乱心
18章 乱心
「………!!!」
だんっ! だんっ! だんっ!
教皇カルレオは、血がにじむのではないかと思われるほどに歯を食いしばり、両の拳を机に叩きつけていた。机の小物が倒れ、床に転がる。その挙動と音さえも今のカルレオにとっては気に障るものだったので、思い切り蹴飛ばしてしまった。
「ふぅっ…、ふぅっ…」
久しく肩で息をする。彼がここまで取り乱したのは『黒の魔剣』による攻撃が無効化され、教皇派の、つまりカルレオの私軍であった黒鱗隊が戦わずに逃げ出した、と言う宣伝がされてしまったからである。『黒の魔剣』による攻撃が前提の作戦であったため、黒鱗隊の退却は理解できる。しかし、まんまとテンベルクとレジスタンスにその構図を利用されてしまった。
「……役立たずどもめ!」
攻撃失敗と退却を悪びれもせずに報告してきたヴォルテイルの態度もカルレオの癪に障るようだ。彼は有能ではあるが、カルレオのために働こうとしたことはあまりなかった。
一頻り怒りを発散したところで冷静になる。『黒の魔剣』の魔力による攻撃を無効化する手段があるならば、日和見を決めていた周辺国はテンベルク側になびくだろう。黒鱗隊は精鋭の集まりとはいえ、人数は300人ほどだ。人数の圧倒的な差は覆せない。
「どうする……。ここで私の運命は潰えるのか……」
タスケテヤロウカ
「―――神!!」
カルレオが身に着けている黒い竜石が奥から光を放つ。カルレオは今までになかった竜石の挙動に胸を躍らせた。「神」の言葉自体も久しぶりだった。そして、カルレオの頭に新たな知識が刻み込まれた。
「なるほど……。これを使って……、ならば……」
ブツブツと、うわごとのように刻まれた知識の内容を復唱するカルレオ。
「……アズカヴを呼ばねば……」
竜石の研究を担当している司祭の名を呟き、カルレオは自身の部屋を後にした。
「お目覚めになったようですが、何をしていたのですかな」
最早自身の部屋といっても構わないくらいに過ごしたストーナー家の屋敷の書斎で、ヴォルテイルは『黒の魔剣』に語りかけた。先日の攻撃失敗を気にしている様子はなく、むしろその前の『下見』で満足のいく結果を得られたことで機嫌はよかった。あの『手合わせ』を思い出しながらカルレオの罵詈雑言を聞き流していたくらいだ。
「失敗したから、代わりに穴を開けさせようと思ってな」
攻撃失敗後、クウヤはこの瞬間まで沈黙していた。以前アウステーラ城を吹き飛ばしたときも同様に沈黙したため、ヴォルテイルは気にしていなかった。
「ほう、しかし王都の竜石を集めても、また同じようにされるだけでは?」
ヴォルテイルはあの巨大な紅い翼を思い浮かべる。攻撃が失敗するとは考えていなかったが、代わりに珍しいものを見れた、とこれに関しても上機嫌だ。ヴェルナントへの期待値は否応にも大きくなっていく。
「まあ、見てろ」
クウヤは表情にこそ出さないが、少し上機嫌だ。ヴォルテイルは勝手ながらクウヤと自分は考え方や感じ方が似ていると思っている。次は何を見せてくれるのか、と心のどこかで期待しているのではないか、とヴェルナントは思った。
先日の翡翠の鉱山に対する『黒の魔剣』の攻撃を防ぎ、黒鱗隊を戦わずに追い返した、という宣伝が広がり、今こそ教皇派を攻めるとき、との機運が高まってきた。翡翠の鉱山の総督府では周辺国の代表が集まり、調整のための軍議が行われている。ヴェルナントは連日の軍議に大分てこずっていたが、なんとか終わりが見えていたのでほっとしている所だ。バーネットがヴェルナントの分のカップを目の前に置く。
