42 彼の狙いとは
部屋の空気が凍りついた。先生の圧に、ここにいる魔法使いの人たちは目に見えて怯えていた。
「ああ、そこにいたのですね。我が妻よ」
先生がギイギイと体を軋ませながら、私の元へ向かってくる。ティカさん含めた魔法使いの人達が、サッと私の体から離れた。
「怖い思いをしたでしょう。さあ、部屋に戻りましょう」
「あっ!」
乱暴に腕を引かれる。その弾みに、反対側で握っていたティカさんからもらった赤い欠片を落としてしまった。欠片は転がり、すぐに視界から消える。
「皆さんの処分は、追ってルフより通達します。幸い“アレ”が脱走することはありませんでしたが……主犯格には相応の罰が必要でしょう」
「待って! あれは……!」
私がしたものだ。そう言おうとしたのに、突然口が縫い付けられたようになった。ティカさんが人差し指を唇にあてて私を見ている。言葉を封じる魔法をかけられたのだ。
(気をつけなさい)
ごく微かな声が頭の中で響く。ティカさんの声だ。
(ムンストンは、不死の騎士を憎んでいる)
「主人よ。この者、何やら魔法を使っておりますが」
白い影がティカさんと私に割り込む。私はブンブンと首を横に振ったけど、見向きもされないまま短い悲鳴が上がるのを聞いた。
「……部屋に戻りましょう、ロマーナ姫」
ティカさんの身に何が起きたのかは分からない。けれど、彼女がいるはずの場所からは赤い水溜まりが少しずつ広がっていた。
「今度こそ、どこにも逃がしませんよ」
酷く冷たい声に、私は頭が痺れたような感覚を覚えた。何かしなければと思うのに、恐怖と悲しさで竦んでしまった足はもう使い物にならなかった。
サンジュエル城を発ってから、もう二日目の夜になろうとしている。ヴィン達の乗る車の中は、重苦しい空気に包まれていた。
「……やはり、ノットリー城で間違いなかったようですね」
月を背負い山の中ほどに立つ巨大な城を見上げ、ヴィンは嘆息する。こうしてみると一枚の絵のごとく美しいものだ。あと少し近づけば、戦火と風化に打ち捨てられた城だと分かるのだろうが。
狭い車の後部座席で、体躯の大きい男が窮屈そうに身を捩って同じく外を眺める。
「攫われたロマーナ姫と魔法使い、赤き石を胸に嵌め込んだゾンビ、あの町の家々に置かれていた胸像、そして私の部下が調べてくれた情報――。並べてみれば一つの道筋が見えてくるが、未だ肝心のことは分からないな」
「誰が何の為にやったのかってことですわね?」
「いや、誰がやったのかは予想ついてますよ。普通では考えられませんが」
「そうなの?」
首を傾げるリンドウに、ヴィンは小さく頷く。
「イリュラ・ムンストン。ロマーナ姫の教育係、かつ国の礎となった偉大なる錬金術師です」
「えっ……!? でも、その人ってもう死んだんじゃ」
「そのはずです。しかし、オルグ公の調べてくださった情報全てが彼を指しています」
ヴィンの手元には、先程テトラが運んできてくれた巻物が広げられていた。
「かつて僕らを襲撃したトゥミトガ団の部下だった者達曰く、バーンダストという錬金術師派遣業者と奇妙な取引をしていたとのこと。なんでも、ある廃屋の床板の下に文書や取引物を置くことで交渉していたのだとか」
「ゆえに私は部下に命じ、その建物を調べさせたのである。すると、床板の下に巧妙に隠された抜け道を発見した。それを辿ってみて出たのが……」
「かつてムンストンが所属していた、錬金術国立研究所の中だったのです」
「中……!?」
驚くリンドウに、ヴィンは城を睨んだまま淡々と答える。
「そう、単なる廃屋と由緒正しき研究所は繋がっていました。突如現れた屈強な兵達に、当然研究所は大パニック。しばし事態の収拾に追われました」
「そりゃそうでしょうね……。ま、アタクシならオルグ様の部下と分かった時点で、お茶とお菓子をご用意するけど」
「あなたならそうかも分かりませんがね。ですがそこにいた錬金術師たちは、奇妙なことに誰一人として警備員に通報しなかったのです」
「侵入者が来たのに?」
「むしろオルジュー公の命で来たと聞いて、大変安心した顔をしたそうです。そして彼らは一斉にその兵に縋りつきました。『助けてくれ』『ずっと脅されて、したくもない非人道の研究をさせられている』『あの機械仕掛けのバケモノに』と」
「それって……!」
「そのバケモノは、自らをムンストンと名乗っていました。自らを国家創生の錬金術師だと言い、そう呼ぶようにと」
「……偽名、とかじゃなくて? だっておかしいわよ。普通そんな馬鹿正直に名乗るヤツがいるかしら?」
「それがムンストンという男なのだろうな」
疑問に唇を尖らせるリンドウに、答えを呈したのは、オルグだった。
「錬金術師達は、かつて“存命”だった時のムンストン殿とも研究を共にしていた。その手腕を見るに、別人とは考えにくいそうだ」
「オルグ様が仰るなら正しいですわね! ムンストンをぶちのめしますわよ!」
「オルグ公のお陰でリンドウの扱いが甚だ楽です。礼を言います」
「私には、未だ彼女が何故かような態度を取るのか分からぬのだが……」
「とにかく首謀者は分かっているのです。問題は、その目的」
ヴィンの肩に乗ったテトラが「ホー」と鳴く。彼は手を伸ばして、首元を掻いてやった。
「まあこちらの情報が漏れていたとなれば、考えられるのはロマーナ様の魔力目当てでしょう。ロマーナ様と鍵を手に入れることで、膨大な魔力を我がものとしたいのではと考えます」
「えー、そうかしら」
「なんですか、リンドウ。他に何があるというのです?」
「何って、一番シンプルなのがあるじゃない」
リンドウは、誰もが見惚れるような美しさを振りまきながらあっけらかんと言い放った。
「ムンストンはロマーナちゃんに恋してるのよ」
「…………は?」
「だってそうじゃないとおかしくなぁい? ロマーナちゃんの魔力に鍵がかけられてたって知ったのは、トゥミトガ団の人達が襲撃してからでしょ? むしろ百年の眠りから覚めるのを待って、攫いに来たって考えるのが妥当だと思うわ。絶対、ムンストンは前からロマーナちゃんを狙ってたのよー!」
「………………」
車内に沈黙が落ちる。だが突如、強烈な加速が後部座席の二人を襲った。
「きゃー! ちょっとヴィン、何アンタ急発進してんのよ!」
「失敬。一秒でも早くあのクソロリコンをぶち殺しに行かねばならない使命感に駆られまして」
「気持ちは同じだから! 気持ちは同じだから落ち着きなさ――ひゃあっ!」
「リンドウ殿、大丈夫か! 私の下に隠れて頭を引っ込めていろ!」
「お慕い申し上げておりますわ!!!!!!」
「何て!!!????」
オルグとしては自分の体で華奢なリンドウを潰さないようにとの配慮だったが、逆に抱きつかれて混乱した。ヴィンはなおも氷点下の表情でアクセルを踏み抜いている。しかし、そんな混沌の暴走車の前に立つ影があった。
「止まりたまえー! 我がここに降り立ったからには、無視をするなど言語道断であるぞー!」
まるで生き物のように髪をなびかせた長身の男が、両手を広げて車を阻んでいる。しかし悲しいかな、車は急に止まれない。
「あ」
「ギャウンッ!」
アッシュはいともたやすく、鉄の塊に弾き飛ばされたのであった。




