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52 鎖の核

 ここが、最後の場所だろう。視界の無い世界に警戒した視線を巡らせて、ロマーナ――私はそう確信した。自分と先生が言葉を交わせる、最後の空間。これを逃せば、私は喉も手足も潰されて二度と自由は得られないのだと分かっていた。

(まだ、ヴィンは目を覚まさない。アッシュも、今はいない)

 腕の中のヴィンを抱え直す。四肢を動かすたびに、鈍い痛みが体を襲った。彼を助けるために支払われた代償は、確実に自身を蝕んでいるらしい。

(……踏ん張りどころだわ)

 でも、絶対に苦しみを表に出さないと決めていた。鍵束の中から水色の鍵を選び取り、胸の前で回す。感覚が研ぎ澄まされ、空気の微細な振動や微かな反射の光すら感じ取れるようになる。そこでやっと、どうやら自分は何かたくさんのものに囲まれていることに気づいた。

「先生」

 冷たく広い部屋に、自分の声が反響する。返事は無かったが、臆せず更に声を張った。

「先生、いらっしゃるのは分かってますよ! 色々と話したいことがあります! せめて、灯りをつけてくださいませ!」

「……」

「無視されるのですね! 承知しました! ではその辺にあるものを適当に燃やして、灯りとしたいと存じます!」

「ちょっと」

「ファイヤー!」

 先生の声が聞こえた気がしたけど、無視して赤い鍵を回す。ロマーナの全身を赤いオーラが包み、凶暴なドラゴンの如く辺りに炎を撒き散らそうとして――。

「やめなさい」

 直前で、背の高過ぎる影が闇の中から現れた。ガシャガシャと音を立てる機械仕掛けの体と、無機質な仮面。イリュラ・ムンストンが、しゃがみこむロマーナを見下ろしていた。

「相変わらず無茶苦茶な娘ですね。最低限のマナーすら忘れてしまったと見える」

「あら、先生の教えの賜物ですわ」

「嫌がらせの方法まで教えたつもりはありませんが」

「学んだのは対処法ですもの」

「……口が立つようになったのは、困りものですね。まさか姫である肩書きを忘れたわけではないでしょう?」

「それも失って百年。こうなれば、殆どの方にとってはただの小娘も同然ではなくて?」

「……いいえ」

 少し黙った先生だったけど、すぐにまた温度の無い声が頭上から降ってくる。だけど、どこかゆっくりとして一言一言を噛み締めているように聞こえた。

「あなたは、やはりロマーナ“姫”です。そして、それでこそ自分の妻に相応しい」

「相応しい? どうしてです?」

「愛しているからですよ。それ以上の理由が必要でしょうか?」

 当然である。私は語気を強めた。

「ええ、気になります。どうして先生は私のことを愛していると仰るのですか? 私、自分で言うのも何ですが、あなたに対しては反抗ばかりしてましたもの。こんな私の一体どこを好きになったと言うのです?」

「……そうですね」

 一呼吸おいて、先生は事も無げに答えた。

「あなたぐらいだったのですよ。何の裏も無く、正直な心だけを伝えてきた者は」

「正直な心?」

「はい。ロマーナ姫はご存じでしょうか。人の息づく世界というものは、まさに生きた魔獣の目を抜くようなものです。人々は常に権力者の顔色を窺い、弱者を見下す。いずれにせよ、吐き出される“本心”とやらにどこまでの真実があるものか分かったものじゃありません。その中でロマーナ姫……あなただけは、常に自分に心を見せてくれました」

「心を見せてって……私、怒って反抗してただけですけど」

「怒りは常に純粋で、真実です。そうは思いませんか?」

「……」

 ――そうだろうか? 普段から理不尽に先生に怒られてきた私としては、あまり納得できる話じゃない。むしろ、真実とやらを引き出すためにわざと怒らされていたんだとしたら甚だ迷惑である。

 しかし先生にとっては、己の信条を大きく占める論だったらしい。彼は恍惚とした声を伴って、私に一歩を踏み出した。

「もっと、自分に真実を見せてください」

 ビクッとしたけど、ぎゅっとヴィンを抱きしめて庇う。金属の腕が伸び、無機質な温度の手が私の頬を撫でた。

「もっと、激しい怒りを表してください。あなたであれば、手足をもぎとられても、喉を潰されても、きっとそのアメジストの瞳で自分への怒りを向けてくれるのでしょう。自分は、それを見てみたい。真実の目は、この汚らしく澱んだ世界における私の唯一の安らぎとなるのです」

