ケビンの秘密
拙作『リーゼと、ケビンと、ヒューバート』『ヒューバートは幸せなぬいぐるみ』の続きになります。
「ヒューバートならわかってくれると思うんだけど、僕はもう小さい子供じゃないからさ。ぬいぐるみを持ち歩くと、目立つんだよね」
「こっちはもうずっと前からそう思っているけど」
くまのぬいぐるみのヒューバートは、親友のケビンに同意を示した。彼は持ち主のリーゼという女の子の幼馴染である。現在はここから山を二つほど越えた街の学校に通っていた。
ケビンは友達のぬいぐるみにやたらと思い入れのある、ファンシーな趣味の少年としては村では有名だ。自室だけで可愛がるのならともかく、堂々としているので少々面白い事になっている。彼はお裁縫が趣味で、ヒューバートのためにあれこれと素敵な衣装を頻繁に用意してくれるのだった。そのおかげでくまのぬいぐるみは、山間の村では一番の衣装持ちである。
ぬいぐるみとしては大好きなリーゼがとても喜んでくれるので、窓辺に座っていると通りかかる近所の人達が褒めてくれるので、少しも悪い気はしていない。
それからもう一つ、本来の持ち主であるリーゼを差し置いて、ケビンはヒューバートと会話ができた。他の人にぬいぐるみの声は聞こえないが、彼は要領と愛想の良いガキ大将であるので、現在まで誰にも気づかれていない。
子供の頃は一悶着あったけれど、ケビンとヒューバートの間ではリーゼが世界で一番優しくて可愛い女の子、という認識が一致している。そのおかげで現在まで不思議な友情が続いている、そんな関係だ。
「まあ、そういう事で」
週末に村へ戻って来たケビンは、早速リーゼのお家に遊びに来た。いつもの事なので、頭の中が大変にわかりやすい少年である。ひょいひょい、と彼はくまのぬいぐるみが着ていた人間用より小さな衣服を、慣れた手つきで脱がせて丁寧に畳んでいる。クリスマス前に完成させてプレゼントしてくれたシロクマの衣装の次は、何やら見慣れない物を取り出した。
「ケビン、今度はヒューバートに何を着せるの?」
お茶とお菓子を運んできてくれたリーゼが、こちらに向かって不思議そうに問いかける。ありがとう、元気にしていた? と一通りの和やかな雑談を終えた後に、待ってましたとばかりに彼は声を改めた。ちなみにお茶とお菓子はヒューバートの分を含めて三人分、これもいつものやり方である。
「こっちをこうして、そう、そっち側で……」
ケビンが持って来たのは、赤ちゃんを背負う時に使う布製品によく似ていた。実際に身に着けて彼に背負ってもらうと、なんだかヒューバート自体がリュックサックみたいである。彼の説明によれば、実際家にあった子供用品を改造して作ったらしい。
こほん、と彼は何やら意味ありげな咳ばらいをする。とびきり優しくて利口な少年という表情と口調を以て、こちらに話を切り出した。
「リーゼ、君にどうしてもお願いがあって、今日はそのために来たんだ」
「……私でいいなら」
あまり自信のなさそうなリーゼに対し、ケビンは嬉しそうにありがとう、と応じた。クリスマスの少し前に、リーゼが手作りして贈った黒い襟巻をいかにも大事そうに、鞄の横から膝の上にさりげなく置き直した。それに気が付いた彼女は少し表情を明るくしている。ヒューバートは二人の間に挟まりつつ、良い雰囲気を邪魔しないように沈黙を通す。
「ケビンには、いつもヒューバートを可愛がってもらっているから」
「ありがとう、助かる。それじゃあ早速……」
そういうわけでぬいぐるみのヒューバートと持ち主のリーゼは、友人のケビンに頼まれて街へ出かける事になった。冬の終わりで春の始まりまでもう少し、という頃のお話である。
街へ出かける計画に関して、ケビンはリーゼだけでなくその両親と妹にも、丁寧な説明を繰り返した。彼は街で学業に勤しむ傍ら、村と街の物資のやり取りをしている商会の手伝いもしているらしい。村へ帰ってくる時に、馬車へ乗せてもらう事もあるのだそうだ。積み下ろし等のやり取りを見学したり、衣料品をはじめとした色々な品物の調達や運搬を勉強したりと、将来の役に立ちそうな経験をさせてもらっているらしい。
