熱帯夜の観覧車は、
私には、わからないことがある。彼女が、私と付き合っている理由だ。
あの夏の日。私は大好きだった彼女に、勇気を出して告白をした。
ダメ元だったけれど、なんと、オーケーを貰えてしまった。
みんなが帰ったあとの、静まり返った校舎の隣。なにかの花が植えられた、花壇の近くだった。
震えながら頭を下げた私に、彼女は少し戸惑ったあと、優しく、こちらこそよろしくね、と言ってくれた。
「あれからもう一か月……」
「もしもし? どうしたの?」
告白した時のことを思い出していると、自分から繋げたスマホに気づかず、独り言を聞かれてしまった。
「あ、ごめん。……もうすぐ、付き合って一か月なんだなぁって」
「……そうだねぇ。もう来週かー」
「なんだか、あっという間だね」
肌にまとわりつく暑さを、少しだけ鬱陶しく思いながら、電話ごしの声に耳を澄ませる。
「……どうする? どっか行く?」
「……うん。実は、遊園地のペアチケット、アニキからもらってさ」
「遊園地? あの有名な?」
「ううん。そんなに大きくないとこなんだけど……」
チケットの裏に載っている住所を読み上げる。何駅か先の、比較的近い場所だ。彼女の家からも、同じくらいの距離。
「あそこねー! 小さい頃、何回か行ったことある!」
「うん、私も。たしか、観覧車が有名だったよね」
「そうそう! 昔は、飽きずに乗りまくってさぁ!」
「あはは! 私は、ジェットコースターが好きだったな」
「絶叫系、好きだもんねー」
昔話を交えながら、当日の話を進めていく。
私達は、付き合っている。
彼女は、うん、と返事をした。二人でデートもした。でもそれは、二人で楽しんで、遊んで笑顔になる、付き合う前の関係――友人のころ――と、何も変わらなかった。
告白したときは、彼女の返事が、ただただ嬉しかった。このまま死んでしまいたいと思うくらいに。本気で、今が人生の絶頂なんだと思えた。
それから一か月。彼女の真意を聞くに聞けず、なあなあで過ごしてきてしまった。なぜだか、無性に怖かった。彼女の本意を聞くことが。
「おまたせー」
休日の遊園地には、暑さに負けず、沢山の人が押しかけていた。その入口前で彼女を待っていると、薄着の彼女が、白い肌を覗かせてやって来た。
自然とドキドキしてしまう心を誤魔化すように、私は、なんてことない話を始めた。
「昨日ちゃんと眠れた?」
「そんなー! 小学生じゃないんだから!」
「あはは! それもそっか」
彼女が、その綺麗な白い手を、すっ、と差し出してきた。目で追うと、彼女と目が合う。
「行こ!」
柔らかな笑顔に、私も笑顔で返し、彼女の手を取った。
この手は、友達? それとも、恋人?
遊園地の中も、人が溢れていた。
「どれから乗る?」
「えっとねー……やっぱり最初は、ジェットコースターでしょ!」
「オッケー。移動しよ」
「はーい」
ジェットコースターの前も、やっぱり混んでいた。少しうんざりしながら、列へ並ぶ。
前のほうが、なにやら騒がしい。カップルがケンカしているようだ。聞こえてくる単語から推測できるのは、恋人同士のよくあるすれ違い。
「……大人がなにやってるんだか」
「そうだねー。私たちを見習えー! ってね」
その言葉に、なぜだか胸が、ずきりと痛む。
私たちは、あんな風に恋人らしいこと、したことあった?
