四月 『地蔵+三組=災難』
はあ…まだ疲れが取れてないようだ。
学校へ向かう途中にそんなことを考えながら、僕は大通りを歩いていた。昨日みたいに、道端で倒れてる(倒れてることが珍しいが)人はいないようだ。
くしゅっ!
ん? くしゃみか? …気のせいかな。
…おなかをすかせて困ってる(これも珍しい)人もいないようだ。
くしゅっ!
…気のせいかな。
「ティッシュ、持ってない? 持ってるでしょ? ちょうだい! ありがとう!」
朝から元気に鼻水垂らしてティッシュを欲しがってる人ならいました。
…まだ何もしてないのに…ん? あ、誰かがティッシュあげたみたい。…僕の手だったわ。なんか自分の手が怖くなってきたよ。
「ありがとー! 助かったよー。なんか、いきなりくしゃみが二連発出ちゃってさ」
いろいろ言いたいことはあるが、とりあえず僕のせいじゃないってことはわかる…よ。あとこの人よくしゃべるなあ…。
「ノア、なんで僕だとわかった?」
「さあなんでしょうねぇ…勘かなぁ?」
あっ、はい。
「それよりさあ」
ん? 学校の話か? それなら…
「くしゃみ二連続でたから風邪かなあ」
それなら僕のせ…じゃなくて、僕は関係無い…違う! なんでその話引きずるんだよ! 僕も人のこと言えないか。
僕は顔をしかめて、話題を変える。
「ねえ、昨日、自分の組わからないって言ってたけど、わかったの?」
「うん、一組だった」
「一組? 僕、三組だから近いね」
「ほんと? よかったぁ、知り合いが一人でもいると心強い! ないす!」
「言葉の返し方がわからん…」
あ、そうだ。聞きたかったことが三つあるんだ。
「ノア、聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「なに?」
僕は右手の人差し指をピンと立てて問う。
「ええと、一つ目。ノアは、転入生?」
「うん。そだよ」
やっぱそうだったか。
僕は人差し指に続いて、中指をピンと立てる。
「二つ目、院瀬見という名前に心当たりはない?」
「院瀬見…? 知らないね」
なるほどなるほど…。
今度は薬指を立て、続ける。
「三つ目、脈アリってなに? 例えば、ノアから見た僕で」
それを聞いたノアは、顔を真っ赤に染め、恥ずかしそうにこちらを見ている。
「ゆ、優くん…私を殺すつもり?」
「え? それってどういう…ってノア! 待って!」
ノアは学校に向かって全速力で走っていってしまった。
「まだ、僕がぼっちってこと言ってないのに…」
これは大変なことになりそうだ。
――三年三組。
僕はさっさとかばんをロッカーに入れ、自分の席に腰掛けた。
「おはようございます」
本を読み始めようとしたら、隣から聞き覚えのある声がした。院瀬見さんだ。
「お、おはようございます」
あ。かばんの中に筆記用具入れたままだった。
「すみれちゃん、気になる人とかいる?」
とんでもない質問だな。院瀬見さんすげー困ってるじゃん。まあ丁度いいや、筆記用具取りに行こう。
また院瀬見さんに質問してる人がいたので、僕はその場を離れた。
「え、き、気になる人?」
彼女は少し戸惑ってから、目を、僕の席がある方へ向けた。
「え? 俺?」
もちろんそこに優はいるはずもなく、その先で彼女たちの話を聞いていた男子が自分だと勘違いしてしまった。
「すみれちゃんもそうなんだ。やっぱり空閑君だよね」
「あ、英さん…」
「マジ? つか英、『やっぱり』ってどういう意味だ?」
彼は首をかしげ、彼女に問う。
英さんに空閑君と呼ばれた男子は、この栗花落中学校で一番イケメンと言われており、それに加え、誰にでも優しい対応ができるという噂もあるので、女子はもちろん、男子からも絶大な人気を誇るスター的存在だ。逆に、英と呼ばれた女子は、クラスの中ではあまり目立っていないようで、友達が少ない…と院瀬見さんから聞いた。以前、僕はクラスメイトの名前を知らないと言っていたのだが、昨日の夜に院瀬見さんに教えられたから覚えた。…その日転入してきた生徒に、自分のクラスメイトの名前教えてもらうとか…僕やべえ。
「え? わからないの?」
「なんのことだかさっぱり」
空閑さんは首をかしげたままだ。自分が学校で人気だということを自覚してないらしい。
「それより空閑君、すみれちゃんがそういうことらしいけど、どう思う?」
「そりゃ、うれしいに決まってるじゃん」
「…あの、二人とも、勝手に話を進めないで…」
いかん…院瀬見さんが困ってる。ずっとここにいても不自然だし、そろそろ席に戻るか。…でも、とてもあの空気の中に割り込むことができそうにないな。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴った。
ナイスタイミング! これで座れる。
立って話していたクラスメイトはみんな座り始めた。いや、ほんとはチャイムが鳴るまで全員座っていなきゃいけないんだけど。
僕はすぐに自分の席に腰を下ろし、本を開いて読み始める。
「さっきの話の続きだけど…」
「俺もその続きしたいぞ」
「えー? そんなぁ…」
え?
