張飛6 後継ぎのこと
張飛の副官は、
すぐさま張飛の横死を劉備に報告した。
すると劉備、副官からの報告が来た、
と聞いた段階で、ああ、と嘆息した。
「そうか、張飛のやつも死んだか」
義兄弟を失ったからといって、
一旦動かし始めた軍を
止めるわけにも行かない。
陣中から、張飛に桓侯と諡するよう指示。
そのまま劉備、あの夷陵の戦い、
陸遜によってズタボロにされ、
実質的にとどめを刺された戦いに赴いた。
さて、その後のことだ。
張飛の家督は長男の張苞が継いだが、
間もなく死亡。次子の張紹が継ぐ。
侍中、尚書僕射といった、
かなりの要職にまで上り詰めている。
張紹が死ぬと、家督は張苞の息子、
張遵に引き渡された。
かれは諸葛亮の息子、諸葛瞻に従って
綿竹と言う地で、鄧艾と交戦。
敗死している。
飛營都督表報先主,先主聞飛都督之有表也,曰:「噫!飛死矣。」追諡飛曰桓侯。長子苞,早夭。次子紹嗣,官至侍中尚書僕射。苞子遵為尚書,隨諸葛瞻於綿竹,與鄧艾戰,死。
飛が營の都督の表して先主に報せんとせるに、先主は飛が都督の表を有したるを聞きたるや、曰く:「噫! 飛は死にたりや」と。飛を追諡せるに曰く、桓侯と。長子の苞、早きに夭す。次子の紹が嗣ぎ、官は侍中、尚書僕射に至る。苞が子の遵は尚書と為り、綿竹にまで諸葛瞻に隨いて、鄧艾と戰い、死す。




