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趙雲4 漢中戦での敗北 

劉備りゅうびが死に、劉禅りゅうぜんがあとを継いだ。

その五年後。

諸葛亮しょかつりょうの北伐に従い、漢中かんちゅうに駐留。

翌年、長安ちょうあんに向け進軍。

すると斜谷道やこくどうで、の将である

曹真そうしんが派遣した大軍と遭遇した。


諸葛亮は趙雲、および

鄧芝とうしと言う将軍に防衛を命令。

諸葛亮自身は祁山きざんを攻めた。


が、趙雲らの兵は弱く、

敵兵は強かった。


箕谷きこくで体勢を大きく崩されたが、

しかし何とか踏みとどまる。

そのため大敗、までには至らなかった。


しかし、これによって北伐は失敗。

敗績の咎を受け、鎮軍ちんぐん將軍に降格された。




建興元年,為中護軍、征南將軍,封永昌亭侯,遷鎮東將軍。五年,隨諸葛亮駐漢中。明年,亮出軍,揚聲由斜谷道,曹真遣大眾當之。亮令雲與鄧芝往拒,而身攻祁山。雲、芝兵弱敵強,失利於箕谷,然斂眾固守,不至大敗。軍退,貶為鎮軍將軍。


建興元年、中護軍、征南將軍と為り、永昌亭侯に封ぜられ、鎮東將軍に遷る。五年、諸葛亮に隨いて漢中に駐む。明くる年、亮は軍を出だし、聲を揚げ斜谷道を由さば、曹真は大眾を遣りて之に當る。亮は雲をして鄧芝と往きて拒ましめ、身にて祁山を攻む。雲、芝が兵は弱かれど敵は強く、利を箕谷にて失い、然れど眾を斂し固く守り、大敗には至らず。軍の退きたるに、貶され鎮軍將軍と為る。

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