49 命の石の修復
ロマーナは、生きていた。しかも、思った以上に元気だった。
「来てくれたのね、アッシュ!」ドレスを翻し、ロマーナは牢の鉄格子に飛びつく。
「ごめんね。もし先生だったら騙し討ちしようと思ってたから、すぐに返事ができなくて……!」
「返り討ち? 返り討ちとは?」
「牢の中で私が倒れてたら驚くでしょ? 流石に鍵を開けるでしょ? その隙をつけば逃げられると思って!」
「相変わらずたくましいな、お前は……」
「それよりアッシュ! 背中にいるのは……!」
「ああ。今にも死にそうだから、早く何とかしたほうがいい」
意識を失い人形のようになったヴィンの身が、牢の前にそっと落とされる。その姿に最初こそ言葉を失ったロマーナだったが、すぐに表情を引き締めた。
「アッシュ」
「うむ」隙間から差し出されたロマーナの手とアッシュの手が繋がれる。彼女から漏れる魔力を得たアッシュは、空いた片手でいとも容易く鉄格子を捻じ曲げた。
牢から出たロマーナは、ヴィンの頭を自身の膝の上に乗せる。
「オレンジの鍵を使ってみるわ」
「我やフクロウにも使った、回復の魔力を解放する鍵だな。それが最も適切――いや、なんか増えてないか?」
「え?」
ロマーナの手にしていた束の中に、一本だけ見たことのない色の鍵が混ざっていた。対するロマーナは、ケロリとしたものである。
「ああ、これ? 先生も鍵を何本か持ってたからね、どさくさに紛れて返してもらったの」
「言って返してもらえるものなのか?」
「勿論そんなことないから、実力行使!」
「たくましすぎる」
「といっても一本しか奪えなかったけどね。さあ、ヴィンを助けるよ!」
ロマーナは、オレンジの鍵を自身の胸の前で解錠した。光が放たれる。柔らかく優しい粒が降り注ぎ、ヴィン達の体を包んだ。
アッシュの目には、確実に命の石のヒビは修復されているように見えた。しかし……。
「目を、覚まさぬな……」
「……」
数分経てど、ヴィンの意識は戻る兆しを見せなかった。ロマーナの表情は少しずつ焦りを見せていたが、なお落ち着きを保ったままアッシュに目を向ける。
「ねぇアッシュ、心当たりはある? そもそもヴィンはどうしてこうなったの?」
「そうか、その説明がまだだったな。さてもどこから話せば良いか……。噛み砕いて言うと、ヴィンは悪魔である我を動かす為、その胸に埋め込まれた命の石を自ら砕いて魔力を解放したのだ」
「え……!?」
ヴィンの命の秘密など、当然知らないロマーナである。明らかに動揺していたが、なんとか頷いた。
「でも、その命の石って、お城を襲ったゾンビの胸にもあったものよね? 同じものなの?」
「いや、似てはいるが質が全く違う。ゾンビにとっての命の石は、ヒトの生命エネルギーを魔力に置換するもの。つまり、使えば絶対的に死に至るものである」
「けれど、ヴィンは違う……」
「うむ。ヴィンの命の石は、ゾンビのものとは比べ物にならんぐらいの強力な力を宿している。そのあまりの凄まじさゆえに、ヴィン自身の限定的な時間や空間、ありとあらゆるものを歪ませるほどに」
アッシュの説明がまるで理解できなかったロマーナは、何も言葉を返せなかった。だが、この現状に最も驚いていたのはアッシュ自身である。
知らないはずの知識が、次から次へと口から出てくる。まるで、ずっとこの時を待っていたかのように。
「ヴィンの命の石は、奴の死の直前の時間を無限に繰り返している。もはや固定させていると言ってもいい。そしてそれこそが、ヴィンの不死性へと繋がっているのだ。体の半分が千切れても、首がもげても。奴の体は、死の直前の状態へと戻り続けている」
「それも……お母様がしたことなの?」
「そうだ。だがヴィンも全て承知の上であった。百年後、同じ姿のままでロマーナを迎えられるならそれで良いと」
「……」
「……話を戻そう。今ロマーナの魔力により、ヴィンの命の石は修復された。だが先にも言ったように、石は凄まじい力でもってヴィンの命を固定していた。ならば、この魔力が極限まで失われたらどうなる? 命の石によって歪められていたヴィンの時間が正常化し、とうとう至るべき所へ至ったと考えてもおかしくはない」
「アッシュ! それって……!」
反論しようとしたロマーナだが、次の声は出てこなかった。喉に何かがつかえていて、無理に押し出そうとすれば涙が溢れてきそうになる。
命の石が機能しなくなれば、止められていたヴィンの時間が動き出す。ロマーナの腕の中にいる彼は、もはやただの死体かもしれない――アッシュは、そう言ったのである。
「違う!」
咄嗟にロマーナは叫んでいた。冷たいヴィンの体を、庇うように抱きしめる。
「まだ間に合う! ヴィンに、ヴィンの命の石に私の魔力をあげれば……!」
「そうだな。十分な魔力があれば、命の石は機能する。可能性はゼロではないのかもしれん」
「じゃあ……!」
「しかし、命の石自体は既に修復されているのだ」
ヴィンの胸からこぼれるのは、真っ赤な光。命の石は回復していた。それでもなお、ヴィンが目を覚まさない理由は――。
「絶対的な魔力の量が足りないか、既に手遅れか」
アッシュの低い声に、ロマーナはビクッと震えた。
「時間が経てば待つほど、後者の可能性が高くなる。……ロマーナ、貴様は所詮人間なのだ。普通より魔力を溜め込めるとはいえ、やはり命の石というバケモノには及ばない」
「でも、でも……!」
「とにかく、ヴィンが目を覚まさぬのなら今は早くここを離れるべきだ。せめて貴様を救いたいと言った、奴の願いを優先すべきとは思わんか?」
「……!」
ロマーナは、動かなかった。怯えたように震えて、ヴィンを抱きしめる。だが、その瞳だけはまっすぐアッシュを見据えていた。
「――それとも、何か考えがあると?」
アッシュの問いに、ロマーナははっきりと首を縦に振る。ヴィンの腰から短剣を抜き、彼の胸に突きつけた。
「アッシュ……お願いが、あるの」
「聞こう」
「あなた、以前私のことをヒビの入った貯水タンクって言ったわね」
「言ったな」
「じゃあ、その貯水タンクに穴を開けることってできる?」
「……貴様」
アッシュの目が険しくなる。しかし全く臆せず、ロマーナは続けた。
「穴が開けば、ヴィンにあげられる魔力の量も多くなるわ。尽きて私の命が危うくなりそうでも、鍵を開けて追加すればいいだけ」
「そしてその大量の魔力を、もう一度命の石を壊すことで強引に中に入れてしまおうというわけか? 加えて最後に癒しの鍵を使えば、自らの身も命の石も全て修復する、と。……愚かな。上手くいく保証は無い。下手すればどちらも死ぬぞ」
「でも、二人とも助かるかもしれない」
真っ青になっているロマーナは、ヴィンの短剣を握り直した。……どうやら覚悟は決まっているようだ。
呆れ果てたことだ。アッシュはヒトの前で、長い長いため息をついた。
「……後悔はしないな?」
「ええ。こんなことをさせてごめんね、アッシュ」
「たわけ、我を誰だと思っておる。――いくぞ」
アッシュの左腕が振り上げられる。同時にロマーナは、ヴィンの胸に短剣を突き立てた。




