのう?」
そして、そんな事を語りかけて、地面に這いつくばり悔しがるシャルロッタを見詰めながら。
鬼の少女は少し空を見上げたあと、何かを思い出すようにくすりと笑って、小刀を当てつけた方の人差し指───その中程に付いていた銀色の指輪を掲げる。
「……しかし、じゃよ。
シャルロッタ、それよりもな?」
そしてその指輪を見つめて……とても、嬉しそうな恍惚な様子で呟いたのだ。
「やはり露店はいいものじゃぞ?
とても嬉しい掘り出し物が、ともすれば自分の大好きな人間から貰えるかもしれんからの?」
「この、夜の空のように綺麗な。
───妾の、月の輪のリングのようにな?」
そうして、月明かりに照らされて。
キラリと光る彼女の月の輪の輝きと共に、後に『第一魔族領』の分岐点とも呼ばれる二代鬼族の戦いは幕を下ろしたのだ。
一人は、苦渋を与えられ、情けまでかけられたと嘆きながら。
しかし、一人は自らの指に光る月の輪に、満悦の笑みを浮かべながら───。
鬼と吸血鬼の縄張り争いとも言える戦いに、今宵、一先ずの終止符が打たれたのだ。




