四月 『転入生』
僕は今、学校へ向かって歩いて登校している。時刻は、七時五十分…たぶんだけど。
今日は火曜日。学校がある日だ。学校は月曜日から始まるのだが、一昨日の日曜日に急に『それ』が襲ってきて、『それ』のせいで昨日は学校に行くことができなかったのである。『それ』のことを知しらない人は少ないかもしれないが、一応説明しておこう。『それ』とは、腹痛のことである。他にもいろいろなできごともあったのだが…要約して、腹痛だ。既にその原因は捨ててある。
うぅ…思い返せば結構悲しい出来事だったな。…過去の出来事を引きずってても意味ないことだし、忘れよう。できれば同じことを繰り返さないように注意せねば。
「今日は…たしか六時間授業だったな」
今歩いているところは、僕の家から学校までの道のりの丁度真ん中あたりだ。僕の家から学校まで、徒歩で約十五分だ。学校の日はいつも七時四十五分に家を出て、八時に学校に到着するようにしている。なので、今は七時五十二、三分だろう。
他に考えることが見つからないので、顔を上げて周りを見てみた。
車一台通るのがやっとという狭さを持つ、細い道を歩いている。ずっと後ろには僕と同じ学校の制服を着た男子が歩いていた。遠くには自転車で仕事場に向かう大人と、野良猫が一匹(なんでこんなとこいんの?)いた。その野良猫は、ちょこんと座っていて、今歩いてる道の横からさらに狭い道に入るところで何かを見てるようだった。
なにかあるのかな、ちょっと見ていくか。
僕はそう思って、走って近づいてみた。すると、それに気づいた野良猫はさっさと逃げてしまった。僕は野良猫を見送ってから、狭い道への入り口に目を向けた。
「っ!!」
僕はとっさの出来事に息を呑んだ。
そこには、うつ伏せになって倒れている少女がいたのだ。金髪で、少し長い。背中にはリュックを背負っている。どうやらこの少女も、僕と同じ学校の生徒のようだ。細い道から歩いて来たのだろう、僕がいる方向を向いて倒れていた。
よくこんな狭い道通ろうと思ったな。
「あのー、大丈夫ですか?」
とにかく、人が倒れているので、僕は声をかけて反応を待つ。
「…ぅぅ…」
「大丈夫ですか!?」
「…大丈夫じゃ…ない…」
「とりあえず、立てますか?」
僕はそう言ってその少女の顔の前に手を差し出した。少女は遠慮なく、
「ありがとうございます…」
と言って、僕の手を取り、ゆっくり立ち上がろうとして、
「痛っ!」
「大丈夫じゃなさそうですね…一旦座りましょう」
倒れそうになった彼女を支えてから、座るように促す。彼女は地面に腰を下ろし、膝を見た。
「あちゃぁ…」
覗いてみると、彼女の膝が、少し血で赤くなっていた。痛そう。近くに少し大きめの石が転がっていた。
うつ伏せになっていたのは、つまずいて転んだからだったのか。その時に地面で膝を擦りむいたのかな。…そんなことより、
「これは、すぐに応急手当をするべきです。僕がしましょうか?」
「あの…通りすがりの方にあまり迷惑をかけたくないんですが…ってあれ?」
彼女は僕の制服を見るなり、
「同じ学校の生徒なんですかっ!?」
と、急に元気になった。自分の膝の心配しなくていいのかよ…。
「そうですけど……とにかく、早く手当しないと、ばい菌が入りますよ」
「何年生!? 私三年生なんだけど、君も三年生!?」
だめだ、聞いてない。しかもいきなり敬語じゃなくなってるし…まあいっか。一応答えとくか。
「三年生です。とりあえず、落ち着いてください!」
「うぅ…ごめん…なんか親近感湧いちゃって。あはは…」
「今から手当しますよ。あそこの川が流れてるところの横に座ってください」
僕はそう口にして、今いる場所の反対側の、川沿いに並んでいる岩を指で刺す。
「なんかごめんね、私なんかの為に」
「全然大丈夫ですよ、まだ時間ありますし。それに、道端で女の子が倒れていたら、普通はほっとけないですよ」
僕が笑顔でそう言うと、彼女を彼女は少し照れた様子で僕から目を逸らして言葉を紡ぐ。
「そ、そう…まあ、いいことなんじゃない? …座ったよ」
彼女が岩に座ったので、早速手当を始める。
「まず、水で膝を洗いますよ。しみるかもしれないので、我慢してください」
「う、うん」
彼女は目を逸らしたままだ。どうかしたのだろうか。いや、今はこっちに集中しよう。
川の水で膝を優しく洗う。
「ん…!」
ええと次は、消毒液をガーゼにつけて、優しく消毒するんだっけ。こんな感じかな?