そんな風にお世話になっている街の服飾店で春の新作のお披露目と宣伝をリーゼ達に手伝って欲しい、というのが彼の依頼である。ケビン以外の商会の人達も交えて、何度か話し合いが行われた。その結果、春の買い物を前倒しするという形で、家族全員揃って街へ行く方向に落ち着いた。そうするとケビンの妹のエルマも行きたい、となったので飛び入り参加である。
そしてぬいぐるみのヒューバートまで連れ出してお出かけする事になった。小さい子供や若い人向けの訴求力を買って、という理由だそうだ。
「やけに慎重だね、ケビン」
リーゼ達一家の春のお出かけは、村では普段手に入らないような買い物も予定されていて、毎年恒例のお泊りでもある。一家はせっせと支度に勤しんだ。他にも頼まれ事があるので、随分と大荷物になりそうな気配である。ケビンやそのお父さんまで手伝いに来てくれて、準備は順調に進んでいた。合間を見計らってヒューバートがこっそり話しかけると、親友はまあね、肩を竦めた。
リーゼのお父さんは二人の娘をとても大事にしているので、結婚する時にはきっと色々起きるであろう事は想像に難くない。複雑な親心なのだ。いずれ子供は巣立って行くのだけれど、いつまでも可愛い子供でいて欲しいのだ、とお父さんはヒューバートの前でお酒をちびちび飲みながら、よくお母さんに慰めてもらっていた。
幼馴染であるリーゼとケビンも、既に小さい子供ではなくなっている。彼はこの先どうするのだろうと、ぬいぐるみは常々二人を心配していた。今回、他の大人を巻き込んで交渉したのは、ケビンなりの決意を感じさせる出来事だった。
「見ず知らずの若い男が急に可愛い娘にちょっかいをかけたらさ、気に食わない気持ちはよくわかるよ。急に殴り掛かられたのと一緒か、それよりもっとひどいかもしれないね。僕はまだ子供だから想像だけど」
そう言いながら、彼はぬいぐるみが着ている明るい色合いの衣装の一揃いが少し曲がっていたのを直してくれた。リーゼがいる時には見せない、少し皮肉気な笑い方、要領と愛想の良いガキ大将の顔である。
「そういうわけでこれからも着実に、気に障らない程度に外堀を埋め立てて行かないと。気が付いた時には『大いに不本意だが娘を思えば致し方なし』となるように」
なるほどね、とヒューバートは呟く。実にいつもの彼らしい台詞だった。応援しているよ、などと話していると、家の前を他の村の子供達が通りかかった。小さな村のためかこれから街へ出かける事は知っているようで、何か手伝う事があれば、と声を掛けに来てくれたらしい。やあケビン、と親し気に声を掛けて来た。
「やいやい、ヒューバート様のお通りだぞ。道を開けるがいい」
「……ヒューバートはそんな事言わないだろ、ケビン」
「そうだそうだ」
「いいなあケビン、都会の女の子に気軽に会いに行けて」
「……いつまでも妬んでないで、まずは自分磨きとかしたらどう?」
こいつ、という友人達からの非難の声にも、ケビンは一切動じない。村の同年代の子達の中で、一番頭が良くて手先が器用で足が速くて取っ組み合いも強いのが彼である。彼が村を離れているとは言え、頻繁に帰還するので力関係は大きく変化していない。
「くそ、リーゼの気を引きたいだけのくせに」
「どうかな。まあ、とりあえず応援よろしく」
ケビンはクリスマスにリーゼからもらった手編みの襟巻をわざわざ見せつけながら応じている。この綺麗な出来栄えを見て、と和やかさと殺伐とした雰囲気を同居させながらわいわいやっていると、そろそろ支度が終わったらしいリーゼが顔を出した。
「どうかしたの? みんな」
いや何でも、気を付けて楽しんで来てくれよ、などと女の子がいる時はみんな大人しい。その後でリーゼの友達の女の子達も見送りに来てくれたので、ヒューバートの初めての旅はなかなか賑やかな出だしとなった。
「この子がリーゼで、妹がフィオナ。僕の妹はこっちのエルマ。それからぬいぐるみがヒューバート」
