2章 林の中の友達(7)
制服についたシワを軽く直してから、大吾はふむ、と腕を組む。
「とはいえ、君がそんな様子では説得どころではないな。だが、俺がここで頭を下げるのも、俺の中の理屈に反する」
少しばかり思案して、ぽん、と大吾は手を打った。
「そうだ北野くん、こうしようではないか」
「は?」
敵意を剥き出して健斗は聞き返す。大吾はそんな健斗にも臆さず、言葉を発した。
「戦おう。俺と君で勝負をするのだ」
「……」
大吾の意図が分からず、かといってもう一度聞き返す気も起きず、健斗は押し黙る。
「まあ聞け。俺が言いたいことは簡単だ。三本勝負をして、俺が勝てば、君は生徒会に入り、俺と一緒に働いてもらう。君が勝てば、俺は心を込めて、誠心誠意、君たちに謝ろう」
この男に誠心誠意というものがあるとは思えなかったが、健斗は聞き返した。
「君たち、だと?」
「北野くんと、この林に住む動物たちのことだ」
「……そうか、勝負の内容はなんだ」
「それはこれから決めようか。そうだな、一本目は俺が決める。二本目は君が決める。三本目は……その時点で勝負が決まらなかったら改めて話し合おうか。なに、心配はするな、君に極端に不利なものにはしないつもりだ」
「その保証は、どこにある」
「俺の言葉を信じてもらいたいものだが……それで納得出来ないのなら、一本目の勝負のルールは冬宮くんに精査してもらおうか」
いきなり指名された春香がビクッと反応する。そもそもこの流れについていけてない様子であったが、なんとか頭の中で整理しきれたのだろう。彼女はしっかり、「その勝負をするなら……私はしっかり、会長と話し合います」と述べた。
「……」
勝負する、というその提案に、納得したわけではなかった。ただ、健斗にとって生徒会入りなどは今更どうでもよく、ただ謝ってもらいたいだけだった。そして、健斗には負ける気など最初から無かった。
「誠心誠意謝るって、土下座するってことか」
「ああ、君が望むならそうしよう」
「裸で土下座しろって言われてもか」
「ああ、君が俺に勝てばな」
「頭を地面に擦りつけて」
「もちろんだ、この場にいる皆に誓って保証する」
「……」
その言葉を百パーセント信用したわけではなかったが、春香や、何故か先程から一言も発していない夏希にまで誓うのならば。
「分かった。やってやろうじゃねーか」
健斗は、大吾の提案を了承した。
「君ならそう言うと思ってたよ」
ふっ、と大吾は得意気に笑い、くるりと健斗たちに背を向ける。
「鉄は熱いうちに打とうか。一本目は明日の放課後にしよう。授業が終わり次第、中庭で待つ。……さてと、内容を考えねば。行くぞ冬宮くん」
「えっ……は、はい……」
歩き始めた大吾を春香は追った。と思ったが、健斗の方に振り返り、すっ……と頭を下げた。感謝と謝罪の、二つの意味が込められているかのような深々としたお辞儀である。
やがて二人が見えなくなり、健斗は自分以外に残っている友人の方を見た。夏希は健斗の方を見ておらず、健斗側からその表情は見えない。
「……行くわよ」
「ん、ああ。そうだな」
幼なじみの言葉に頷き、健斗も自分の教室に戻るべく歩みを進める。
誰もいない林の中を寂しく振り返るようなことは、しなかった。
*
放課後である。健斗は登校時と同じように、夏希と一緒に帰途に就いていた。
しかし昼休みの一件以来、夏希は健斗と顔を合わせようとせず、また、一言も発しようともしていない。健斗の記憶によれば、夏希がこのような態度を見せるのは大喧嘩したときくらいであった。つまり今の夏希は異常な様子であると言えるため、自分から話しかけたり、顔を覗き込んだりするのは違うかな、と健斗は思っていた。
夏希は今どう思っているのだろう。少なくとも今朝の時点では憧れている様子だった生徒会長の人格があんなものだと分かり、落ち込んでいるのか、憤っているのか。とても健斗には想像がつかない。
ともに無言のまま十数分歩き、家の近くへ差し掛かる。すると、夏希はピタッと足を止めた。
「そろそろいいかしら」
何が、と健斗が聞く前に。
「あんっの、アホ会長――――――――――――――――!」
力の限り、精一杯。それはまるで腹の底からストレスも怒りも何もかもを解放したかのような大声で、夏希は叫んだ。
「なんっなのあれ! 女子の評判とか全然嘘じゃない! いえ、あたしもちょっとかっこいいかなとか渋い声してるな、とか思ってたけど! 中身は全っ然違うわ! 誰よあんな噂流したの! これっだから噂って嫌なのよね!」
幼なじみの豹変ぶりに、健斗はぽかんと口を開けた。いつまでも黙られるよりはずっといいが、いくらなんでもさっきまでとは変わり過ぎだろう。ここまで感情を露わにした夏希は数年……いや、もしかすると初めて見たくらいかもしれない。コレに比べれば、いつもの口喧嘩なんて優しいものだ。
「あーほんっとここまで抑えるの苦労したわ、いつこのイライラが爆発するもんか気が気じゃなかったわよ。この辺にまでくれば知り合いとか学校の人はいないから、やっと好きなだけ言えるー、あー!」
全く落ち込んだりはしていなかったようだ。自分の怒りはある程度あのときにぶつけたため、少し落ち着いてはいたが、夏希は数時間ずっと我慢し続けていたらしい。そしたらこうも言いたくはなるよなぁ、などと健斗は思った。
「健斗の大事な友達をあんな風に言うとかもうほんっと許せない! 最っ低! マリアナ海溝にでも沈められればいいんだわ!」
(それは言い過ぎ……でもねーや)
そうなればいいと健斗も思った。口には出さない。
「ねえ健斗! 明日の放課後、絶対勝ってよね! 出来ることなら協力するし、応援するから! というか、負けたら承知しないわよ!」
突如健斗の方を向き、そう言い放ってくる彼女を見て、健斗は言った。
「誰に向かってそう言ってんだよ。負けるわけねーだろ、ばーか」
「そう、ならいいわ。でもバカじゃないからそこは訂正してよね」
「はいはい、負けるわけねーだろ、貧乳」
「ちょっと! それ今関係ないでしょ!」
いつもの調子で突っかかってくる幼なじみを見て、健斗はどこか安堵する。どうやら自分は夏希のことを少し心配していたようだ。まったく、そんな場合ではないというのに。
今は明日のことを考えてる場合である。もちろん最初から勝つ気であったが、絶対に負けないし、負けたくないと思う健斗であった。
「ところで健斗、あんたあたしに隠してることあるでしょ」
「? なんのことだ」
「昨日の昼休みに本当は生徒会室でなにがあったのかとか、あたしに隠れてあの場所に女の子連れ込んでたりとか」
「何を勘違いしてんのかしらねーけどな、冬宮のことは別に隠してたわけじゃ」
「いいから話して」
「……へい」
健斗は夏希に、昨日の朝から今日の昼まで何があったのかを包み隠さず話した。
しばらく怒られて、何故か春香に関連することでは複雑そうな顔をされて。終いには口喧嘩に発展したりして、最後は罵倒し合って矛を収める。
つまりは、これもいつも通りの日常である。




