05
――少女に、なにか罪障が在った訳では無かった。
腕と脚をもがれ、顔を岩で潰されて殺された、という友人の告別式へ向かい彼女との別れを悲しみ、学校の帰り際に、腹部を滅多刺しにされて殺されたという用務員の居た船に花を置いてやった。ただそれだけだった。
だというのに少女は、今ある男に追われていた。男ははぁ、はぁ、と息を切らし、その醜い顔に薄気味悪い笑顔を張り付けて、少女のことを追ってくる。男が、友人と用務員を殺した殺人鬼だ、ということは、明白であった。それだけではない、その二人が殺された各日、少女は見てしまったのである。
用務員が殺されたその日、舟置き場にいる用務員に詰め寄る男の姿を! 友人が殺されたその日、友人のことをにらみつける男を!
一体この男は何が目的なのか。少女にはさっぱり分からなかった。だが少女は、今、自分の命が狙われている、ということだけは理解できた。
――次第に、疲れからか、走るスピードが落ちてくる。それも当然だ。少女は魔女でもなければ陸上選手でもない、何の変哲もない少女なのだから。
男は、ぐんぐんと少女に近付いて来る。危機感を感じた少女はあたりを見回して、周辺に、逃げ込めそうな建物はないか、と探した。
が、付近に民家はおろか、建物の一軒もない。少女は息を切らしながら、もう一度辺りを見回した。しかし、そこに広がっているのはやはり、逃げ込めそうな建物はない、という現実ばかりで、少女はまるで崖に叩き落されたような絶望を感じた。
が、不意に少女は足を止めた。突如目に飛び込んできた、駅。普段は全くと言っていいほど人の居ないあの駅も、黄昏時の今ならば、通勤、通学で汽車を使う人間が居るかもしれない。少女は僅かな希望を抱いて、駅へと走り出していた。その間も男は、ぐんぐんと距離を詰めて来る。
が――、駅は、いつもの通り無人。少女は汽車さえくれば、どうにか逃げられるかもしれない、と、駅のホームから、汽車が来ないか覗き込んだ。そして、そこから肩を突き飛ばされた。
頭から、体が線路に落ちていく。
――男だ。あの男の仕業だ。地面にゆっくりと着地しながら、少女は暢気にもそんなことを考えていた。
地面に頭が付く。ボサン、という鈍い音とともに、砂ぼこりが舞った。少女は、ホームの笑みでニヤニヤ笑みを浮かべる男を睨みつけ、体を起こそうとした。
が、体は何故か動かなかった。困惑する少女を、まるで全身の骨が折れたかのような痛みが襲う。
幾度も幾度も体を起こす少女。突如、踏切の甲高い音が、あたり一帯に響いた。
――汽車だ。少女は恐怖に震える。こんな、線路の上に寝転がる少女のことなど、運転手や車掌ですら見えないだろう。
どうすれば――一体、私はどうすれば、良い? カチ、カチカチ、と歯を鳴らして震える少女に、男は手を突き出した。え? 少女は訝しんだ。なぜ、自分で突き飛ばした少女を、自分で助けようとしているのだ、この男は。
少女は何度も汽車と男、そして自分の体の三つを見比べ、一体全体、自分がどうすればいいのかを考えた。
そして、手を伸ばし、男の手をつかんだ。両手で、しっかりと。少女は、自分が今助かるために、一番最適な方法は、恥を忍んで、男に手を借りる方法だ、と学んだようだ。
男は非力なのか、小柄な自分を持ち上げるのにもかなりの時間を要している。あぁ、汽車はもう目前に。
男はしばし時間をかけて、少女を引き上げた。ホームの、自分が今現在いる位置の隣に、少女の体を下す。
ほっ、と安堵の息を、少女は漏らした。肩はまだ痛いが、なんとか立っていられる。
汽車が、だんだんと少女の前目掛けて近づいてくる。嗚呼、あれにひかれなくて、本当に良かった――。少女が心から安堵した、その時。
再び、少女の体はホームから落下した。え? え? 少女はまた混乱に陥る。見ると、先ほどの様に男が、ニヤニヤ笑いを浮かべながら、落下する少女を見下している。
一体、どうして? 少女は地面に着陸する痛みを感じるのよりもその先に、そんなことを考えるようになった。どうして、どうして自分は、あんなに醜い、気持ち悪い男に殺されなければならないのだろうか。
なんで、自分はこんなみじめな死を迎えなきゃいけないんだろう。少女は涙を流した。その涙には――薄黒い汽車が、反射していた。
「――私を、殺してあげて」
「こんな悲しくて辛い、醜い世界にいる――私を、殺して、天使にしてあげて」
「貴男はもう、二人もやったんだもの。きっと大丈夫。大丈夫よ――」
そんな声が、男の耳を貫いた。