「だいぶ疲れたな~、ベル。でも終わりが見えてきたぞ」
「あぁ、ありがとう、バーネット。……確かに疲れた」
「だがこの戦争を終わらせたあとも調整が大変だぞ?しくじったら次の戦争の火種になるからな。戦後にテンベルクの勢力が広がることを面白く思わないものもいるだろう」
「まだ終わっていないのに……」
「この戦争でテンベルクが払ったリスクを正確に他国に理解してもらって、きちんと納得できるリターンを配分しなきゃな。今回の王都への進軍も、『緋色の剣』をテンベルク所属にすることでテンベルク軍が一番先に、多くの敵と戦ったと主張できるようになっているからな」
「……フリードにはザクセン軍の指揮をとってもらわないと戦後がきつくなるのだが」
「頑として『緋色の剣』の所属で戦うことを譲らなかったな。そういう奴じゃなきゃ家出はしてないか。ザクセンについては終わった後に考えよう。フリード自身は大きく『緋色の剣』としての戦いに貢献している」
二人はほぼ同時にぐい、と紅茶を飲み干す。
「それで、身体の具合はどうだ?」
「今のところ問題ない」
「そうか」
カルスを乗っ取ったクウヤの急襲、ヴォルテイルとの『手合わせ』、そして先日の紅い翼……。ヴェルナントは災難続きだ。バーネットが心配するのも無理はない。
「そろそろ身体を動かしてくるよ。カルス達が待っている」
「おう」
ヴェルナントを見送った後、バーネットは今日の軍議の内容の確認に入るのだった。
身体の調子を確認するため、と言ってヴェルナントは剣の訓練の時間と内容を増やしていた。カルスやルネをはじめとした騎士の手練れや、剣士ハウザーに訓練相手になってもらい、実戦に近い打ち込みをとにかく繰り返していた。特に騎士の剣技とは異なる型をもつハウザーとの訓練はヴェルナントにとって重要な糧となった。
「筋がいい。父親から受け継いだ剣技だと聞いたが、命のやり取りを何年か実戦で潜り抜ければ相当なものになるだろう」
とはハウザーの弁。しかし、ヴェルナントは納得していなかった。彼にとって重要なことは、ヴォルテイルと一騎打ちをして勝てる実力が身につくのかどうかであった。これまで父に訓練で勝てたことはなかった。その父にヴォルテイルは勝った。ヴェルナントとヴォルテイルの戦場での経験の差は歴然で、今のままではその差は埋まらない。あれは、『手合わせ』だった。次に会うときは、『決闘』だ。
そしてもうひとつ、ヴェルナントは気付いたことがある。……自分はヴォルテイルを本当に憎んでいるのか、と。『手合わせ』のあとに地面に倒れ伏しながら感じていたことは、悔しさではなく、ある種の清々しさだったのだ。あれから考えてはいるのだが、まだ答えは出ていない。
「……とにかく、実戦が必要だ」
ミュウが用意してくれた軽食と飲み物を腹に詰めて、身体を少し休める。
「あまり無理しないでほしいです……」
ミュウがあきれたように呟く。ヴェルナントは実質的にミュウを伴侶として迎え入れることにしたのだが、ミュウは公にするのはこの戦いが終わってからにしてほしいと願い出た。『緋色の剣』結成時のメンバーならまだしも、それ以上の人々からそういう扱いをされるのはまだ早いと思っていたからだ。そういうわけでミュウは従来のようにレジスタンス組織の中で仕事をしている。まわりもミュウの気持ちを汲んであまり冷やかすようなことはしなくなった。