到着した、ケビンがお世話になっている服飾店で出迎えてくれたのは、リーゼやケビンより少し年上らしい雰囲気の少年である。赤毛の大人びた印象の少年は、馬車から降り立った一家とケビン兄妹を恭しく出迎えた。フェルツ、とケビンが紹介した。
村との物資のやり取りで大人達は顔見知りなので、帽子をとって挨拶している。それを横目にふむふむ、とフェルツは紹介された四人を順番に見比べている。ぬいぐるみにも一瞬視線を留めつつも、やや好奇心の入り混じった表情だが愛想よく応じてくれた。
「ケビン、フェルツも学校の友達なの?」
「フェルツは手先が器用なのを見込まれて、自分の叔父さんに弟子入りしたタイプ。知り合ったのは学校じゃないよ」
「そうそう、じゃんじゃんお金を稼がないといけないからさ」
寒いのでどうぞどうぞ、と一行はお店の中へ入った。まあなんて可愛らしい、リーゼ達を囲んでお店の人達が話に花を咲かせている。女の子達の衣装選びと試着が早速始まった。
ヒューバートをリーゼから受け取ったケビンの方は、フェルツと共にその輪を上手にすり抜けて、お茶の準備に給湯室へ一旦引っ込んだ。ぬいぐるみは試着室から少し離れた一画の椅子にぽん、と置かれて待機である。カップやお茶菓子を準備しながら、フェルツが肘でケビンをつついた。
「ケビン、やるじゃないか。リーゼって子、前に一緒にいた学校の女の子よりかわいいじゃん」
「んん?」
「……だから、その子と一緒に歩いたのなんて、お店三軒分より短い距離だった! 何回説明させるんだよこのとさか頭!」
「なんでそんなに必死になってんの? 本当は後ろめたいみたいじゃん。街で知り合いに出くわしたら雑談なんて普通だよな、ヒューバート?」
「だよね、余計に怪しい」
ヒューバートはケビンにしか聞こえない声で、こちらを振り返ったフェルツに同意しておいた。親友の刺々しい視線を何食わぬ顔で受け流しつつ、初めての村の外を楽しむ事にする。服飾店は色とりどりの、春に向けての明るい膨大な量の衣服に溢れていて、ぬいぐるみにはなかなか見られない光景だ。今年の流行りは明るい黄色、という張り紙や服飾品の詳細な説明付きの図を眺めた。
フェルツはくまのぬいぐるみをしげしげと観察して、ケビンの作った衣装はなかなか、と褒めてくれた。春らしい水色のシャツと薄手のコートはヒューバートも特に気に入っていた。何故わざわざぬいぐるみを持って来たのかという当然の疑問に触れないあたり、器の大きさを感じさせる。
ケビンの友達は一度席を立って、奥から今年の流行色だと明るい淡い黄色の幅広いリボンをいくつか取って来た。人間が鏡の前で確認するみたいにあれこれと見比べて、一つ選んだ。幅広のリボンを適当な長さに切って、スカーフみたいに首元にお洒落に巻いてくれた。
「ちょっと派手過ぎないか?」
「宣伝隊長なら、このくらい平気だって。ほら、似合う似合う」
「フェルツ君て良い奴だね。ケビン、僕の代わりにお礼を伝えて欲しいな」
「ヒューバートがやるじゃん、だってさ」
「まあね、ヒューバート。ちょっと早い春の旅を楽しんでくれよな」
フェルツにとってはただのぬいぐるみだろうに、普通に話に混ぜてくれるのにも好感が持てた。二人は仲が良いのか、即席のスカーフの形が崩れないように針と糸で簡単に作業しながら適当に翻訳したケビンにも気を悪くする様子もない。
少し離れたところでは女の子達の衣装選びが進んでいるらしく、試着室から少し自信のなさそうなリーゼが顔をのぞかせているのが、二人の肩越しに見えた。
「……お父さん、どうかな? ちょっと可愛すぎないかな、この服」
リーゼは世界で一番似合っているよ、と一家が試着室付近でわいわいやっているのも一息ついたらしい。みんなでお茶とお菓子を囲んで、翌日の打ち合わせが始まった。街をよく知っているケビンとフェルツが、宣伝するのにちょうど良さそうな場所を巡る道順を説明している。
リーゼのお父さんも、二人の話に納得したようだ。くれぐれも気を付けるように、と大人達から頼まれごとをして、ケビン達はわかりました、としっかり返事をした。
