とりあえず決着へ Ⅰ
長め。
おそらく戦闘中である伯爵さんを追って、私達は暗雲立ち込める空の方へと向かっている。途中、木々に穴が空いていたり、地面が不自然に凸凹していたり。
暗くなる空に近づくにつれて雨足はより一層強くなり、木が裂け倒れるような音や地響きが大きくなっていく。
流石に手はもう繋いでいないけど、段々と迫り来る不安につい腕を延ばしてしまいそうになる。
──ユイ、無理なら待っててもいい。ここからは本当に危ないから
幻舞さんに出会ったその場所で、これまで見せた事の無い強ばった顔でそう言われた時、私は”怖い”というよりも”隣に居たい”が勝っていた。だからだろうか、私は自然と首を横に振っていた。
そうだ、頑張るって決めたんだもん。よし、やるぞ。
「ユイ、さっきから何してんの?」
言葉には出ていなかったが、どうやら身体は動かしていたみたいで、エースがさっきの私をジェスチャーしている。そんなに腕振ってないよ!
でもお陰で少し気が紛れた気がする。もしかしてわざとなのかな? エースはいつも私をよく見てくれているから、時折それが申し訳なく思ってしまう時がある。エースは「別にそんな〜」とか言うけど。今も多分、思ってる事バレてるんだろうなぁ。
エースの方をチラッと見ると、やけにニヤニヤしながら口元に手を当てている。これは触れると面倒なやつだ、無視しとこう。
そんなやり取りをしていた直後、斜め前方から人が吹き飛ばされてくる。
「ぐおおおおおおッ」
トラックにぶつかったように、錐揉みに回転しながら宙を舞う人影。その人は空中で何とか体勢を立て直すと、両足の踏ん張りと片手を地面に擦り付ける事で、ようやく止まる事が出来た。それだけ吹き飛ばされた勢いが凄まじかったのだろう。
「ハァ、ハァ。やはり吾輩と青薔薇だけでは抑えるのが精一杯じゃな……ん?」
その人と目が合う。見た目は初老の少し厳ついお爺ちゃん、みたいな雰囲気で、小太りな身体と白髪の混じった髪がより高齢に見せている。でもその服装、どこかで……。
私はもしかして、と言おうとしたが、エースがアッサリと正解を口にした。
「伯爵、まだ元気そうで何よりだよー!」
「何が『まだ』じゃ! 倒せはせんがこんな程度で死ぬほど柔くはないわ!」
伯爵と呼ばれたのを見て改めて吃驚する。そう言えばいつも【猫化】した姿しか見ていなかったけど、元のキャラクターはそんな感じなんだ。ほへー、と呆けていると伯爵さんがこっちを見てニコッと笑う。
「二人共無事で何より。ユイさんもよくここまで」
「あ、いやそんなっ」
「吾輩も嬉しい限りです、にゃっ!」
会話をしていると急に真横から水が飛んでくる。それを伯爵さんは全て手刀だけで叩き潰してみせた。
それもつかの間で、今度は真上から飛んできた水の玉。エースの【麻痺玉】ほどでは無いけど、人一人分の顔ほどある大きさの水が、幾つも落下してくる。それを伯爵さんが撃ち落とそうと構えるよりも先に、kuraraさんが弓矢で全て命中させただの水に変えた。
「私達も居る、忘れないで」
「ひゅー! いいぞー我等がkuraraたん! そのクールさに痺れる憧れるー!」
弓矢を構えながら自信満々に言うkuraraさんと、それを補助する翡翠さん。攻撃速度を上げるスキルを使っているんだとか。けれど伯爵さんの思いは違っていたみたいで、すぐさまここから離れるんじゃ! と声を荒らげる。
その注意の意味が解ったのはたった数秒後の事。
轟ッ、という風が物凄い強さで吹きつけるような音がしたと思うのと、私とエースの上に伯爵さんが覆い被さるように包み込む。
一体何!? と伯爵さんを見ていると、周りの方から悲鳴が上がる。その方に顔を向けると……。
「ひぎゃあっ!」
「痛ぇ」
「くっ、油断、した」
伯爵さんに守られていてなお、振動がこちらにも伝わってくる。パリンッと甲高い、ガラスの割れるような音と共に。
外の様子は見えないけれど、悲鳴にも似た声にならない声や泣き声があちらこちらから聴こえてくる。