「なあに、ミュウが作ってくれたサンドイッチを食べたんだ。あと100人は相手できるさ」
「もう……」
少しミュウが笑う。
「―――見せつけてくれるじゃねぇか。今度は俺たちが相手だ!」
次の相手はリックとロックだ。最近は鉱山の労働者をまとめながら採掘に精を出している。シズヤの占いの精度が吐血しながら迎撃したあの日からなぜか飛躍的に良くなり、非常に効率よく竜石が採掘されていた。採掘された竜石はテンベルクとの取引に使われる。労働者の意見を反映する努力はしていたので、望む物を手に入れやすくなった労働者はさらに採掘に精を出すようになったのだ。
「ああ、よろしく頼む!」
ヴェルナントは剣を構え、訓練を再開した。
そのころのトリエントの王都エンテディアの王城の地下で、アズカヴはカルレオの発案に困惑していた。ザクセンの公主から献上された碧の竜石とカルレオの持つ黒の竜石を使い、戦略兵器を作るというものだ。
「教皇。この碧の竜石についてはまだわからないことばかりなのですが……」
「構わぬ。神託があったのだ。碧の竜石と王家の者の血、それを使用し、魔力の兵装を作り、わし自身が乗り込んで操る。レジスタンスどもが操ったあの翼と同じことを行うのだ」
「……服毒したレイオンの血を使うのでしょうか? 死後2か月以上経っていますし、量も足りません」
「神託を受けたのはまさにその部分だ。血を血で薄めよ。罪人どもと捕虜の血を搾り取れ」
今までも神託を受けた、と言っては誰も知らなかった知識を語りだすことはあったが、今回の神託の内容はまさに狂気といってもおかしくないものであった。アズカヴは考える。
(敗色は濃厚。今からレジスタンスになびいても教皇に近しいものは厳罰しか待っていないだろう……)
「……承知しました。レイオンの死体の解凍を行い、捕虜と罪人のなかから贄を見繕います」
「礼を言うぞ。わしの不老不死が成ればそなたも望めば不老不死にしてやろう。具体的な部分についてはわしが都度支持を出す。早速始めようぞ」
先に2人の影が奥に消え、レイオン卿の死体をはじめ、捕虜や罪人たちが運び込まれ、血を抜かれていった。血は黒の竜石に吸い込まれていく。服毒したレイオン卿の血を吸い込んだ黒の竜石は異様な震え方をしていた。
「教皇、異様な動揺をしておりますが、問題はないのでしょうか?」
「……このような動揺を抑えるために碧の竜石を使用する、との神託だ」
カルレオはそう言うと碧の竜石を中心に複数の竜石をはめ込んだ金細工を用意し、いまだに震え続ける黒の竜石に被せた。その後、直接手で黒の竜石を触れないように注意を払いながら、ひっくり返す。さらに用意された金細工をかぶせる。
「……肋骨のように見えてしまいますな。黒の竜石が心臓のようです。それを碧の竜石の魔力が膜で包んでいる」
程なくして馬のような胴体が生成され始めた。黒と赤の霧が集まり、液体となって肋骨の周りに肉のような塊をつくった。触感は想像はできるが、材料の由来を知るアズカヴは触りたいとは思わなかった。
「教皇はこれに乗り込む形になるのでしょうか?」
「うむ、わし自らこれを駆ってレジスタンスどもに引導を渡してやる。見ろ、あれがわしの新たな玉座じゃ」
黒と赤の混じった筋繊維はむき出しのまま、背中に人ひとり座れるスペースができた。馬のような、とはいったが、普通の5倍は大きい。この部屋から果たして出られるのだろうか?
