5 涙
ヴィンの作ってくれた料理は、信じられないぐらい美味しかった。
「ふわーっ! おいひい! おいひい! ふおーい(訳:すごーい)!」
「ふふ、ありがとうございます。何せ時間ばかりは無駄にあったものですからね。一端の料理人ならば、軽く蹴散らせるほどの腕前になってしまいました」
「ヴィンも食べられるのね! 良かったぁ。アンデッドになったら、もうご飯食べられなくなっちゃうのかと思った」
「食べなくても死にはしないのですが、余計に体を動かそうとなると必要となります。僕の中を循環するエネルギーにも、閉じた部分と開いた部分があるようでして」
「そうなのね」
言ってる意味はさっぱり分からないけど、食べられるなら良かった。一緒に同じ時間を過ごせるのは嬉しいし、何よりいつか私の手料理も食べてもらえるからだ。
……でも、ここまで彼の料理が美味しかったら、相当すごいものを作らないといけないんじゃない? 百年のブランクは大きいぞ。頑張れ私。
「お食事が終わったら、街に行ってみませんか?」
そしてデザートに移る頃、なんとも素晴らしい提案がヴィンから出された。断るわけがない。一も二もなく、私は大賛成した。
「なぁに? お買い物行くの?」
「そうですね。ロマーナ姫に、相応しいお召し物を選びに行かねばなりませんし。あとは夕食と……侍女の手配も必要でしょうか」
「侍女の?」
「ええ。お着替えなどその他身の回りのお世話まで、僕が担うわけにはいきませんからね。男ですので」
さらりと発せられた言葉に、頬が勝手に熱くなるのがわかった。そうだ、今このお城には彼と私しかいないのだ。彼と二人きりで……。
――二人きり、で?
なんでもないフレーズに、すっと体の熱が冷めていくのが分かった。ずっと見て見ぬフリをしていた恐ろしい感覚は、嫌な予感と共に胸を鷲掴みにする。何かにすがりたくて周りを見たけれど、がらんとした石の天井が私を見下ろすだけだった。
あまりの冷たさに、ゾッとする。……なんで? なんでこれほどまでに、あの場所を空っぽだと感じたのだろう。
――ああ、そうだ。
誰も、いないからだ。
ドクンと心臓が鳴る。どうして今まで気づかなかったのだろう。あるいは、必死で気づかないようにしていたのかもしれない。脆い自分の心を守るために。
ここにはもう、私とヴィンしかいないのだ。私にとって、昨日まで当たり前に挨拶をしたり笑い合っていた人達は、皆あの日の炎と百年の時間に飲み込まれてしまった。
子供たちのはしゃぐ声。誰かの立ち話。規則的な足音。ドレスから香る香り。私を撫でる大きな手。いつも安心させてくれる穏やかな笑み。
全て、ここには無い。触れることも、見ることも、感じることすら。
二度と。二度と、叶わないのだ。
「……ロマーナ姫?」
ぼう、としていると、不思議そうな顔をしたヴィンに声をかけられた。……ああ、ダメだ。心配をかけてはいけない。「なぁに?」と笑顔を作り、急いで立ち上がろうとする。
すると服にナプキンが引っかかった。お皿がひっくり返る。ナイフやフォークも転がって、全部床に落ちてすんごい音がした。
「……」
「……」
「……う」
それでもう、一気に決壊してしまって。
「え……ええええええええん!!!!」
「え!? 泣くほどの失敗ではないですよ!?」
慌てふためくヴィンの前で、わんわんと声を上げて泣く。お姫様らしくないし、そもそも十七歳にもなってはしたない。そう分かってはいたけれど、どうにも止めることができなかった。
必死で名前を覚えていたのだ。姫たる者ならば、城の者だけじゃなく国に住まう者を知らねばならないからと思って。街を巡って、顔を見て、名前を覚えて、言葉を交わして、人を知って。そうして私の知る人たちが結ばれた時なんて、手を叩いて喜んだ。更に新しい命を授かったと聞いた時は、飛び上がるぐらい嬉しかったというのに。
同じ時間を生きていけると思っていた。信じて疑わなかった。みんなの命が、理不尽に奪われることだけは決してありえない、あってはいけないと。
だけど、サンジュエル国は滅んでしまったのである。私は私が守らねばならなかった人たちに守られて、生き長らえてしまった。彼らを愛しく思う家族のことだって知っていたのに、炎の中に残してきた。民も、家臣も、父も、母も。
ああ。ああ。苦しい。息ができない。どう落ち着けば、どう考えれば納得できるのかわからない。
けれど、時を巻き戻すこともできないのだ。そして自分の命を否定することも。皆に助けられた命を、どうして私が無下にできようか。
「うえええ……えええん、えええええ」
「……」
――どうしようもない私の肩に添えられるヴィンの冷たい温度だけが、ちゃんと彼だけはここにいるのだと分かって。握り返せない手への心細さに、ぼろぼろと涙をこぼしていた。