5章 決戦 健斗VS大吾(7)
「……もういいかしら」
薄暗い家庭科室の机の下から、夏希はひょこっと顔を出した。
待っていればいつかは逃げる機会ができる、との読みは当たっていた。自分が大きく後ろに下がったとき、それを追おうとして風子が石に躓き転んだのだ。大吾の注意もそちらに逸れたとき、ここしか逃げるチャンスはない! と思い一目散に駆け出した。校舎内に入り、隠れられそうな場所を探した結果、偶然にも鍵が空いていたこの部屋に逃げ込むことができた。当然大吾に追われはしたが、なんとか気付かれずに数分が経った。
「ああいうのは勘弁してほしいわね……複数人に追われるのはたまったもんじゃないわ」
息も整ったので、ゆっくりと家庭科室を出る。司会の声から察するに健斗が誰かを追って転んだようだったが、無駄に丈夫な幼なじみだ。そちらの心配はしていない。どうやら春香も同じところにいるようなので、とりあえずの合流を目指して移動を開始する。
「あーもう、手も痛いし、溜め込んだお菓子なくなっちゃったじゃない……ってか何なのあの男。投げたもの一つ残らずキャッチしていくし、化物かしら」
すると階段の上から、何やら愚痴を零しながら女子がとぼとぼと向かってくる。
「あ、おはようございます」
「おはよう」
軽く頭を下げて挨拶され、夏希も返す。そのまますれ違ったところで、
「……敵じゃんこの人!」
「あんた敵じゃないの!」
互いに振り返り、刀身をぶつけ合う。あまりにも自然に歩いてきたせいで気付くのが遅れた。あと数瞬振り返るのが遅れていたらみっともなくやられていただろう。
「秋篠夏希さんね! 女バレの若いエースで部員からの人望もあって、密かに男子の中では可愛いと噂の二年生! そういえば直接話すのは初めてかしら!」
「あら、よく知ってるわね! 噂は知らないけど、調べ上げたの?」
「調べるだなんてやだ、やめてよ! あたしはかいちょーみたいなことしません! 生徒会の備品監査のときあたりに顔は合わせてるはずよ!」
「そういえばそうだったわね! そっちは真田さんだったっけ?」
「そうそう、生徒会書記やってまーす! 覚えなくてもいいわよ!」
重ねた刀を押し込み合いながら互いに睨みつける。昨日のような野良喧嘩ならば腹部に足の裏でも叩き込むところだが、ルール的にも倫理的にもそれはまずい。乱暴な思考を頭から追い払っていると、小手の防具を狙われたので剣先を弾いて逆に攻める。しかしそれは腕を上げて刀の根本で塞がれ、一旦距離を取って構え直した。
「ところで、うちの春香はどう? 挨拶くらいは交わしたと思うけど」
息を整えていると、里美が問いかけてくる。言葉を濁しているが、プライベートな質問だった。夏希はジェスチャーでマイクのスイッチを切るよう示す。
「大丈夫よさっき切ったから。こっちのチームは基本的に付けてるようにってかいちょーから言われたたけど、これはさすがにね。で、どうなの? あたしはかいちょーからも春香からも昨日の報告受けてて、全部知ってるんだけど」
「どうなのって言われても、あたしはあたしがやりたいように頑張るだけよ。春香ちゃんには負けないわ」
「あらーすごい自信。これが幼なじみパワーってやつかしらね。でも油断してるとすぐ抜かされちゃうわよー? キスも昨日のうちに済ませたみたいだしねー」
「キスねぇ……キス?」
キスといえば、好きな人同士が唇を合わせる行為である。別名接吻とも言う。
「あれ? その様子だとご存じない感じ? ……って、うわぁこっちきたぁ!?」
「キスって! キスってどういうことよ! ちょっとあんた答えなさい!」
「細かいことは知らないわよ! 同じチームの人に聞いたら! って滅多打ちやめて!」
里美に飛びかかり、とりあえず空いていそうなところへ次々と打ち込んでいく。
『いつの間にか真田さんと秋篠夏希が接触していたようです! カメラ切り替えてカメラ! そうそうそんな感じ……おっと! 秋篠夏希、勢いで真田さんを押しているー!』
「そりゃあたしだって、幼稚園くらいの頃はやったりしたけど! でも物心ついてからは全然だし! またあたしの知らないところで進んでるし!」
「秋篠さんの事情なんか知らないって!」
「いいから何がどうなってるのか教えなさいよ!」
「だから知らないわよー! ……あっ」
スパァン! と夏希の一撃が綺麗に里美の頭部へと入る。それに次いで、鳴るブザー音と点滅するヘッドギア。自分が斬り合いに勝ったのだと自覚して、やっと我を取り戻す。
『おーっと! これは疑いようもございません! 両者のマイクが入ってないのが残念ですが、綺麗に決まりました! 真っ先に脱落したのは、生徒会チームの真田さんだー!』
「……なんか悪いわね」
「もー、秋篠さんは悪くないけどさー、あたしいいとこないじゃないのよー。なんか成果上げたらグミの他にもねだろうと思ってたのにー」
里美は落ち込んでいた。完全に勢いに任せていたので、どこか申し訳なくなる。
「……ってか、本当に詳細は知らないから。春香か北野さんのどっちかにでも聞いてください。あとなんか気が合いそうだから、そのうちご飯でも食べない? 春香も交えてさ」
「気が合う……そうかしら? 好み男性のタイプは全然違うようだけど」
「まあねぇ、あたしには北野さんの良さがさーっぱり……っていや、悪気はないんだけど」
「あたしだって自分でどうかって思ってるからいいわよ。それじゃあそろそろ行くわ」
「あいよー。あ、小野寺さん聞こえてる? お菓子拾うから戻るのが遅く……え、そっちで拾ってくれるの? ああそう、なら任せたわ」
マイクを入れて司会に話しかける里美に背を向け、残り二人を探しに出かけようとした、その直後。
「瀬戸海ぃいいいいいいいいいい!」
聞き覚えのある無駄に大きい声が、ビリビリと校舎を震わせた。