私は気になって、少しだけ顔を覗かせて見た光景は、皆が巨大な氷に貫かれている光景だった。
「ユイ、見ない方がいいよ」
エースが、固まる私の顔を隠すようにそっと胸元に抱き寄せる。その間際に見たものは、HPが無くなって光の粒が溢れる風景。何度見ても背中にぞわりとした感覚が走る。これだけは本当に慣れる気がしない。
攻撃が止んだのか、伯爵さんが私達から退くと息が少し荒い事に気付く。あれだけの攻撃を受けてもHPが二割ほど残るのは凄い事なのだろう。
周りを見渡すと、モジュレさん以外の人が居なくなっていた。むしろモジュレさんの周りの地面には一切傷跡が無く、他の場所では割れた氷の山が出来ている。氷は雹というよりも氷柱が落ちてきたみたいに鋭く尖っており、辺りの地面に深々と刺さっていた。
それはまるで、最初からモジュレさんを避けるように降ったように、とても綺麗な円が地面に描かれていて。
伯爵さんのHPを癒そうと、エースが【回復薬】を手に持ち使おうとした瞬間、手の甲目掛けて氷の破片が飛んできて、見事にそれを弾いてみせた。
「おいおい、無粋な事はやめよーぜ?」
パキパキと氷の破片を踏みしめながら、こちらに近づいてくる低い声。全身に悪寒が走り、ぎゅっと拳を握りしめる。顔が見える距離まで近づいた直後、伯爵さんに大きな氷柱が胸に生える。HPが削れゆく中、最後の瞬間に私の手を握り、
「【猫の手】」
何かのスキルを発動するとそのまま光となって消えていく。
その姿を見て腹を抱えて笑うJACKは、忌々しげに嫌味を言う。
「クハハハハ! あー全く、壁ステであの機動力とは恐れ入る。【猫化】を解いて水の弱体耐性を無くした判断も素晴らしい。……なんて、これぐらい褒めときゃ手向けぐらいにはなるか?」
エースの方を見ながら「ぶはっ」と堪えきれずに吹き出すJACK。何がそんなに可笑しいのか、笑う姿に怒りを覚え睨みつけると、ちょうどJACKと視線が合った。けど、どうやら私は眼中に無いようで、直ぐにエースとモジュレさんの方へと向いてしまう。
「よお、モジュレぇ。お前から会いに来てくれるなんて、やっぱ嫌々言ってても俺の事が気になっちまうんだな」
「【組曲】。【即興強化】、【転調】。【即興組曲・舞踏会】」
話は聞かずにモジュレさんはスキルを重ねる。対話は無駄だと思っているのか見向きもしない。そんな姿を見ても、JACKはその笑みを絶やす事は無い。むしろそれすら愛おしいとでもいうのだろうか。
一頻り堪能した後、モジュレさんとエースに向かって氷柱を投げつける。数は四つで、そのうちの一つはモジュレさんの後方に飛んでいき、木の幹に埋め込まれるようにして刺さる。残りの三つは、モジュレさんの持つ丸く反った剣へと吸い込まれるように回転しながら飛んでいく。それをまるで踊るように、両手を上下に振り回すと氷が砕かれキラキラと輝き散る。
「美しい。綺麗だ」
JACKの感想に冷たい顔を浮かべるモジュレさん。他には興味ないとばかりに注目するJACKに、チャンスとばかりに攻撃を仕掛けようとするエース。
「【麻痺玉】、【症状強化付与】」
目の前で生みだされた黄色い水玉を、投げつけるようにJACKへと飛ばす。しかしJACKは見向きもせず、片手をぶんっと振るうと【麻痺玉】よりも更に大きい水塊が飛んできた。
スキル同士がぶつかって割れ、両者のちょうど真ん中辺りの地面に水溜りが出来る。
「ッ。せっかくの楽しい時間も邪魔されたんじゃ面白くないな」
「対戦主を無視してストーカー相手に熱持ってるどこかのキモ男よりはマシだと思うけど?」
「ぁあ? いいだろう。そこの雑魚と、ついでにまた隠れてやがる裏切り者を先に始末するとしよう。モジュレぇぇ、二人の時間までもう少し待ってくれよなぁ」
既に勝ちを確信しているのか、モジュレさんに向けて気持ちの悪い笑みを送る。モジュレさんは完全に嫌悪感で後ずさっている。
