4章 戦士の休息(8)
いくら急な悲鳴を心配したからってさすがに下着姿を見てしまったのは、いくら健斗でも悪いと分かる。それで悲鳴を上げられていては意味がない。何回も何回も頭を下げ、わざとじゃないからと許してもらえ、健斗は心底ホッとしていた。ただでさえ春香には「おっぱいの大きい女!」と言い放ったことがあるので、これ以上変態だと誤解されるわけにはいかなかった。
(でもまあ、綺麗だったよなぁ……)
この時期の制服は冬服であるため、布越しでない肌を近くで見る機会はあまりない。そのせいか、先程の光景がやけに印象に残っていた。照明に照らされた透き通るような白い肌。動から静に移る時に生じる一瞬の慣性で揺れ動く胸。どこか色気のある薄いピンクの下着。思い返せば、瞼の裏に鮮明に――
「北野さん? どうかしましたか?」
「なんでもない」
平静を装って健斗は即答する。今ここで考えていることがバレれば、恐らく一瞬で軽蔑される。仕方ないと言えばそうなのだが、できればそれは避けたかった。
そんなことを考えてるうちに、映画館までたどり着く。日曜の昼間なので当然人は多く、中は混雑としていた。チケット売り場の前で健斗は足を止め、春香に訊ねる。
「観るやつのタイトルってなんだっけか」
「『明日、君に叫ぶ恋の歌』ですね。えっと、高校生である草野宗次くんが明日同級生に告白しようとするんですけど、そこで交通事故にあって……から始まる話って書いてました。略称は『あすきみ』ですね」
恋愛映画自体にはあまり興味がなく、調べてこなかった健斗は「へぇー」と気のない返事を返した。有名どころの俳優などを起用しているようだったが、テレビもラジオも聞いていないので若手俳優のことは全然知らず、あらすじにもあまり心惹かれない。
しかし春香は結構楽しみなようで、ちょっとした緊張が感じられた。幼なじみもこの映画に期待していたようだったので、女子はすべからく恋愛映画が好きなのかもしれない。「北野さんと……隣」という呟きも聞こえてきたが、自分との隣は嫌なのだろうか? 席を離した方がいいのかな、と考えながら健斗はチケット売り場の最後尾に並ぶ。
映画は夏希に誘われて時々観るが、最近はご無沙汰だ。飾られているポスターには子供向けアニメ、大人向け恋愛モノ、サスペンスホラー、歴史モノ……といろいろなジャンルの宣伝が見られる。最近は子供向けではないアニメ映画も増えているようで、健斗は見ていないが「ああいうのもなかなか面白くて……」と夏希が言っていたのを思い出す。
ぐるりと見渡しているうちに待機列が捌け、発券機が一台空く。
(最近はこういう窓口に人間の係員がいなくなったんだな……)
時代の流れを感じながら、健斗はたどたどしくタッチパネルを操作する。
「えっと、『あ』……『し』……『た』……」
「違いますよ、ペアチケットがあるので、こうやって発券するんです」
春香は発券機にスマホをかざして、操作する。ピッという音が鳴ってからすぐにチケットが二枚排出される。機械に弱い健斗は、何がどうなってるのか全く分からなかった。
「こちら北野さんの分です」
チケットの片方を渡され、健斗は礼を言う。と、はたと気がついて春香に聞いた。
「席隣でよかったのか?」
「え、嫌でしたか……?」
どうやら嫌ではないようだった。いや別に、と健斗は返して売店へ向かう。ポップコーンやジュースなどを売るこの店は、チケットとは違いさすがに店員がいるようだった。
こちらは案外空いていて、すぐにカウンターへと案内される。
「いらっしゃいませ、ご注文はいかがなさいますか?」
「えっと……」
春香は事前に考えていなかったのか、メニューをじっくりと見ている。健斗はいつも頼んでいる塩ポップコーンSサイズとオレンジジュースSサイズを頼もうと口を開くと、
「今なら『あすきみ』コラボのカップルコンボがおすすめですよ! Lサイズのポップコーンが一つとお好きなジュースMサイズが二つで千円ちょうどとお得です!」
「か、かか、カップル!? いえ、そんな仲では……!」
店員が営業スマイルでそんなものを勧めてくる。健斗は考えた。カップル。男女の付き合い。好き合っている恋人同士。春香とそういう関係ではないと断言できる。幼なじみにも好きな男がいるようだし、きっとこの年頃の女子はそういうのに憧れているのだろう。
「なに悩んでんだよ、好きなの頼めばいいだろ?」
「そ、そうですよね。ふつーに、好きなのを頼めばいいんですよね……」
何故か乾いた笑いを出す春香が、震える声で店員に言った。
「塩味でカップルコンボを一つ、お願いします。私はコーラで」
「え? あっ、お、俺はオレンジジュースで」
「かしこまりました」
驚きながら注文すると店員が準備を始めた。疑問の目で春香を見ると、
「こ、こっちの方が安いですし……ほら、節約です、節約!」
ちょっと赤くなりながら、五百円玉を財布から出している。
「まあ節約は大事だよな、節約は」
姉が家計簿を見て嘆く様を思い出しながら、健斗も納得してお金を取り出す。店員が運んできたトレーを受け取り、春香と分け合った。
どういうわけか、春香はそれからしばらく話そうとしてこなかった。映画のために集中しておきたいのだろうか。彼女の意志を尊重して、健斗も何も言わないでおく。
安く済んでよかったなぁー、と健斗はちょっと満足していた。




