4章 戦士の休息(13)
それは、最初はただの雑音だった。だから気にも留めていなかった。
芝生や遊具が充実し、中央にある噴水が人気スポットでもあるこの公園は、駅に近い公園ということもあって昼間は常に賑わっている。休日に小さい子どもや学生が集まり、一日中たむろするのも特に珍しいことではない。よって、健斗が彼らを視線の端に捉えたとき、それはただの仲良し高校生集団だと思っていた。
変だな、と思ったのはそのうちの一人がタバコを吸い始めたときだった。しかし休日でも学ランを着用しているのは部活帰りなどの可能性もあり特に珍しいことではないし、学ランを着ているからといって二十歳未満であるとは限らない。よく見れば制服を着崩し、金や銀のアクセサリーを多数着用したうえ、成人しているような風貌には見えなかったが、そういう大人がいても変ではない。だから健斗はそれを見過ごしていた。
彼らの行いが許せなくなったのは、地面にタバコを投げ捨て、足で踏みつけたときだった。健斗は食べようと思っていたリンゴを春香に預けて立ち上がり、高校生らしき集団に指を突きつける。
「おい、お前ら! ポイ捨てはよくねーぞポイ捨ては!」
罪悪感はなくとも、ポイ捨てであるという意識はあったのだろう。彼らが一斉にこちらを向いた。髪を金色に染めていたり、リーゼントだったり、剃りこみを入れていたりといった、絵に描いたような不良である。
「なんだコラァ! てめー文句あんのか!」
歩いてこちらに近づいてくる。健斗は臆さず、視線を逸らさない。臆す相手でもない。
「あ、あの、北野さん!」
「大丈夫だ、心配すんなって」
安心させようとベンチに座ったままの春香の肩を叩く。少し震えているようだが、自分は彼らを注意しようとしているだけだ。心配することなどなにもない。
「お前もう一度言ってみろや。俺たちがなんだって?」
大股で五歩くらいの距離にまで近づいてきた金髪の男がそう言う。彼らは健斗たちのいるベンチを囲むように扇状に広がっていた。
(ひーふーみ……二十人くらいか?)
人数を数える。自分を脅す気ならばあと三十人は持ってきてほしいところだった。
「ゴミをポイ捨てすんなって言っただけだ。いいから大人しく戻って拾えよ」
先程まで彼らがたむろっていた、噴水の側の辺りを指す。しかしどうやら大人しく従ってくれる様子はなかった。金髪は呆れたように鼻を鳴らし、健斗を見て嗤う。
「聞いたか? こいつ俺らに向かってエラソーに命令してるよ! 俺たちを誰だか分かって言ってんのかね!」
「自分のケツも拭けねえような甘えん坊集団だろ。捨てたゴミ拾うくらいしろよ」
「は?」
自分と同じくらいの歳の男から甘えん坊などと言われるとは思わなかったのだろう。金髪たちは、怒気を孕んだ声で聞き返してくる。聞き返しというより、威嚇行為と言った方が近いだろうか。
「だからゴミ拾えつってんだろ。ゴミはゴミ箱に、タバコは灰皿に。知ってんだろ」
一歩も引かずに健斗が言うと、今度は金髪ではなくピアスを入れた男が答えた。
「あのなあ、俺たちを誰だと思ってんだよ。俺たちは荒志野高校の」
「てめーらが誰だろうとゴミ拾いに関係ねーだろーが。皆で気持ちよく公園を使う。そのためにゴミはしっかりとゴミ箱に捨てる。決まりきったことだろ」
「はぁ? んじゃお前が拾えばいーだろ? そっちのが早いじゃねーかよ」
「何で俺がてめーらのケツ拭いてやんなきゃいけねーんだよ。他人に任せっきりにしてるからいつまでたっても甘えん坊なんだ」
新しく文句を付けてきた男にピアス二号と名付けながら健斗は言い返す。自分たちが優位だとでも思っているのか、不良たちは全く吸い殻を拾いに行く様子がない。どうしたもんかねえ、と健斗が考えていると、
「アニキ、アイツって確か……」
「ああ、こっちの女の方にも見覚えが……」
ヒソヒソと話している男たちの声が聞こえてきた。健斗はつい、そちらの方を見やる。
「あー、やっぱり!」
「てめえ、あのときの!」
他の不良たちとともに、健斗の視線もそのリーゼントと小太りの男の方に行く。健斗はその男たちに見覚えがあった……ような気はしたのだが。
「……誰だ?」
覚えていなかった。
「忘れてんじゃねーよ! 先週そこの女と一緒に通学中に見かけたなぁ、オラァ!」
「てめえに殴られたときの痛み、まだ覚えてるかんな! コラァ!」
小太りは春香を指し、リーゼントは右手を掲げる。その言葉でやっと思い出した。
「あっ、あのときの雑魚ども!」
「「なんだと!」」
彼らは声を揃えて健斗を睨む。しまった、これでは相手を逆撫でするだけだ。そんなつもりはなかったのだが、つい声に出してしまった。
「いやすまねえ、悪気はねえんだ」
「誰が許すか! てめえ俺らに恥かかせやがって!」
「この腕とクリーニング代千五百円の落とし前どう付けてくれんだゴルァ!」
小太りとリーゼントが前に出て、健斗に迫ってくる。前は健斗の力を見て逃げ出した彼らだったが、仲間とともにいるからか引き下がりそうにもない。健斗が困っていると、