「ユイ、怖いだろうから離れてて。すぐ終わらせるから」
エースも緊張からか、額から頬にかけてつぅーと汗が伝う。いつも大きく見えていた背中が、何故だかとても小さく感じた気がした。
だからかな? 私はいつの間にかエースの少し後ろに立っていた。
「ユイ?」
「大丈夫……エースが居てくれるなら。私も、戦うよ」
小声で自分を勇気付けると真っ直ぐにJACKを見る。隣から少し嬉しそうな笑い声が聴こえた。
先に動いたのはエースで、懐から細長く鋭い銀色の針を六本出すとそのまま相手に投げつける。
「【状態異常付与】! 【麻痺】、【毒】、【混乱】、【眩暈】、【睡魔】、【魅力】!」
投げた針にそれぞれ別の状態異常が付与される。だがJACKを守るように、風の膜が発生する。
「【天螺旋】」
その風は竜巻と呼ぶにはあまりにも小規模で、けれども飛来するはずの針をすべて吹き飛ばす程には強い。
「【マナ・リベレイト・ブースト】」
そんなものは読んでいたとばかりに、エースはスキルを使うと物凄い速さで移動する。木々や氷柱を蹴って縦横無尽に飛び回る。そしてJACKの背後を取ったエースは、両手に水鉄砲みたいな銃を持って構える。
「【太陽光レーザー】」
エースが撃つ前に、真っ白い光がエースの右肩を穿つ。その光が来た方を見ると、先程モジュレさんを攻撃した際に外れた氷柱に屈折させて、光の柱が天から延びている。
JACKは、思わず落としたエースの銃を拾うとニンマリと笑みを浮かべ、それを私に向けて引き金を引こうとする。
「チッ、やっぱ武器は所有権無いと使えないか」
ポイッと後ろへ投げ捨てると、三つの光の玉が手の周りを回っている。
「【天飛礫】」
光の玉はレーザーほどの速さは無いが、正確に私目掛けて飛んできた。私はそれを背中を反らし、ギリギリのところで躱す。
幻舞さんの話だと【天飛礫】は水が散弾みたいに飛ぶ、みたいに言っていたはずだけど。もしかして今は晴れているからかな?
そのまま後転しながら距離を取ると、JACKは何故だか歯噛みしている。初心者に避けられて怒ってるのか。こっちが怒りたい気分……なのに? 頭の中で何か引っかかる。
「よくもユイに手を出してくれたな!」
「ハッ、戦闘で攻撃しない馬鹿が居るのかよ。【叢雨】、【天現】」
「【遁走曲】、【スローテンポ】、……【テンポアップ】」
JACKの攻撃が一瞬だけ遅くなる。上から降るその攻撃に隙が出来たのを見て、エースは回避と同時に拳銃を構え撃つ。見た目は水鉄砲みたいなのに、大砲のような爆音を響かせるギャップは凄まじい。
けれど、JACKに当たった弾丸は、ダメージを与えた時に出る演出があったにも関わらず、HPが減る事無くそのまま霧散してしまった。
更にエースが逃げる途中に発動した為なのか、【テンポアップ】だけは何も無い場所で発動してしまい効果が適用されなかった。
「モジュレがスキルミスなんて珍しいね! 落ち着いてこーよ!」
「……ええ、そうね」
「ユイもさっきの光のやつよく避けれたね」
エースは前を向いたまま私に話を振る。そうだ、私が引っかかっていたのも多分これだ。
普段のエースの攻撃は発動も速度も遅い、それは私でも見る事は出来る。けれど伯爵さんやJACKの攻撃は凄まじく速い。目視で追える速度では無いはず。
そう言えばさっき、エースが物凄い速さで移動した時、そして私が光の玉を避けた時、本当ならどちらも反応出来るレベルじゃないはずなのに、こうして対処する事が出来ている。
私は気になってステータス画面を開いた。
ユイ Lv.20
【HP 1765/30(+1745)】
【MP 50/30(+20)】
【STR/106(+1)】
【INT/1(5)】
【VIT/51(+200)】
【AGI/1(+40)(×3)】
【DEX/1(5)】
【LUC/1(5)】
何だろ、このステータス。私の【AGI】は確かこの武器のせいでマイナスだったはず。しかも(×3)ってどういう事なの?