「……まどろっこしいことをなさいますね。癒されたいのなら、森林浴のほうがお勧めですよ?」

「何をおっしゃるやら。人は人にこそ癒されねばなりません」

「私はあなたの思う通りにはならない! オモチャみたいな扱いなんて絶対御免だわ!」

「ですが、既にあなたの拒否権は無いのです」

 仮面の視線がヴィンへと落とされる。私はますますヴィンを抱く手を強くし、先生を睨みつけた。

「……くく」

 そんな私の目を見たムンストンから、含み笑いが漏れる。

「不死の騎士……! ああ、よもやここまで役に立ってくれるとは! あの女に“鎖の核”を奪われた時は落胆したが! “核”が貴様に埋め込まれたと知った時には愕然としたが! 今となっては、全てがこの瞬間に繋がっていたのだ!」

「……鎖の核? じゃあ、やっぱりヴィンの命の石は……!」

「ええ。鎖の悪魔を封じていた、鎖の要であったものです」

 金色の鋭い人差し指が、ヴィンの胸付近を差した。

「悪魔どもが跋扈する最果ての概念、地獄――これはあくまで、我々の世界から見た場合の定義的な名称ですがね。実際は、捻じ曲がった時空に隔てられただけの隣接世界に過ぎない。そんな世界に、一際凶暴な悪魔がいた」

「……それが、アッシュだったのね」

「かの悪魔は、凄まじい凶悪によって地獄はおろか隣接世界にまで影響を及ぼそうとしました。その所業を食い止める為、天界から派遣されたのが天使ルフでした。彼女は生命エネルギーから為る清浄な“鎖”を作り、悪魔を厳重に封じたのです」

「だけど、ノットリー国にいた先生によって、アッシュはこの世界に召喚された。世界が変わったことによって変質した鎖は、アッシュを封印し続けることができなくなり、粉々に砕けてしまったんですね?」

「その通り。そして、この砕けた鎖の欠片一つ一つには魔力が宿っていました。特に核となった部分には、無限のように湧き出る素晴らしい力が秘められていたのです。それこそ、人一人を不老不死にできるほどの」

「そう、その石さえあれば!」

 突然、私の背後で誰かが叫んだ。先生だ。でも先生は間違いなく私の前にいる。どういうことかと振り返ると、そこには片腕が外れたもう一人の先生が立っていた。

 仮面が半分割れ、人工的でギョロリとしたクリスタルの眼球が剥き出しになっている。……何か、様子がおかしい。私はゾッと背筋を凍らせた。

「その核さえあれば、俺は不死の魔法使いになれたんだ! 自らの内から魔力を生み出し、決して死なぬ存在に……! あんな惨めな思いをしなくても良かった! あんな低俗で無能な奴らのご機嫌伺いをしなくても!」

「だがあの女は、コソ泥の如くあの場から核を持ち去ったのです。俺が気づいた時にはもはや全てが遅かった」

 また別の場所から声がする。そちらにも、ムンストン先生がいた。

「俺は不死の魔法使いにならねばならない。内から魔力を生み出せる、選ばれた存在に。そして、来たる死から解放された存在に!」

「その為に何としても核を取り返さねばならなかった! あれは俺のだ! 俺のものなのだ!」

「白いケダモノが悪魔を追ってきたのは運が良かったなぁ! 愚かな天使はあっさり自らの真名を手放し、俺の言いなりになった! 笑いが止まらなかったさ!」

「不死の騎士を殺してやる!」

「魔法使い共もだ!」

「あの女はチュチュといったか! あんな汚らしい女が王妃だったとは! だが利用できるなら何だっていい、俺は女の国へ核を奪う隙を狙っていたのだ!」

「全て殺してやった! 奪ってやった!」

「まだ足りない! まだ足りない!」

「まだ俺は俺の力を知らしめることができる!」

「不死の魔法使いとなった俺なら、この世の全てを蹂躙し君臨することができる!」

「讃えよ! 讃えよ!!」

 今や、四方八方から何人ものムンストン先生が口々に叫んでいた。首が取れた者、腕が三本ある者、足の代わりに触手のような器具が取り付けられた者――。自分を取り巻く異常な状況に、私は確かに怯えていた。

 でも、聞き逃さなかった。先生が発した、あの言葉だけは。

「……全て、殺してやったと。先生は、そう言ったの?」

 喉が震えている。――恐怖によるものじゃない。怒りが、私の内側から熱を持ってふつふつと沸き上がっていた。

「やっぱり、そうだった……! あなただったのね!? 先生が、先生こそが、サンジュエル国を滅ぼした張本人は!」

 私の発言に、先生達は水を打ったように静まり返る。それから、クスクスとした笑い声が広がっていき……。

 嘲笑が、爆発した。

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