突然さっきの会話が再開した。僕は驚き、声が聞こえる方へ顔を上げてしまった。
僕の席の前に空閑さん。その左に英さん。そして僕の左に院瀬見さん。
…なるほど。院瀬見さんが昨日言いたかったことは「最低でも同じ班の友達の名前くらいは覚えましょうよ」か。…あれ? そんなこと言ってた気がするような…あ、あの時は、疲れてたから…許してください。ごめんなさい。
「優君? どうかしましたか?」
院瀬見さんはきょとんと首をかしげている。
「あ、いえ、なんでもないです」
僕は彼女にそう言ってから、本の続きを読もうと思い、視線を彼女から本に移そうとしたら、空閑さんと英さんが僕を見て絶句している姿が視界に入った。
僕の後ろに何か得体のしれない物があるとかじゃないよね?
一応後ろを確認してみたが、それらしき物は見つからなかった。
そして空閑さんと英さんが、声を震わせながら、同時に口を開いた。
「「倉ノ下(君)が…しゃべった…?」」
あ。そのまま返事しちゃってたか。まあ仕方ない。…で? なに? その…僕が…お地蔵さんみたいな言い方。僕がしゃべっちゃまずいのか?
僕たち以外のみんなは静かにしていたので、今の言葉が教室全体に響き渡った。
「え? あの倉ノ下君が…?」「今の…俺も聞いたぞ」「うそ! 信じられない!」「お地蔵さん…」
数秒の沈黙のあと、クラス全体がざわつき始めた。
マジでお地蔵さんみたいに思ってた人がいたのか…。まあ無理もないか…このクラスになってから昨日までクラスメイトと一度も話したこと無かったからな。そういや、なんでみんな僕の名前知ってるんだ? みんなに名前を覚えられないように努力したつもりなんだけど。僕最近あほになってきたのかなぁ…。
「皆さん、静かにしなさい」
伊藤先生がみんなに呼びかけ、すぐに静かになった。伊藤先生すごっ。
「倉ノ下さんがしゃべったことには、正直、私も驚いてるが…後にしてくれ」
え? 後にしてくれ、って…嫌なんですけど…。
そこで、ちょんちょん、と肩をつつかれた。院瀬見さんだ。
「あの、優君って、本当にみんなと話されないんですね」
「…怖いですから」
前を向いたら今度は空閑さんが僕を見ていた。
「倉ノ下の声、初めて聞けてよかった」
「…はい?」
「あ、いや、なんでもねえぞ」
すごい意味深なこと言われてめっちゃ気になるんですけど。
「空閑くん、なんでもないことないでしょ、このことはちゃんと説明したほうがいいんじゃない?」
空閑さんが話を終わらせようとしたところで、英さんが続ける。
「そうか…わかった。倉ノ下、説明するって言っても要約するぞ。えーとつまりだな、その、倉ノ下と話そう! って感じだ」
あの、もうちょっと説明工夫してくれないかなぁ? その自信満々な顔でそれが言えるんだね…。すごいよ。
「空閑君、倉ノ下君が困ってるじゃない…もうちょっとましな説明の仕方はなかったの?」
僕が困った顔をしているので、英さんがかわりにつっこんでくれた。英さんもわかりにくかったんだ…。
「ごめんごめん。…俺説明下手だからさ、かわりに英がやってくれよ」
「最初からそう言ってよ……ごめんね倉ノ下君。私が説明するから」
…英さんは安全かな…空閑さんも悪そうじゃないけど、これから様子くらいは見とこうかな。
「あ、いえ…ご心配なく」
「えっとね、短く言うと…倉ノ下君と、仲良くしよう! って感じ?」