それよりも更に凄いのは【VIT】と、それによって延びた【HP】。1000超えなんてエースのステータスでも見た事無い。
モジュレさんが何かやってくれている訳じゃない。エースも、私を心配はしてくれているみたいだけど、自分の戦いに集中していてスキルを掛ける余裕は無い気がする。ならこれは……
──【猫の手】
ハッとなり、私はスクリーンをくまなく見ると状態異常を表す場所に、猫の肉球マークが一つ。それを押すと効果が表示される。
【猫の手】
自分の【猫化】した時のステータスを相手に貸し付ける。【猫化】時のAGI補正も継承されるが、その場合発動者は死亡する。
そっか、これ……伯爵さんのステータスが上乗せされているんだ。だけど肉球マークは点滅を繰り返している。砂時計が4分半ぐらいを示していて、それが徐々に減っていっている。
多分これは制限時間なんだ。もしここで時間切れになってしまったら、もう私にはエースの壁になるぐらいしか道が無い。
覚悟を決めろ、私! 今行かなきゃ、せっかく伯爵さんが託してくれたスキルが無駄になっちゃう!
「くっ、このっ!」
「無駄無駄ァ! この【氷牢】は対象者を捕縛する事に掛けちゃ右に出るもんは無ぇ! 代わりに五分経つ間、外部からも攻撃出来ねえ上にダメージを負わせる事も不可能になる。
だが今はちょうどいい。そこでエースと裏切り者が死んでく姿でも楽しんでくれ」
モジュレさんは氷で出来た鳥籠みたいな檻に入れられている。手には枷が嵌められている為、体当たりなどで壊そうとしているけどそんな気配は無い。
いつの間にか天気も雪に変わっている。エースもJACKの攻撃を避けながら反撃はしているみたいだけど、足元が凍結しているせいか動きが鈍い。
JACKは……どうやら私の事は本当に何とも思っていないみたいで、エースとの戦闘に集中しているようだ。
普通に考えれば私は初心者で、戦闘経験もゲーム経験も浅い。スキルの知識も装備の事も何も。
けど、だからそこに隙が生じる。✝︎フォース✝︎だってそうだった。初心者だから、弱いからって。どんな人間でも隙はある。油断も、慣れも、死角も。
踏み込め、壊せ、私の限界の全てを乗せて。
握り拳を胸に当て、大きく息を吸い、そして吐く。軽く頬を両手で叩き気合いを入れる。
「よしっ」
見据える先はJACKの防具。どんな人でも装備を壊されると色々な恩恵が消え、立ち回りが難しくなるはず。
接近戦で当てなきゃとか相手のレベルが高いとか、今はそんなのどうだっていい。今だけは全て忘れるんだ。
『とりあえず殴れば勝てる』、それだけを考えて。
その瞬間、私の姿はそこに最初から無かったかのように、スゥーと静かに消えた。
「ハハッ、トップランカーとは言っても所詮は生産ステ。あの骨董品も壁ステでよく持った方だが、純戦闘ステである俺様にゃ勝てる術も無いってか!」
「くそっ……ここで使うしか」
エースの脳裏に浮かぶのは【勝者はただ一人】。あれを使えば特殊な空間に閉じ込める事が出来、そこでは天候等を発動者以外が変更する事が出来ない。従って、JACK戦の切り札の一つとしていたが今は少々勝手が違う。
その空間内ではFFが可能になり、更に最後の一人になるまでスキルが終わる事が無い。JACK陣営にはまだミツルギが残っている中、極力人数を減らしたくないエース。本音で言えばユイに手をかけたくないし、ユイ一人を残すという選択もしたくない。
だがこのままやっていれば、JACKの言うように生産重視のステ配分をしているエースでは勝ち目が無い。
元々状態異常主体の戦闘スタイルのエース。だが相手はどうやら一部の状態異常には耐性があるようで、針による攻撃もダメージはそこそこ与えているがそれだけだ。
それにJACKがダメージを受けると雨が降り、それを浴びた奴のHPがどんどん回復していっている。
モジュレを頼ろうにも、あの【氷牢】というスキルは、内外どちらともスキルや攻撃を通さない性質なのは先程確認済み。仮にそこから出せたとしても、殆どのスキルが支援系な為、直接的な攻撃力には期待出来ない。
細かく攻撃しても回復され、支援を受けても戦闘ステの奴には遠く及ばない。切り札も使えない。……こんな時、せめて伯爵が生き残ってくれていたら、連携して何とかなったのに。なんで先に逝っちゃうんだよ。