「あのっ、落とし前なら私が付けます」
ゆっくりと、春香が健斗の前に出た。そこから助け舟が出るとは思わず、健斗は思わず声をかける。
「冬宮、お前には関係」
「あります。もとは、私のせいですから」
その目に強い意志があるのを見て、健斗は引き下がった。仮に春香に何かあったとしたら自分がどうにかしようと決意し、気は抜かないでおく。
「へぇ……お前がどうにかしてくれんのか?」
「見せてもらおうじゃんよ。なんなら向こうにでも行くか?」
リーゼントの男が春香を見ながら人気のない物陰の方を指し、下卑た笑いを浮かべる。その表情は前に健斗が見たときと全く変わっていない。いやらしい笑いだが、春香は硬い面持ちを変えずにじっとリーゼントを見つめていた。そして、
「あのこれ、どうぞ!」
勢い良く、頭を下げながら千円札を二枚差し出す。
「……これは?」
「クリーニング代と、あとあのとき零したコーラ代です。コレで足りますよね?」
「……ああ、まあ」
リーゼントは一応、といった風にその春香の金を受け取った。ふひひと笑っていた他の不良たちは声を収め、周りに沈黙が訪れる。耳に入るのは木々の揺れる音と、公園の人々の話し声、他は道路の方から流れるクラクションくらいだった。
そんな中、次に口を開いたのは健斗だった。春香を背中の方へと移動させ、言い放つ。
「よし、これで先週の分は丸く収まったな。あとはお前らタバコの吸い殻拾えよ」
「おま、エラソーにしてんじゃねえよ!」
近くの金髪が健斗の膝辺りにキックを放つのが見える。健斗は冷静に足を上げて脛で防ぎ、その足で腹部に蹴りを入れ返す。反撃が来るとは思っていなかったのだろう。金髪は吹き飛んで、後ろの仲間を二人ほど巻き添えにして地面に倒れた。
「てめえ! 何しやがる!」
「手ぇ出してくんならこっちだって容赦しねーぞ。俺は捨てたゴミ拾えって言ってんだよ、蹴り入れる前にそんくらいやったらどうだ!」
臨戦態勢を取る不良たちに、なるべく小声で言い返す。健斗は正論を言ったつもりでしかないだが、彼らはそうは思ってないようで一向に構えを解かない。
(仕方ねえなぁ、やるしかねえか……)
健斗は合わせて構えようとする。が、右腕を開いたところで袖を弱く引っ張られた。
「?」
振り返ると、それは春香がやったことだった。細い指で健斗の服の袖をつまんでいる。
「だめ、です」
弱々しい声で止めようとしてくる春香に、健斗は自信たっぷりに返す。
「あのなぁ、この程度なんでもないっつーの。冬宮にも危害は加えさせねえから見とけ」
そう言って前を向こうとするも、また引っ張られた。
「いくら北野さんでも、この人数差じゃ……」
「そう言われてもなぁ」
飛びかかってくる金髪を回し蹴りで一蹴してから、健斗は頬を掻いた。自己流であるが、鍛えてないわけではない。二十人の素人程度なら無傷で凌げる自信があった。もちろん春香も守りきった上でだ。しかし、どうもそうは感じていない様子である。
「だめです、北野さんになにかあったら、私……」
どうやら春香自身より健斗のことを心配しているようだった。安心させようと、健斗は笑顔を浮かばせて、
「おいおい、心配してくれるのはありがてえが……」
そこで声を止めた。理由は単純だった。春香の目が潤み、足が震えていたからだ。
確かにここで周囲の不良を返り討ちにすれば、タバコの吸い殻を拾わせることも容易いだろう。しかしそれは自分の都合だけを考えた場合のことであり、冷静に考えれば、一介の女の子である春香が好んで喧嘩を見たいはずがない。健斗のことを友人だと思っているのならば、尚更そうであるはずだ。
迂闊だった。自分の力を過信して、その結果、友人を悲しませるようなことがあってはいけない。当たり前のことなのに、それを今まで分かっていなかった。
それならば自分は今、どう行動するべきか。にじりよってくる不良たちを見て、春香を見て、健斗は息を吐きながら構えを解く。
「冬宮、行くぞ」
「え? 行くって……」
今にも襲い掛かってきそうな不良たちを前に、答えている余裕はなかった。健斗は春香の背中と、膝のあたりに手を差し込んで、ぐっと持ち上げる。
「え、ちょ北野さん、なんで!」
「荷物、手放すなよ!」
健斗が動いたのを見て、何か仕掛けてくると思ったのか不良たちが一斉に飛びかかってくる。健斗は春香を抱えたまま、先程まで座っていたベンチをひょいと跳び越した。
「えええええっ!?」と腕の中で春香が叫ぶが、気にしている余裕はなかった。「待てやゴラァ!」「逃さねーぞ!」と背後から聞こえてくるからだ。普段ならともかく、春香と荷物を多く抱えている今、のろのろ走ると追いつかれる危険がある。さすがに健斗でもこの状態で喧嘩をするのはきついものがあった。
「てめえ、逃げんじゃねーよ!」
「くそっ、あいつ妙に逃げんのうまいな!」
(こちとらずっと佐倉坂に住んでんだ、追いかけっこなら負けるかよ!)
胸の内で叫びながら、健斗は一心不乱に公園を駆け抜けていった。




