12 ドア越しの声
男の人に告白されたことなんて、無い。慣れていない直球の好意に鼓動は速くなり、次第に熱が顔に上ってくる。
この人は、間違いなくいい人だ。それはたった数分の会話の中でも、よく分かった。結婚すればきっと一生浮気なんかもされず、ずっと仲良く暮らしていけるのだろう。
……でも。
ダメなのだ。彼の愛の言葉を受け取ることはできない。私の心にはもうずっとあの人が住んでいて、隙間が無いくらいいっぱいに膨らんでしまっている。好きで好きでたまらない人がいるのだ。
申し訳ないけど断ろう! 意を決した私が、紙コップを掴み直した時である。
『む……? すいません、どうやら逢瀬はここまでのようです』
「え?」
『彼が来ました』
彼、とは言わずもがなヴィンのことだろう。姿が見えないのに察知できた理由は、きっとオルグ様の肩に飛んできたフクロウのテトラのお陰に違いない。
『返事はまた今度お聞かせください。私もそろそろ、不死身の騎士を倒さずともあなたにお会いできるようになりたい』
「あ、あの……!」
『それでは!』
そう言い残すと、あの体躯から想像できない速さでオルグ様はいなくなってしまった。錬金術か魔法を使ったのかもしれない。刹那の内に風になったもの。
と同時に、コンコンと私の部屋をノックする音が聞こえた。私は数センチ飛び上がったあと、わたわたと紙コップを隠してドアの前へと向かった。
「はははははい! 何でしょう!」
「……ロマーナ様。僕です」
「そうよね! ヴィン以外だったらどうしようかと!」
「はは。……少し、お話よろしいですか? ドア越しで結構ですので」
「うん、勿論!」
ドアの前にしゃがみこむ。いつ開けてもらってもいいように、いそいそと前髪を直した。
「それで、どうしたの?」
「実は先ほど、庭に不審な気配を察知しまして。ちょうどロマーナ様の部屋の真下辺りでしたので、ご無事を確認しに来た次第です」
「そ、そうなのね! ありがとう!」
「ロマーナ様は、不審な影を見ませんでしたか?」
「……」
見た。
めっちゃ見たし、話した。
だけどこれ、言わないほうがいいよね? オルグ様はいい人だったし、別に私に悪いことをしに来たわけじゃなかったし。
……。
…………。
「オ、オルグ・ガラジュー様が、来られていたわ」
「……」
「正しいご訪問ではないとは思ったけど、誠実な対応をしてくれたから糸電話を使ってお話しさせていただいたの。ごめんね。私も知りたいことがあったから、ヴィンを呼べば追い返されると思って何も知らせなくて」
「…………」
「い、以上です……」
ダメだった。言うことにした。だって隠し通せる気がしない上に、思い返せばオルグ様も「秘密にしてくれ」とは言ってなかったからである。
でも、怒られるよね……? 半分泣きそうになりながら恐る恐るドアの向こうに尋ねると、ヴィンは「いいえ」と否定した。
「怒ってはいませんよ。ただ、驚いています」
「驚いて?」
「……秘密にしないのですね。ガラジュー公が来られていたことを」
彼の声からは、さっきまであった鋭さが無くなっていた。ホッとして、私は頷く。
「うん。だって内緒にされたら嫌だよね?」
「……そうですね。教えてくださり、ありがとうございます」
「ううん。次にオルグ様が来られた時は、ちゃんと呼ぶようにするよ」
「……」
ここでふと、ヴィンに迷うような間があった。姿勢を変えたのか、ドアの向こうで服の擦れる音がする。
……彼の顔が見たいな、と思った。いつもと雰囲気が違う気がするし、ドア越しではあまりにも情報が少ないから。
「……ロマーナ様」
「なぁに?」
「実は僕からも謝らなければならないことがあるのですが、聞いていただけますか」
「え? う、うん」
「……僕は、オルグ・ガラジュー公爵が、ロマーナ様の正式な婚約者であると知っていました」
後ろめたさが滲んでいる。うつむいているのか、声は少しくぐもっていた。
「最初にオルグ公がこの城を訪れ、返り討ちにしてやった際に例の書状を見せられました。正式な文書とすぐ理解しましたが……当時のガラジュー公と同じ人格者であるか判断できないからと突っぱね、追い返したのです」
「そ、それは間違ってないと思うわ。もし悪い人だったら、私酷い目に遭ってたもの」
「……。その後もオルグ公は、何度も城を訪れました。僕を説得し、ロマーナ様の婚約者であると認めさせる為に。時には話し合い、それが面倒な日は剣を交えて。まあ、大抵は後者でしたが」
「今日もそうだったもんね……」
「……あまり気は進みませんが、断言できます。かの公爵は、良き領主であり、良き戦士であり、良き人です。見た目こそ魔物も裸足で逃げ出す形相ですが、人としての器はその辺りの有象無象とは比べるべくもありません。身分も、人柄も……僕などとは、まるで……」
最後のほうの言葉は、小さ過ぎてうまく聞き取れなかった。でも、きっと彼は落ち込んでいるのだと思った。理由は分からないけれど。
――表情が見えないのが、もどかしかった。
「……ロマーナ様の幸せを、心から祈っています。僕は、そうあらねばならない立場です」
「ヴィン……」
「だから、すいません。今から言う言葉は、ただの独り言です。聞きたくなければ、耳を塞いでおいてください」
塞ぐわけなかった。むしろ私は、ぴったりとドアに耳をくっつけた。
「……僕もずっと、あなたを待っていました」
そうして聞こえてきたのは、とても小さな声だった。
「オルグ公の比ではないほどの時間の中で、僕はあなたを待ち続けてきました。……深い夜を繰り返すような日々の中で、あなたの目覚める今日だけが僕の希望でした」
「……」
「あなたがいつか、この城を出て行くだろうことは分かっています。それを止める権利など、僕は持ち得ないことも。……だけど」
息を止めて、彼の言葉を聞いている。こんな隔たりがあっては、声などすぐに手のひらの上で儚く溶けてしまいそうで。
「――お願いです。もう少しだけ、僕をあなたを守る騎士のままでいさせてくれませんか」
「……!」
「いつか必ず、この手をお離しすると約束します。だけど、もう少しだけ……ロマーナ様が、オルグ公のお人柄をよくお知りになるまで。ご結婚の意思が固まるその日まで、僕をそばに置いてほしいのです」
「ヴィン……!」
ドアを開けようとした。けれど向こうから押さえつけられているのか、ビクともしない。それでも諦められなくて、私はドンドンとドアを叩いた。
「ねぇヴィン、聞いて! 私……!」
「……すいません、もうこんな時間ですね。僕は部屋に戻ります。……ロマーナ様も、早くおやすみくださいますよう」
「え!? 突然!?」
「では」
早口で言い切って、即座に足音は遠ざかっていく。取り残された私は、ドアを開けることも忘れてぺったり体を貼り付けたまま固まっていた。
……そんな。なんで男の人って、言いたいこと言ったら返事聞かずにどっか行くの? みんなそうなの? いや、今はそれどころじゃない。私の頭の中は、ヴィンに言われた言葉でいっぱいになっていた。
高揚感と、混乱と、驚きと。ああ、でも、どうなんだろう。勘違いかな? ひょっとすると、ただの思い込みかもしれない。私、昔からそそっかしいから。
だけど、だけど……。
――もし、私とヴィンが両思いだったら?
「……ふわぁぁぁぁ……!」
……まったく眠れそうにないぐらいに火照った頬を両手で押さえ、私はその場から動けなくなっていたのである。