……本当なら、ユイの攻撃を当てるのが最も効果的なんだろうけど、ここまで来るのにかなり無理させてたみたいだった。
ただ一緒に戦いたいってのは、私の我が儘だったのかな。自分で自分を励ましている姿を見て、これ以上は無理だなとそう思った。それでも付いてきてくれたのは嬉しかったし、今でも心の支えになってくれている。
このゲームではずっとソロプレイヤーとして名を上げてきた。それは単に一人の方が戦いやすかったし、ユニークを手に入れてからはそれがもっと顕著になった。フレンドも沢山出来たし、一時的にギルドに応援で入った事もあったけど、それでもやっぱり私には合わないなと思った。
けど、ユイと一緒に居た時だけ、私は『楽しいな』って感じていた。何だろう……言葉じゃうまく伝えられないけど、私の居場所はここなんだって思うような、そんな温かい気持ち。
ふと私は視線を泳がせる。別に意識してやった訳じゃない。ただ、ユイの姿が少し見たくなっただけだ。
どうしたんだろ私……ははっ。ちょっと疲れちゃったのかな。ユイの姿がどこにも見えない。声も聞こえない。
もしかして、私、守れなかっタ? 違う、さっきまで後ろに居てユイの気配がそこにあった。射線上に立つように立ち回っているから、絶対にそんなはずは……。あれ? でもJACKは攻撃を曲げたり出来るはずだし、でもだって、それじゃあ私は何の為に?
ユイが居ない。ただそれだけの事なのに、今までだってずっとそうだったはずなのに、今はそれがとても苦しい。
焦点が合わない。声が遠のく。心音だけがやけに大きく聴こえる。
戦闘にキレが無くなっていき、攻撃が当たるようになっていく。
「おいおい、もうおねんねの時間かぁ? 俺に喧嘩を売った時の威勢を見せてみろよ! なあ!」
JACKの【天飛礫】の氷柱が私のお腹に突き刺さる。HPを回復しようと薬を取り出すが、使う前に弾かれてしまう。
「所詮てめえは何も守れないクソ女だったって事だ。モジュレのような美人になって出直してくるんだな」
ガッと首根っこ捕まれ、そのまま木に叩き付けられる私。ミシミシと首を絞める力が強くなっていき、HPの減る速さが増していく。
「ああ、でもどのみち勝てばお前はギルドメンバーの一員になるんだよな。そうだなぁ……じゃあまずは最初の仕事は、お前の手で今のギルメンを全員引っこ抜いてこさせるか。ハハハ、いい案だな、ええオイ?」
JACKの下衆な考えは右から左に聞き流す。どうせ反論しようにも声が出せない。汚い顔を近づけるなとも、そんな事はさせないとも、言う気力すら無い。
もう、私の心は折れようとしていた。
キィィィン。
甲高い音が近くで響く。それは私を掴んでいたJACKの腕が弾かれた音。
JACKも何が起きたのか理解出来ないでいる。だが奴の武器である『腕輪』が砕け散り宙を舞う。同時に私とJACKの間の空間が微妙に歪んで見えた。それを奴が見逃すはずも無く、弾かれた手を引き戻すと裏拳をそこに命中させる。
するとゴキッと鈍い音が聞こえてきた。
地面に飛び飛びで何かが擦れたような跡が付いたと思うと、その正体が姿を現す。
「てめえ、やっと姿を見せたと思えば……。まずはお前からぶっ殺して」
「僕の事だけを気にするのはどうかと思うけどね」
「あぁ? この後に及んでハッタリか? だからお前は──」
その後に続く言葉は無かった。それを言う前にJACKの着ていた武器と足、靴の防具が灰色に変わったからだ。
驚くJACKだが、そこは腐ってもトップランカーの一人。直ぐに聞き耳と視野を最大に広げて辺りを観察する。
青薔薇もいつの間にかまた居ない。つまり、透明化した敵が居る事になる。
青薔薇の戦闘スタイルは、死角から近付き一撃離脱を繰り返すというもの。敵が弱ければ一撃必殺に切り替えるが、やり方を知ってる者からすれば簡単な話だ。
奴は透明化しているだけで、攻撃が貫通する訳でも足音や匂いが消える訳でも無い。そりゃあリーチが分からず、装備も分からないのではかなり危険なスキルだが、タネさえ分かっていればそこまで強いものでは無い。
奴なら必ず正面は無い。奴のスキルの恩恵を受けるならば、どこか身体を触っておく必要がある為、行動を共にしている可能性が高い。