お宿に泊まった翌日の昼過ぎ、春の大売り出しに向けたお店の宣伝部隊が、いよいよ出発である。リーゼもフィオナもエルマも、昨日試着した今年の新作の帽子に靴、薄手の上着にブラウスにスカートまで、とびきり可愛い一揃いである。
ちょっとしたお花の飾りや差し色はさりげなく、けれど持ち主を明るく見せてくれていた。それだけでも、街での暮らしを村の女の子達が羨ましがるのもよくわかった。
女の子達に街の案内も頼むよ、と男の子二人はリーゼの両親に応じている。ヒューバートはケビンに背負ってもらって、小さな広告を張った板を首から提げた。あらかじめ用意されたお店の宣伝が刷られた紙を配り、看板を持って五人で街を練り歩いた。
「飲み物とお菓子代はもらってあるから、気になるお店があったら遠慮なく。この仕事が終わったら見る時間もあるだろうから」
フェルツが言う通り、まだ小さなフィオナとエルマがいるので時折休憩を挟みながら、お店が並ぶ通りや、観光名所らしい教会の敷地にも足を向け、それから広い公園に向かった。
温かくて風も穏やかな一日で、宣伝部隊一行は人々で賑わう中をゆっくりと練り歩いた。景色の面白い場所や可愛い雑貨屋さんを通ると、多くの人の目を惹きつけているのがわかる。くまのぬいぐるみも、もちろん小さな子に何回も手を振ってもらえて満足だった。
初めは恥ずかしそうにしていたリーゼも、慣れてくると楽しそうに街の散策も楽しんでいるらしい。普段は家で留守番なため、その姿を見る事ができただけでもヒューバートはとても嬉しかった。
時折声を掛けて来る人もいて、お店の詳しい説明や価格帯への質問には、ケビンとフェルツ少年が詳細に応じている。
途中、ケビンの学校の友人達にも遭遇した。色んな子がいるなあ、とヒューバートはお喋りしている彼らをしげしげと眺めた。
リーゼは少し緊張した様子である。けれどケビンが懇切丁寧に、小さい頃からの幼馴染だと紹介してくれた。初対面でも学校で付き合いのある子達という事もあってか、楽しくやり取りしている。ぬいぐるみの服はケビンのお手製で、とリーゼが説明すると、みんながとても褒めてくれた。ヒューバートはとてもいい気分である。
「そんな楽しそうな事、どうして誘ってくれなかったんだよケビン。水臭いな」
「これはちゃんとした仕事なんだ、また学校でね」
そういう事ならじゃあまた、とお互い手を振り合ってお別れである。良くも悪くも彼はガキ大将な一面があるので、ヒューバートは親友を密かに心配していたのだが、どうやらケビンも街でそれなりに楽しくやっているらしい。よかったよかった、とぬいぐるみは彼の背中に背負われたままでほっとしていた。
ケビンの学校の友達ともさよならして、その後も忙しく歩き回っているうちに、すっかり夕方になった。途中でフィオナとエルマが、ゆっくり見てみたい可愛い女の子向けの雑貨屋さんがあって、終わったら寄る約束で納得していた。妹二人はお店に行くのがとても楽しみだったようで、一向に疲れた様子もなく、早く早くと他の三人を急かした。
「よいしょ」
ケビンは背中に背負っていた紐から外した。まるで小さい子が父親にしてもらうみたいに、ひょいと肩に担いでみせた。リーゼはそれを見て、くすくすと笑っている。
視界がその分広く高くなり、少し近くなった夕焼けがきれいに見えた。
「ケビンはヒューバートが好きだね」
「まあね、友達には親切にしないとさ」
フェルツ少年がさりげなく片目を閉じて、こちらに何か合図をした。看板を片手に、少し先を行くフィオナ達の後を追いかけた。大きく離れたわけではないが、声は聞こえない程度の絶妙な距離である。
こういう時は友人としていけ、そこだという声援は心の中に留めておいて、二人の推移を見守るしかない。ただのぬいぐるみです、という顔をして、時折すれ違う人の不思議そうな、微笑ましいと言わんばかりの視線を浴びつつ、静かにしていた。
「でもケビンってすごいね。学校の勉強だけでも大変でしょうに、ヒューバートの服を作ってくれて、大人のお手伝いもこんなにたくさんしているのを知らなくて」