あ、二人とも説明下手なパターンですか。まあ…わからないこともないようで、あるかもしれないかもしれないし無いことも無いかもしれないような気もしないことも無い……自分で何を言ってるのかわかんなくなったや。…あとで先生に聞いとこうかな。
「空閑さん、英さん…この話は後にしない?」
院瀬見さんが提案してきたが、僕はすぐに言い返す。
「あ、後で先生に聞こうと思うので、もういいですよ」
「その言葉を笑顔で言われると、少し悲しくなるよぉ」
僕の言葉に対して、口を尖らせながら口答えする英。
そ、そうですか。
「ところで、倉ノ下ってさ、なんで俺たちに対して敬語なんだ?」
優が苦笑いしたところで、空閑から唐突の質問が飛んできた。
「えーと…僕は、いろんな人が怖くなっただけです」
「ふーん、なるほど…そういうことね」
全く意味の分からない答えだったはずなのに、彼は納得したようだった。しかも、英まで同じように、うなずいている。
なんで二人ともわかったんだろう? 僕以外の人にはわかりにくい答えだったはずなのに。
キーンコーンカーンコーン。
と、ホームルームの終了を告げるチャイムが鳴った。
「おっと話し過ぎてたみたいだ。…そういや自己紹介がまだだったな。俺の名前は空閑隼だ。じゃ、これからよろしくな、倉ノ下」
「ほんとだ、チャイム鳴っちゃったね。…私は英遥。私からもよろしくね、倉ノ下君」
二人は優に笑顔で自己紹介をした。
なら、僕も。
「僕は…」
と、口にした直後。昨日見たできごとが目の前でまた起こった。というか僕に起きた。
「倉ノ下君、本当にしゃべったの!?」「もっかいしゃべってよ!」「お地蔵さんじゃなかった…」
質問攻めが来たのだ。…ってまだお地蔵さん引きずってるのか…というのは置いといてだな。僕さあ、先生に聞きたいことあるんだけど!? なにこの威圧感。こわっ。逃げられそうにな…
「うああ!?」
ガターン!
――なんだここ、暗いな…。
「……! ……!」
なんだ? 誰の声だ? よく聞こえない…。
「……! …君! 優君!」
この声は…。
徐々に視界が明るくなってきた。瞬きを数回繰り返した。
「……ん…」
天井? 僕は今仰向けになっているのか? …ここは…保健室?
視界の右側に、院瀬見さん、空閑さん、英さんの三人がいる。
「優君! 痛みはありませんか!?」
院瀬見は、優の目覚めにいち早く気付き、声をかけてきた。
痛み? どういうことだ?
「倉ノ下! 大丈夫なのか!?」
英と話していた空閑も、それに気付いて、優に声をかける。
「大丈夫ですけど…」
僕はそう答えてから、周囲を見渡す。少し開いた窓から風が入り、カーテンがひらひらと舞っている。僕は、心配した顔で僕の顔を見つめる三人を見た。
「…僕は何で保健室に…?」
僕は問いかけながら、横になっていた自分の体を起こそうとした。
「まだ横になっていてください。もう少し体を休めていたほうがいいですよ」
「…わかりました」
院瀬見さんは僕を気遣ってくれたようなので、僕は大人しく従うことにした。
「倉ノ下、覚えてないのか?」
空閑は驚いた様子で優に問いかける。
「…はい。一体、何があったんですか?」
「倉ノ下君…ホームルーム後に、あなたがクラスのみんなから色々言われたことは覚えてる?」
空閑に代わって英が説明を始める。
「覚えてます。確かあのあと脱出しようと試みて……あ」
「うああ!?」
ガターン!