「いっ! しみるっ!」
「耐えてください」
「ひどい…それだけ?」
それだけ?って言われてもねぇ…。ええと、最後に膝の擦り傷を包むようにガーゼを貼る。貼る?いやわかんないな。どうでもいいか。よし、たぶんできた。間違ってたらごめん。
「終わりです。あとは、学校に着いてからすぐに保健室へ行って、先生に診てもらってください」
「君、容赦ないね…優しいのか優しくないのかわかんないよ。…まあでも、助かったよ。感謝してる。てゆーか、なんでガーゼとか消毒液持ってんの?普通みんな持ってないよね?」
「そりゃあ、普通の方は持っておられないでしょう。僕がこれらを持ってる理由は、簡単なことです」
「今みたいに、すぐ怪我の手当ができるように、ってこと?」
「まあ、だいたいそんな感じです」
僕は応急手当に使用した物をリュックに閉まって、立ち上がる。
「さあ、学校へ行きましょう。そろそろ行った方がいいと思いますので。…立てますか?」
「うん、立てるよ。心配してくれてありがと」
彼女は立ち上がり、歩こうとしたところで、何かを思い出したのか、足を止めた。
「そういや、まだ名前聞いてなかったね。私は篠崎ノア。君は?」
「僕は…倉ノ下優です。ノア…?」
「そ。私、ハーフなの。お母さんが日本人で、お父さんがヨーロッパ人」
「なるほど…だから金髪なんですね」
彼女は、その金色に染まった髪を揺らしながら歩き始める。
「そうなのよ、いいでしょ?お父さんから受け継いだものの一つなの。あのさ…い、一緒に学校行かない?」
「もちろん、いいですよ」
僕はそう言って、彼女の隣に並んで歩き始めた。
「じゃあ…これから優君って呼ぶね! 私のことはノアでいいよ!」
「…わかりました。ノア、でいいですね」
「あと同じ三年生なんだから、敬語使わない」
彼女は人差し指を立て、顔を近づけてそう言った。結構近いんですけど。
「…わかったよ。あと、顔近い」
「あっ…ごめん…」
彼女は、すぐに顔を引っ込めてから、うつむいて歩いている。
「? すごい顔赤いけど、熱でもあるんじゃない?」
僕は心配して、彼女の目をのぞき込んで聞いてみた。
「だ、大丈夫だから! すぐ、治るから…うん。平気」
彼女は目を逸らしながらそう答えた。
「そ、そう? ならいいけど」
僕は胸を撫で下ろした。
歩いて二、三分たったところで、突然、音が鳴った。
ぎゅるるるる…。
ん?
僕はその音が鳴った方へ目を運ぶと、ノアが顔を赤くしてこっちを見ていた。
「…なにか、食べれるもの…持ってない?」
可愛いな、おい。
「おなかすいたのか?」
「うん…朝早く家出てから町を歩いて回ってたから…おなかすいた…」
けがの次は空腹ですか。なんか可哀想だな。たしかお金持ってたから…
「途中でお店寄ろっか」
「え? 私お金持ってないよ…?」
「僕がおごるよ。ちょっと急ごうか」
僕は彼女の手を取り、歩くペースを少し上げる。
「え、ちょ、さすがにそこまでしてもらわなくてもいいよ…」
「まだ財布に余裕あるし、人助けに使っても悪い気分にはならないと思うよ。遠慮しないで」
「…わかった…お願い」
「よし、着いた」
「『主にケーキ その他諸々』…って、この町で有名なケーキ屋さんじゃん! 一回行ってみたかったんだよね! へー、こんなとこにあったんだー」
そう、僕が彼女を連れてきた場所は、僕のバイト先の、ケーキ屋さんだ。…って今有名って言ったか? 初めて耳にしたぞ。
「そんなに有名なのか?」
「うん、だってこの町のHPに大きく宣伝してあったよ。それに、口コミでもめっちゃ広まっってるし」
へぇ、僕って意外とすごいところでバイトしてたのか。なるほど…だから客と給料が多いのか。
「? どうかしたの? 何か考えてた?」
「いや、なんでもない。とにかく早く買おうか」
「うん!」
彼女はにっこり笑ってうなずいた。
「おはようございまーす」
「いらっしゃい…ってあれ? 優君? どうしたの?」
今のはこの店の店長だ。若くて背が高くてかっこいい。この人目当てで店に寄る客も少なくないだろう。
「まあちょっと、いろいろありまして…」
「これくださーい!」
いやはえーよ! 今店長と話してるじゃん! …それにしても目のつけどころがいいな。そのケーキみんなで考えまくってできた春の新作だぞ。あ、一番わかりやすいように宣伝してあるから当然か。
「店長、それじゃなくて桜餅にしてください。時間無いので」
「い、いいの? …じゃ、わかった、持ってくる。待ってて」
ノアが選んだものを即却下して、歩いて食べれるものにした。まあホントは登下校時におやつとか食べたらいけないんだけど…仕方ないじゃん?だって美少女が困ってるんだよ? 仕方ないじゃん?
