序の線
序の線
「もう、分かってるってば。大丈夫。すぐいくよ、さちばあちゃん。」
私を呼ぶおばあちゃんの声後ろで、けたたましくセミが鳴いている。もう、九月だっていうのに、まだ元気に鳴いている。往生際が悪いわ、なんて思ったら、彼らに失礼なのかな。
夏休みの最終日は誰だって憂鬱になる。私もそうだ。他の高校生と変わらない。でも、私は同世代の子たちとはどうやら違う生活を送っているらしい。タピオカミルクティーが好きじゃないとか、そんな可愛い違いじゃなくて、根っこの部分からして異質なのだと思う。その代表が、毎朝行われるこの日課だ。我が家には、他の家庭では考えられない奇妙なしきたりがある。
室町時代から、商人の一族として名を馳せてきた雪村家は、政界・財界のみならず、多方面でその名が知られている。由緒正しきお家柄というやつだ。私は、そんな雪村家に生まれた初めての一人娘。今まで、この雪村家に女の子が生まれたことはないらしい。ひらがなであかりと書く私の名前は、どんなに小さな明かりでもいいから、何かを照らせる「灯火」になってほしいという両親の思いが込められているそうだ。しかし、実際は何かを照らすどころか、代々続いてきた純粋な雪村の血筋に陰を落とす存在として、親戚からは疎まれている。男の子が生まれてくれれば、後継問題なんて考えなくて済んだのだろうけど、神様はそうはしなかった。そんなものだから、雪村一族の中では今でも、「存在を強く望まれていない人」として私は位置付けられている。そんな私の子どもの頃の味方は、早くに亡くなってしまった父でも、仕事で忙しい母でもない。朝早くからセミよりもうるさく私を急かしている、さちばあちゃんだった。
「学校に遅れてしまいますよ、あかりさん。さぁさ、早く済ませましょう。」
この日課があるから、ゆとりをもって家を出られないのよ、と喉元にせり上がってきた言葉をこくんと飲み込んで、和室に正座する。さちばあちゃんは熱を測るときのように、私の額に手を当て目をつぶった。
「では、今日もあかりさんが元気に過ごせますように、言霊の儀を始めましょう。」
言葉には、魂が宿っているのだと、さちばあちゃんは私に教えてくれた。なにそれと最初は思っていたけれど、今はだいぶ信じている。言葉は不思議だ。形はないのに、とても尖っていて、刺さると抜けないときがある。私の心には、刺さって抜けない言葉たちがありすぎて、もうどこにも投げることができないダーツの的みたいになっている。さちおばあちゃんは、毎朝私に言霊をつけてくれているらしい。
「今日一日がうまくいくように、力の宿っている言葉であかりを守ってくれているのよ。」と、母はまだ小学生だった私に説明をした。正直このおまじないがあったところで、絶望的に嫌なことがある日もあるし、この儀式をしてもらってすぐ、家を出たら鳥に糞を落とされたことだってある。高校生になったのだから、もうそんなおまじない必要ないと言うことだってできたのだろうけど、どうもできないのだ。
「行き交う者よ その姿を残せ
永遠に 守り通したまえ
その身 果てようとも」
おまじないを唱え終えると、満足そうにさちばあちゃんは微笑んでから、朝食の支度に戻る。その姿何十年見慣れた何気ない素ぶりが、私はたまらなく好きなのだ。
さちばあちゃんが作る料理は、優しい味がする。褒められたときも、叱られたときも、お父さんとお母さんに会いたくて寂しいときも、どうしようもなく切ないときも、いつだってばあちゃんの料理は、私をあたたかくしてくれた。優しい、その微笑みと共に。
明日から学校か、そう思うと同時に新しいノートを数冊買わないといけないことに気づいた。そのことを相談しようと席を立ったとき、台所から何か大きなものが落ちたような音がした。ぬか床でも倒したのかな、と様子を見に行った私が見たのは、力なく台所に横たわっている、さちばあちゃんの姿だった。
初めての投稿です。投稿頻度は遅めですが、温かい目で見守っていただければ・・・。