座っていた椅子が傾き、そのまま豪快に後ろへ倒れた。そして、頭を打った。そこからの記憶が無い。
「…床に頭をぶつけてから、記憶がありません」
「そうね……だから私たちがここにいるってわけ」
この人、ほんと説明下手だな。いや、下手というより説明になってないな。重要なところ省きまくってるし。結論だけ言われてもわからないんだよ。
「院瀬見さん、お願いします」
「…は、はい」
彼女は僕の言葉でなんとなく、ちゃんと説明してほしいということを察したらしい。
「まず、優君が頭を打ちました」
彼女は真剣な顔で、事の成り行きを打ち明ける。
「そのあと、三人で心配して、ここに来ました。わかりましたか?」
…ことができなかった。
何で僕の周りの人たちはこんなに言語力が残念なんだ…。
院瀬見さんは依然として真剣な表情を浮かべている。その自信はいったいどこから湧いてきたのやら…。
「後で先生に聞いときます。――それより、三人ともここにいていいのですか?」
僕は時計を見ながら三人に問う――時計の針は午前の九時五十五分を指している。
確か…ホームルームが終わったのが八時五十分だから、僕は一時間も気絶してたのか!?
「そうだな…倉ノ下が目覚めたし、俺は教室へ帰るぞ」
「…私も行くね。早く戻ってきてね」
「あ、待ってください」
空閑さんと英さんが教室へ向かおうとしたところで、僕は一回止める。
「一時間目の授業はしっかり受けましたか?」
「ああ。倉ノ下のことが心配でしょうがない院瀬見はどうだったか知らないけど、俺はちゃんと授業受けたぞ」
「えっ」
院瀬見は少し顔を赤くして空閑を見ている。
「私もだけど、クラスのみんなもそうだよ。…私たち三人は、授業終わってからすぐ、ここに来たの」
そうだったのか。…なんだか、めずらしく説明がわかりやすかったな。
「心配かけてしまって…すいません…」
優の謝罪に対して、空閑は笑顔で言った。
「別に俺は構わねぇぞ。自分の意思で来たんだからな」
空閑君は…本当に優しいんだな。
「…倉ノ下、もういいか? そろそろチャイムが鳴りそうな時間だ」
彼はそう時計を見てそう言った。優も一緒に時計を見る。――現在九時五十八分。次の授業は十時からなので、あと二分しか残ってない。
「はい、ありがとうございます」
「じゃあな、お大事に」
優、院瀬見、英の三人は空閑が保健室から出ていくのを見届けた。
「じゃ、私も行くね」
「あ、英さん。担当の先生に、遅れると伝えてくれない?」
英も行こうとしたところで、院瀬見が口を挟んだ。
「わかったよ、すみれちゃん」
英は気遣ってくれたのか、それ以上何も言わずに退室した。
院瀬見さんは僕を見て、笑顔でこう言った。
「私は、少し残りますね」
「え…授業に行かないんですか?」
「そうですよ、院瀬見さん。今すぐ教室に戻りなさい」
そう言って現れたのは、保健室の先生だった。
「先生……わかりました、教室に戻ります。失礼しました」
彼女は少し悲しそうに見える表情で、保健室から出てから、ぺこりと頭を下げ、その場を立ち去った。
先生はすぐにこちらを見た。
「具合はどう?」
「ほとんど平気…というか、何があったのか覚えてないので、どこが悪かったのか…あまり把握できてません」
「そうね…あなたがここに運ばれてきたのは九時前だったかしら? 伊藤先生が担いで来られたわ」
「そうだったんですか…そうなった成り行きはわかりますか?」
「あれ? さっきのお友達に聞かなかったの?」
「まあ、はい」
あれじゃわかりにくいよ…。
先生は少し考えるような身振りを見せて、続ける。
「確か、倉ノ下君が頭を床にぶつけて気絶してるところを、伊藤先生がすぐに生徒たちに呼びかけてその場治めたって聞いたわ。頭を打ったってことを聞いてすごく焦ったけど…脳震盪とか起きなくて安心したわ。不幸中の幸いと呼ぶべきね」
「そうですね…」
僕はうなずいてから、窓の外を見た。同時にチャイムが鳴った。
また彼女に迷惑をかけてしまった。…登校中にノアに自分の組教えたから、大変なことになるって思ってたけど…ノアが来る前に大変なことになったな。もしノアに会ったら、今度はしっかりと話そう。そういや、クラスの中に信用できそうな生徒がいてよかった。クラスの中に一年と二年のときのような人たちが、いないといいんだけど…。