「……教皇。この部屋から一回出たほうがよろしいのでは」
「わしはこのままこれに乗る。アズカヴは身の回りの品を用意させてくれ。このままでは座りにくいだろうからな」
カルレオがそう言うのと同時に玉座から階段が伸びてきた。カルレオはそのまま登っていく。
(いくら神託とはいえ呑気なものだ……。あのような得体の知れないものに乗り込むとは)
足早に階段を駆け上り、入り口に立っていた兵士に一応、身の回りの品を持ってこさせようとした瞬間、階下から恐ろしいどす黒い気配を感じた。
「……地下室にはもう行けないかもしれん……。いや、一刻も早く逃げ―――」
―――王都エンテディアの城下町の生き残りはこう証言した。黒い火柱が王城から立ち上り、町まで炎が燃え広がった。鉱山に向かって黒い巨大な獣が駆けていった、と。
「世話になったな、ヴォルテイル。いい暇つぶしだった」
「終わりの始まり、ということですかな」
クウヤの突然の別れの挨拶に動揺することなくヴォルテイルは答える。
「俺にとっては始まりなのさ。カルレオに鉱山の地下に穴を開けさせ、露出した部分から俺の本体を分解、少しずつ引っ張りだす。蛇みたいな形になっちまうな」
子供のような笑顔で説明をしているが、そうなった場合はフレイスの生命の破滅である。
「『決闘』がしたいなら今のうちにしたほうがいいんじゃないか? あいつらにこだわってただろ」
「……そうですな」
「じゃ、魔剣は返してもらうぜ。っと」
クウヤが左の掌をヴォルテイルに向けて魔力を放った。黒色ではなく、白と赤の入り混じった光をしていた。
「これで俺が死なない限りお前は不老不死。俺が死ぬことはあり得ないがな。……義理は果たしたぜ」
そう言って踵を返した瞬間にクウヤと黒の魔剣の姿が消えた。
「……」
ヴォルテイルは自身の掌を見つめる。不老不死になった実感はない。そもそも不死の部分は求めていない。目を瞑る。
(―――私の成したいことは、何だったのだろうか)
浮かんだのは、やはりヴェルナントの姿であった。
「……レジーナ」
「ここに」
いつの間にか傍にレジーナがいる。机の上には今ある中で最高級の剣が何本か用意されていた。彼女が傍にいて、いろいろとつくしてくれることが当たり前になっていた。レジーナは当然であるが不老不死の身ではない。この当たり前が終わる日も来るのだ。
「……ありがとう。いつも、助かっている」
「鉱山に、向かうのでしょう?」
「ああ、それと、竜石使いとそれと同数の騎士も鉱山に向かわせるよう。残りは王都で民たちの救助だ。王都の兵士たちと協力するように。もう遅いかもしれないが」
「王都に何か起こったのでしょうか」
「『黒の魔剣』を持っていかれる前に脳裏に浮かんだのは巨大な半人半馬としか言えないバケモノに取り込まれた教皇殿だ。その瞬間に王都が黒い炎に包まれている」
「!」
「そしてそのバケモノは馬より早く鉱山に近づいているのだ。クウヤ殿はそれと合流し、本体のほうを目覚めさせるつもりだろう。クウヤ殿の本体が蘇れば、フレイスの大地の生命は絶えるであろうな」
「その前に彼と決闘を?」
「決闘はするつもりだ。しかし、舞台はきっちり整えたい。レジスタンスを中心にフレイス中の兵が集まっている。もしかしたら今の内ならクウヤ殿を止められるかもしれん」
「なら鉱山に向かわせる部隊には白旗を持たせましょうか。……いえ、私たちで赴き、降伏の意思と事情を説明しましょうか」
「それがいいだろう。教皇殿はもうこの世にはおられないだろうからな」
「では準備いたします」
さらさらと降伏する旨と王都と鉱山への隊員の配分と目的を書いた書簡を3通したため、1通は黒鱗隊の隊員に持たせた。内容に驚いてはいたが、ヴォルテイルの表情を見て素早く行動を開始した。王都の人間はどれだけ助けられるだろうか。
「我々も出ようか」
「はっ」
ストーナー家の屋敷を飛竜が飛び立った。雲の厚い日であったため、思った以上に暗くなるのが早い。月は雲に遮られるだろう。王都に立ち上る黒い炎が見えた。鉱山に向かって伸びていく、黒い線も。あの速さなら夜明け前にたどり着いてしまうだろう。
(今夜が山場か。―――翡翠の鉱山ならばすぐに着く)
ヴォルテイル達にとっての目下の問題は、フレイス中の軍隊が集まった翡翠の鉱山の哨戒をどのようにかいくぐるかであった。