「……うーん、どうだろうね。やってみたい事はたくさんあるけれど、目に付くもの全部に飛びつくわけにいかないからさ。中途半端はよくないし、やらなければならない事をしっかり見極めて……まあ、ヒューバートの服は作るのが本当に楽しいだけなんだけど」
ぬいぐるみは、本当はリーゼも街の学校へ行きたがっていたのをよく知っている。環境が変われば視野が広がって、興味を引かれる物事はあらゆる場所に存在している。だから、ずっと仲良しのケビンに置いて行かれたような気持ちはずっとあっただろう。
ヒューバートも彼だけが他の子供と違う選択をしたと聞いた時、なんとなく寂しい気持ちと、段々と付き合いが薄くなるかもしれない、という覚悟だけはしておいた。
けれど、どうやらその心配をしなくて良さそうなのが、ケビンの良いところである。
あのね、という彼の悪戯っぽい声に、夕陽を眺めていたヒューバートは我に返った。並んで仲良く歩いていた二人の距離を、ケビンが少し縮めながら声を潜めた。
「実は僕、ヒューバートと話せるんだ。今までリーゼに話した事があったっけ?」
「……ヒューバートは何て言っているの?」
「リーゼの一番は絶対譲らないってさ。いつもこうだよ。大人げないよね」
「そんなの当たり前じゃないか、ケビン」
「リーゼも、ヒューバートも、僕の大事な友達だよ。あの日から、ずっとそう」
ひょい、と急に肩車から下ろされたヒューバートはうわ、と思わず声を上げた。気が付いた時にケビンに片手でだっこされている。
「あと、僕がいない間になんか、みんなで揉めたんでしょ、街の可愛い女の子がどうとか。その時は角が立たないように適当に説明しておいたんだけど」
その事件は秋の終わりごろだったか、街の垢ぬけたお洒落な女の子達と勉強しているであろうケビンが羨ましいという話が村の子供達の間で持ち上がった。リーゼを含む村の女の子達はその言い方が面白くなかったので、男の子達と女の子達の間でしばらく剣呑な空気だった。
「リーゼと、あとヒューバートにだけは誤解して欲しくないから言うけど、商会の人に、春の宣伝には可愛い女の子を誘ってほしいというお願いされたから、一番だと思っている女の子に声を掛けたんだ」
「……ケビンったら、もう」
「作ってくれた襟巻のお礼、に少しでもなったらいいんだけど。とにかく、そういう事でよろしく」
さあさあ、と照れ隠しなのかケビンはリーゼを急かした。二人が追いついた先のフェルツは無言で、けれど楽しそうにケビンを肘でつついているのが見えた。何か話していたの、というエルマの疑問には秘密、とリーゼが明るく返事をした。
楽しいお出かけはあっという間に終わってしまい、一行は先にケビン兄妹を家まで送り届けた。家にたどり着いたみんなは大慌てで、寝る支度にとりかかった。夕方にはまだ元気だったフィオナはぐっすり眠りこんでいる。お父さんに寝台まで運んでもらって、そのまますやすやと寝息を立てていた。
おやすみなさい、楽しかったね、と両親は寝室へ引き上げて行った。明かりを消して、寝室は暗くなった。リーゼはいつもはからかってくる妹がぐっすり眠りこんでいるのを良い事に、堂々と小さい頃からの習慣である、くまのぬいぐるみを抱えたまま横になった。
「ヒューバートが、この私に隠し事をしていただなんて」
悪い子ね、というわりには責めたり、怒ったりするような口調ではない。しかしまさかあのケビンが、誰かに自分達の秘密を打ち明けるとは予想外だった。下手したら大笑いされかねないから、彼みたいな子供はきっとずっと内緒にするつもりだろうとばかり思っていた。
ケビンなりに、リーゼならきっと大丈夫、という確信があったのだろう。
「もっと早く教えてくれたらよかったのに。ねえ、ヒューバートはケビンとどんなお話をしているの? おしゃれの話?」
「……それはもちろん」
持ち主には聞こえないけれど、ヒューバートは彼女に向かってささやいた。二人の話題はいつだって世界で一番可愛いと思っている女の子の話である。このままずっとそうだったりして、とぬいぐるみは心地よい眠気の中でつぶやいた。