「すみれちゃん、意外と早かったね」
教室に入ってきた院瀬見に、英が駆け寄る。
「うん…保健室の先生に戻りなさいって言われたから…」
院瀬見はうつむいたまま答える。と、同時にチャイムが鳴った。
「あ、チャイム鳴っちゃったね。早く座ろ」
「うん」
クラスのみんなはもう席に着いており、二人だけ立っている状態だった。
「先生はまだ来てないのかな? ラッキー」
英はそんなことをつぶやきながら自身の席に着く。院瀬見も座り、国語の先生が教室に入ってきたので、号令を済ませる。授業が始まった。
――放課後。
「今日もお疲れ。学校には慣れてきたか?」
担任の伊藤先生が、元気のない顔の院瀬見に声をかけた。
「…学校は少し慣れてきました」
「なんだ、元気が無いみたいだな。倉ノ下のことか?」
「…はい」
「倉ノ下なら五時間目の後すぐ、家に帰ったぞ」
「え? なんでですか!?」
院瀬見は驚きの表情で先生に問う。
「五時間目が終わるころ、急に高熱を出したんだ。それで私が家に送った」
「そうだったんですか。…そうだ! 私、今から優君の家に行っていいですか?」
「別に構わないが…そっとしといてやれよ? あと、院瀬見も熱を出してくれたら困るから、ほどほどにな」
「ありがとうございます! あ…でも、私…優君のお家、知りません…どこにありますか?」
伊藤先生は目を丸くして、「知らなかったのか」と言ってから、
「院瀬見の家の隣だ」
と、驚愕の出来事を口にした。
「え、えええぇぇぇぇーーー!!?」
「驚きすぎだ」
「…本当、ですよね?」
「当たり前だ。先生が嘘をつくわけないでしょ?」
「わかりました。ありがとうございます。――では、さようなら」
院瀬見は頭をぺこりと下げてから、その場を後にした。
――冷たい。頭がひんやりとしてる。
僕は、突然やってきた冷涼感で目を覚ます。
…確か、先生に送ってもらって…そのまま寝てたのか。
「あ、ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」
僕は今日、似たような光景を二度も見た気がする。そこには、天使のような人が立って、僕の頭に手を伸ばしている姿があった。
「…てん…し…?」
「今何か言いましたか?」
院瀬見さんだった。天使じゃなかった…。
「早く元気になってくださいね」
横には氷水が入った洗面器が置いてあった。僕の額にはその氷水で濡らしたと思われる、冷えたタオルがあるのが確認できた。
「…ありがとうございます」
優は彼女の顔を見て、礼を言った。ベッドの脇に置いてある椅子に座った院瀬見は、頬を赤く染めて、目を逸らした。
「ど…どういたしまして。…も、もう少し寝てていいですよ。ずっとそばにいますから」
これはありがたい。
「…わかりました」
いつかこの借りは返さなきゃな…。
そんなことを考えてるうちに、僕は、ゆっくりと眠りに落ちていった。
「…あ、起きちゃった」
僕は唐突に目覚めた。上体を起こすと、少し濡れたタオルがお腹の下に落ちてきた。…礼言わなきゃ。
「院瀬見さ……」
「…………」
寝てる。院瀬見さんがさっきと同じ場所で、椅子に座って寝てる。そっとしておこう。今何時頃だろうか?
優はベッドから抜け出し、空の様子を確認するために大きい窓に近づき、カーテンを開けた。
「く、暗い…」
時計を見る――八時。
「寝過ぎた…」
とりあえず熱を測るか…。
――ピピピピピピ。
三十六度五分…よかった! 下がってる!
――ピーンポーン。
「え?」
優が喜んでたところに、急に玄関の方から、インターホンの鳴る音が聞こえた。
「早く出なきゃ」
優は眼鏡をかけるのを忘れ、部屋から飛び出るように出てから、階段を降りてすぐのところにある玄関まで急いで、玄関のドアを開いた。
「どちら様…」
優は目の前に立つ人物を見て硬直した。
そこには、
「あ。あなた…優君?」
篠崎ノアっぽい人がいた。
読んでいただいて誠に感謝いたします。