「ええええ!? これ食べたいのにぃ! なんでよぉ!?」
「落ち着いて。それはまた今度自分で買って食べてよ。これから学校なんだし、ちゃんと考えようよ」
「うぅ…ごめん、気を付ける」
僕は、校則に反することは、あまりしたくないのだが、こればっかりは仕方ないと思っている。それに今更やめるわけにもいかない。
店長が桜餅片手に戻ってきた。
「優君、これでいいかい?」
店長は持ってきた桜餅を僕の目の前に差し出す。
「はい、ありがとうございます。たしか五十円でしたよね」
「あー、優君ならいいよ、お金払わなくても。毎回お世話になってるし」
「いや、さすがにそんな訳には…」
「全然平気だから、気にしないで」
「…では、お言葉に甘えて。ノア、食べていいよ。どうぞ」
桜餅をノアの目の前に差し出すと、彼女は目にも見えない速さでそれを取り、食べ始めた。
「んー! 絶品! うまいっ!」
見ていてこちらも幸せになりそうな笑顔を浮かべながら桜餅を頬張っていた。
なんだか観光客みたいだな。
僕はそんな彼女の様子を見ながら、肩をすくめていた。
店長は、まんじゅうを食べてるノアを見て、僕にこんな質問をしてきた。
「ところで、桜餅を頬張ってる、その金髪の女の子は誰? もしかして優君の彼女?」
「ごふっ、げほっ、ごほっ」
店長のせいでノアがむせちゃったじゃないか。
「店長…変なこと言わないでくださいよ。この方は、説明がめんどうなので省きますが、先ほど初めて会って今一緒に登校してるだけの同級生です。はい、ノア、お茶飲んで」
「あ、ありがと…」
僕はむせたノアに無料のお茶を渡す。このお茶は誰でも自由に飲めるやつだ。
「今のでも結構そういう関係に見えるんだけど…」
「ホントに違うんで」
僕は即否定した。
「ごめんごめん。でも、ほら、ノアちゃん…でいいのかな? 彼女を見てごらんよ」
視線をノアに向ける。ノアの背中なら見えるけど…。
「? なんですか?」
「わからないの? 結構脈アリだと思うけどねぇ」
「脈アリ…ってなんですか? あと店長、顔がすごいニヤニヤしてますけど」
僕は首をかしげ、質問をする。同時に店長に対して少し引いていた自分がいたことに気付いた。
「まあそのうちわかるんじゃない?」
「そのうちわかるといいです」
ノアを見ると、店のごみ箱に紙コップを入れて、僕の顔を見ていた。
「…そろそろ行こ。早く行かないと遅刻になっちゃう」
いやノアのせいだからね!? というツッコミは抑えといた。代わりに、
「そうだったね。じゃ、行くか」
という返事をした。
「店長、ありがとうございました」
「…ありがとうございました」
二人で礼をしてから、僕たちはまた歩き始めた。
「遅刻しないようにねー!」
店長は、僕たちが見えなくなるまで手を振っていた。
やがて、店長は優たちが見えなくなってから、こんなことをつぶやいていた。
「あの二人結構お似合いだと思うなぁ…」
歩きながら、学校の門をくぐる。
「ふう、やっと着いた。よかった、まだ時間ある」
少し歩くペースを上げたため、予定より早く着いた。学校に着くまでの道のりで、僕とノアが交わした会話は、さっきの店を出た後、一度も無かった。
「ノア、僕三組で下駄箱あっちだから、ここでお別れだね」
「…待って」
「ん?」
「私…自分の組、知らない」
え? どゆこと?