空のゲージを見る限り、俺と”先生”以外の生き残りは居ないだろう。逆もまた然り、相手もここに居るのが残存勢力に違いない。
つまりはあのレベルもゴミな初心者の可能性が高い。青薔薇の攻撃を強化する系統か、もしくはS極か。
いずれにしても当たらなければどうという事は無い、ってやつだな。
ならばここは天候を雨に変えておけば──
「【隠形・加具土命】」
急に目の前に人型の炎が出現し、JACKへと攻撃を仕掛けてくる。咄嗟に【天現】を発動させ、本体はその場で回転しながら離脱。実体のある蜃気楼を作り出すスキルだが、天候は強制的に晴れになってしまう。現在の天候に一部上書きをするというだけなので、全体が晴れ渡る訳では無いが。勿論、再度雨にし直せばいいがタイムラグが出る。
【隠形・加具土命】は青薔薇の奥の手の一つで、一撃必殺も一撃離脱も出来ない相手に傷痕を残す為に使うスキルだ。
効果は見えない炎で攻撃するというシンプルなものだが、問題は燃え続ける時間。状態異常には【火傷】という、【毒】の下位互換がある。これは一定時間ダメージがあるものの、時間経過で治る。一応その間防御力が下がるらしいが、微々たるもので気にする事は無いレベル。
普通の炎系スキルであればこの【火傷】状態が付くものが大半なのだが、【隠形・加具土命】は少し違う。
これは【延焼】という、継続ダメージを与える状態異常。【火傷】と違う点はダメージ量と効果時間の違いにある。【火傷】は【毒】よりもダメージが少なく放っておけば治るが、【延焼】は文字通り身体のあちこちに燃え広がっていき、全身を覆い尽くすまで消える事が無い。いや、雨に打たれ続けたり、水に飛び込んだりすれば消す事は出来る。しかし消えるまではHPを削られ、更に装備の耐久力にもダメージを与える厄介さだ。
しかも奴の場合、それがどのくらいまで燃え広がっているのか見えないのが一番の問題だ。
体感である程度把握は出来るが、戦闘中にカウントを取るとなると難しい。
そして今警戒すべきは青薔薇じゃない。どこだ、どこから攻めてくる?
後ろで地面の氷がパキッと割れる音がする。所詮は初心者か。自分の経験値の無さと、この世界で俺様に楯突いた事を懺悔しているといい。
「【天飛沫】」
もはや勝ち誇るJACKは何の疑いもせずに、音が鳴った方へと攻撃を放つ。雑魚相手に【集中豪雨】を放つまでも無い。出は速いが威力がそれほど無い、MP消費の少ないスキルを選ぶ。
しかしその瞬間、頭の中では思考が急速に巡っていた。
青薔薇の持つ【隠形】は、短時間ではあるが【此処に在らず】の欠点である『足音や気配、匂い』の全てを完全に消す事が出来る。それを使えば、わざわざこんな事をせずとも──
「はぁぁぁぁ!! 【トリプルアタック】!!」
背中に重い衝撃が走る。攻撃を放った先では、青薔薇がニヤリと口角を上げ笑っている。なんだよてめえ、俺様に向かってそんな顔出来たのかよ。
振り向く間も無い事を悟ったJACKは、【悪食】を発動させる。
【悪食】
スキルの発動を無効にする。また【破壊不可】以外なら破壊する事が出来る。
攻撃そのものを止める事は出来ないが、例えユニークであっても無効化出来るというチートじみたスキル。オブジェクトや装備さえ破壊出来る為、一時期それが問題となり【破壊不可】のみという制限が付いた曰く付きのスキルだ。
ただし使用後は【消化】という状態異常に掛かり、一定時間スキルの使用が出来なくなるという不便極まりない効果を持っている。
だが、あの”悪食”から奪ったこの装備【清浄】シリーズには共通効果があり、デメリット効果のあるスキルの効果を一回消す事が出来る。これはセット効果で更に+1回され、最大五回発揮出来るのだが、生憎今は頭と体装備しかない為、残り一回しか防げない。
攻撃を受けたJACKは、勢いを殺さず前方へ。吹き飛ばされそのまま前転しながら反撃をと思い、片手立ちの体勢で辺りを一瞥する。すると、技後硬直しているユイがそこに棒立ちになっている。
「馬鹿がッ! ちゃんと自分のスキルも把握出来ねえのかクズがッ!」
初心者風情が調子に乗るなと念を込めるように、空いている片手に水塊を溜め、放つ。水塊に当たりHPが削られ……
(HPが削られないだと!? まさかコイツはッ!)
