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彼の言ったことが嘘か本当かなんて、直接聞き出さなければわからないだろう。それは、ミオリも頭ではわかっていた。けれども仮にラーセとシュヴァーに問うて、あの彼の嘘が暴かれたとしても、ミオリがそれを真実だと認められるかどうかは、また別だった。それはもう真実がどちらにあるかという問題ではなく、ミオリの心の、捉え方の問題だった。
だから、ラーセとシュヴァーにミオリに対する態度は「仕事」なのかと問うことも、その答えを聞くことも、今のミオリの状態ではなんの意味もないことだった。
それに無駄に問うたことで、万が一今の生活を失うことになるかもしれないという可能性は、ミオリにはとても恐ろしく思えた。
ミオリに「真実」を突きつけた彼は、ミオリたちの家の玄関扉をくぐる前ですら、まだなにか物言いたげな顔をしていた。ミオリへ、まだ文句を言い足りなかったのかもしれない。けれどもミオリはもうそんな残酷な「真実」は聞きたくなかった。わずかな時間の、たったあれだけの言葉で、ミオリの精神は恐ろしいほどに損耗していた。
「真実」にはきちんと向き合うべきだとは、思う。「真実」から目をそらすことは、誠実さからはもっとも遠い行いだろう。けれども今のミオリにはその「真実」を見据えるための気力はとても残ってはいなかった。だから、ミオリはその「真実」から目をそらし、逃避に走った。
彼が玄関扉の向こう側に消えたのを見送る。ドアの閉まる音が、やけに大きく聞こえた。ミオリは、隣にいるシュヴァーを見れなかった。シュヴァーを見ることで、彼にとっては理不尽な怒りの感情でも湧いてくるのではないかと思うと、ミオリは自分が怖くなった。
「……シュヴァーさんも、すぐ戻りますか?」
「うん。そうしたいところなんだけど……うん」
珍しくシュヴァーが歯切れ悪く言う。ミオリは、それを理解した瞬間に、悪い想像ばかりが体中を埋め尽くしたような気になった。
――もしかして、先ほどの彼の言葉をシュヴァーは聞いてしまったのではないか。もしそうであれば、自分の行いに対して罪悪感を抱いてしまったりしないだろうか。シュヴァーは、優しい人間だから……。
「突然だけど、ミオリちゃんに言っておきたいことがあって。本当に突然だし、言われても困っちゃうとは思うんだけど、どうしても言っておきたくて……」
シュヴァーが、こちらを慮っていることが、ミオリにはよく伝わった。妙に迂遠で予防線的な前置きをしているのは、シュヴァー自身のためというよりは、ミオリのためなのだろう。柔らかな物言いに、シュヴァーのひととなりが表れているようだった。
「ミオリちゃん。ミオリちゃんが望むなら、きみはどんな男のひとも、好きな数だけ夫にすることができるんだけれど」
やにわにシュヴァーが言い出した言葉に、ミオリの理解はすぐには及ばなかった。
「……どうして、その、急に?」
「たしかに急だけれど……私としてはずっと考えていたことなんだ。ミオリちゃんは……もし外に出たら、きっと色んなひとに好かれる。ミオリちゃんの願いならなんでも叶えたいってみんな思う」
「それは、さすがに」
「大げさに言っているわけじゃないんだ」
ミオリは、シュヴァーの言っていることが真実なのか、もうなにもわからなかった。
「ごめんね、ミオリちゃん。ミオリちゃんを外に出さないのはきみの安全のためなのはたしかだけれど……私たちのわがままも、多分に理由に入っているんだ。……ミオリちゃんのことを、愛しているから」
「そんなこと――」
「急に言われても、信じられないかもしれないけれど、私たちは本気でミオリちゃんのことを愛しているんだよ。……ミオリちゃんは、私たちのこと……どう思ってる? もしも同じ気持ちなら――」
ミオリは、自分の心臓がバクバクと音を立てているのをたしかに聞いた。体中の筋肉が強張って、唇が震えた。
シュヴァーからの、愛の告白。それは希少な女性であるミオリをこの世界へと繋ぎ止めるための、嘘かもしれない。あるいは、もっとミオリを「管理」しやすくするための、嘘かもしれない。
けれども――ミオリは、今の生活を失いたくもなかったし、元の世界へも帰りたいとは思えなかった。
だから、ミオリは偽りの愛に、同じ偽りの言葉で返すことにした。
「――わたしも、同じ気持ちです」
「! ミオリちゃん……!」
「あの、でも、わたしはどこにも行けない人間、だから――だから」
――嘘でもいいから、約束だけは、して欲しかった。
「わたしのことを、ずっと……深く愛してくれると、誓ってください」