「えっと、それってどういう意味…」
「職員室の場所教えて」
「え? あ、えーと、あっちに職員玄関あるから、そこから入ってすぐのところにあるよ」
僕はその方向へ指をさして説明すると、ノアは納得したようにうなずいた。
「わかった。じゃあ、また後で」
ノアはそう言うと、職員玄関の方へ走っていった。
「なんで自分のクラスがわからないんだ?」
さっぱりわからん。
「っと、早く行かなきゃ」
僕は下靴を上靴に履き替えて、三年三組に向かって走りだした。
ノアは職員玄関の前に立って、僕が昇降口に入ったのを見届け、
「…ふふ」
彼女は口元に笑みを浮かべて、つぶやいた。
「あんなに優しくしてくれた優君なら…いいかも」
三組の教室に足を踏み入れ、自分の机に向かう。その間にいろんな会話が耳に入ってくる。
「そろそろ座ろーぜ」「そうだな」と、時計を見て行動する者。
「昨日のあれ、すごかったよねー!」「ねー!」と、チャイムが鳴るまで話している者。
「今日、転入生来るらしいね」「それ俺も聞いたわ」と、転校生のことでわくわくしてる者。…ん?
どれも僕には関係ないことだからどうでもいいや。とりあえず座ろう。
僕は無言で自分の席に座り、かばんの中身を出していた。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴った。同時に、自分の席に座ってない生徒は急いで座り始める。クラスの生徒全員が座った直後、担任の伊藤先生が入ってきて、みんなに向かって口を開いた。
「今日、突然で申し訳ないが転入生がこのクラスにやって来たぞ。温かく迎えてやってくれ。さあ、入れ」
へぇ…中途半端な時期に来るもんだな。まあ都合上しょうがなかったんだろうな。そういや、ノアは転入生っぽい感じだったけど…ノアじゃないよな。
僕は本(この前の土曜に買ったあの本)を見ながら、かつ聞き耳を立てながら担任の先生の話を聞いていた。
そして、人が入ってくる気配を感じた。歩く足音が聞こえる。
「さあ、自己紹介だ」
「はい。…こほん。私の名前は」
声からして、女子だろうな。うん、ノアじゃない。別に名前は聞かなくていいか。おっ! この洋菓子、ケーキの一部として利用できるかもしれないな。今度店長に相談してみるか。ん! 何これ、めっちゃおいしそー! なになに? 作り方は…家でいっか。あ、自己紹介終わったみたいだ。結局、名前聞かなかったな。
「じゃあ、席は…あの席に座れ」
「わかりました」
先生は転入生に自分が座る席を指定し、ホームルームの準備へ取り掛かった。
ん? なんか足音が近づいてきてるような…勘弁してくれよ? 先生に隣の席を空けるように言ったのは僕なんだぞ。ここに来るとかないからな?
真横で足音が止まった。そしてそのままかばんを下ろし、準備をする音が聞こえた。
ああ、マジで来たよ。くそっ伊藤先生め…。どうなっても知らんぞ…。
ところで、なんで僕がこんなに隣がいないほうがいいのか、説明しよう。理由は二つある。一つは、できるだけ一人がいいので、静かにさせてくれ、というわがまま。もう一つは、僕はこのクラスではボッチという存在なので、お隣さんに迷惑をかけたくない、という他人への配慮。なぜ僕がこのクラスでボッチなのかというと、友好関係をあまり築かないというのが第一である。僕から見ると、男子は、グループになって変なことをしてる変人の集団(一部を除く)で、女子はキャーキャーうるさいし愚痴が多い(一部を除く)から、関わるととんでもないことになりそうな気がすると思っているのである。
だから、友好関係を築かず、いつも一人で過ごしている。特に辛いことはないから大丈夫だ。
「あの、よろしくお願いします」
彼女は僕に声をかけてきたようだ。
驚かすなよ…少しビクッてなっちゃったじゃん。
「よ、よろしくお願…」
顔を上げて、隣に座った女子を見ると同時に、一瞬体が硬直した。
隣にいた女子は、
「お久しぶりです」
僕に笑顔で、話しかけてきた。今、僕の頭の中は、驚きと疑問であふれている。
「え? 君…まさか…」
「はい、そのまさかです」
「あのときの…?」
「やっと気付いてくれたようですね。私も驚きました」
「もう一度名乗りますから、覚えてください。私の名前は」
彼女は、この前の土曜日に三回見かけた、あの少女だったのだ。
「院瀬見すみれ、です。これから、よろしくお願いします」
あの偶然は、もはや必然であったかのよう。
あの日とは少し違う髪型。それでも変わらないその美しい茶髪を少し揺らしながら、彼女はにっこり笑って、僕に自己紹介をしたのだった。
「…」
僕はひたすら困惑し、彼女の微笑みを呆然と眺めることしかできなかった。
読んでいただいて感謝します。