気付いた時にはもう遅い。ユイの形をしていたものは炎へと変わり、水塊に飲まれ水蒸気が発生し消える。
【隠形・加具土命】は仲間であればその姿を変える事も出来る。しかし再使用可能時間がとても長い為、連続で使うにはまだ時間が掛かるはず。青薔薇自身にスキル発動短縮効果のあるスキルが無い事は知っている。ならば何故──
「【ダッシュインパクト】!」
黙考するJACKの脇腹へ目掛け、ユイが猛進する。片手立ちから反転、着地の瞬間を狙った攻撃。しかし流石にネタが割れている攻撃を回避出来ないほど無能では無い。この攻撃を残り一回となった”悪食”で防ぎ、【天飛礫】と【天斜光】のコンボで仕留める。
ただJACKは気付いていない。ユイの能力が強力な攻撃力を持ったものだと勘違いしているが故に。体装備もまた、壊れて灰色になっている事に。
その結果は当然の結末を辿る。装備が銀色であり、かつ雨に濡れて光沢が無くなっていたのも原因だろう。そもそも耐久値がたった一度の攻撃で0になるなど、普通であればそんな馬鹿な話があるはず無い。尤も、今生き残っている者が”普通”であるはずが無いのだが。
JACKはユイの攻撃をモロに喰らうと、そのまま周囲の木々にぶつかるが、それでもなお勢いは収まらず轢き回される。ダメ押しとばかりにクロスしていた腕を振り抜くと、JACKは冗談みたいに弧を描いて飛んでいく。地面に数度バウンドし、背中を擦り付けるとようやく止まった。
「やっ、たの?」
動かないJACK。しかし光にはなっておらず、またHPもギリギリで残っているようだ。慎重になって動き出されたら大変だと思ったユイは、トドメを刺しに愚直に【ダッシュインパクト】で片をつけに行く。だがユイのスキルは発動しない。どうして? 何かのスキル? そう思って視界の端、MPの欄を見て気付く。MPの残量があと僅かしか無いのを見た後、JACKは右手を突き出しているのを見て背筋が冷たくなる。
「こんな雑魚相手に……使うハメになるなんてなぁぁぁぁッ! 【集中豪雨】!!」
ゴゴゴゴゴ、空が鳴くように音を立てる。すると先程のよりも更に濃く暗雲が立ち込める。まるでJACKの中心に渦巻いているようにも見える。
その雲から、丸太とも思えるほどの細長い何かが落ちてくる。それも一つ二つではなく無数に。速度自体はそれほど速いものじゃないので、余裕を持って回避した。そして次の瞬間、細長いそれは低い音を響かせて地面に大穴を空けていた。
落ちてきていたのは水塊。けれど威力は【天飛礫】の比にならない。【天飛礫】は横方向からの攻撃である為、飛距離もそれほど無く水塊そのものの威力だけである。
対して【集中豪雨】はそこに高空からの落下分、威力が水増しされている。また球体である【天飛礫】とは違いこちらは楕円形の棒のようなものが飛んでくる為、遠目から見れば本当に雨が降っているようにも見える。
しかしこの雨を喰らうと【移動速度低下】になり、回避はますます困難になる。このスキルを発動中、発動者は他のスキルを使用出来なくなるが、【集中豪雨】は約一分もの間止む事は無い。
それを間近で受けたユイは全身全霊で回避を試みる。たった一度でも掠ってしまえば、回避する事も逃げる事も難しくなる状況。しかし戦闘経験の少ないユイは逃げ切れず、何度か掠ってしまう。直撃こそしていないものの、着実に追い込まれていく。ステータスが上がっていなければ危なかっただろう。
そんな必死になる中、ついに恐れていた事態に陥ってしまう。
「あ、待って。まだ、今はダメッ」
伯爵さんから託された唯一の希望が、今消え失せた。周りの景色がゆっくりになるユイ。その頭上には、水塊の雨が迫っていた。
次回はGW明けに(出せたらいいな)