友達のころは、なんでもないことで言い争っていたけれど……。
むしろ昔より、よそよそしくなった気もする。
「そういえば、課題は終わったのー?」
「いや……別の意味で終わりそう」
「今度、私と一緒にやる?」
「……そうだね。図書館ででも涼みながら……」
二人で話に熱中していると、いつの間にかコースターの近くにいた。
コースターに乗り込むと、間もなく動き出し、レールを登っていく。
悲鳴をまばらに上げながら、加速して、浮遊感が体を襲う。隣からも、楽しそうな声が聞こえてくる。
ジェットコースターは、好きだ。別にジェットコースターだけじゃなくて、浮遊感を味わえるのが好きだ。
あの独特な、どこかへ行ってしまうような、浮遊感。それが、私は好きだ。
「あー楽しかった!」
「もう一回乗る?」
「いや、さすがに遠慮しとくー。違うの乗ろう!」
ジェットコースターから降り、ぶらぶらとアトラクションを回る。
彼女と遊園地に来たのは、これで二度目。
隣で楽しそうに笑う彼女を見ていると、私も嬉しくなってしまう。
「……どうしたの? そんなニヤニヤして」
自分がにやけていると知り、慌てて顔を戻す。
「ううん。なんでもないよ」
「そっか。……次、何乗る?」
「……何か少し、食べない?」
「いいよー。そこの屋台でいい?」
屋台で軽食と飲み物を買い、並んでベンチに座る。
「これ、美味しー! 一口あげるよ!」
「……ありがと。……ほんとだ、美味しい!」
「でしょでしょ。そっちのは? もらっていい?」
「うん。どうぞ」
食事をゆったり楽しみながら、往来する人々を眺める。
ここにいる、どのくらいの人たちが、私たちをカップルだと思う?
きっと、ほとんどの人は、友だちどうしだと思っているのだろう。
そう思うと、なんだか少し寂しい気持ちになった。
それから私たちは、数々のアトラクションを回った。楽しい時間はあっという間に過ぎていき、あたりは暗くなり始める。
「もうこんな時間かー。夏だと、なんだか時間が分からなくなっちゃうよね」
「ね。こんなに明るいのに、すぐ暗くなるんだよね」
たっぷりと遊園地を満喫した私たちは、最後に観覧車に乗ることにした。
「相変わらず、すごい人ー! さすが有名なだけはあるね!」
観覧車も、すごい行列だった。
「……それにしても、暑いねぇ……」
「……この分だと、観覧車の中も……?」
「いやいや! 冷暖房完備だから!」
「あはは! どっちにしろ、今夜は寝苦しくなりそうだよね」
他愛ない話で笑い合いながら、列が動くのを待つ。
やっと私たちの番になったときは、すっかり暗くなっていた。
「やっときたー! 早く乗ろう!」
はしゃぐ彼女に手を引かれ、私は観覧車に乗った。
並んで座ると、扉が閉められて、ゆっくりと登っていく。
「私も、観覧車、好きだよ」
「おぉ! やっと分かってくれた?」
「いや、ずっと思ってたけど……」
彼女は、急に私たちの関係について話し出した。
「……今日で一か月。楽しかったねー」
「……うん。これからも、よろしく」
ゴンドラは、静かな時間を乗せて、のんびりと昇る。
彼女が振ってきたこの機会を、逃すわけにはいかない。私は意を決して、彼女の真意を訊いてみることにした。
「……なんで……」
「……ん? どうしたの?」
「……なんで、私と付き合おうって思ったの?」
彼女は、少し驚いたような顔をした。沈黙が二人の間に流れ、私の鼓動が響き渡る。
彼女は、窓の外へ視線を移した。私もつられて外を見る。ゴンドラは高度を増して、灯りの点いた園内が見え始めていた。
「……なんで、そんなこと言うの?」
ガラスに映る彼女の顔は、不鮮明で、上手く表情が読めない。
「私、ずっと不安だった……本当に、付き合ってるのかなって……」
「…………」
「分からなかった……気持ちが……どう、想われているのかが……」
彼女は、外を向いたまま答えた。
「好きだよ。だから……告白されたとき、すごく嬉しかった」
「…………」
「……好きだから、付き合ってるの。付き合おうって、思ったの」
「本当? 私のこと、好きなの?」
彼女が振り返る。その顔は、いつもの笑顔だった。
「うん。初めて会ったときから、ずっと」
「……私も、ずっと好きだったよ。……でも私たち、全然恋人らしいこと、してないなって……」
「…………」
「二人きりで出かけるのも、手をつなぐのも……友達のころから、変わらない……」
「……怖かったの」
目を伏せて震える彼女を、なぜだかとても、愛おしく感じた。
「……手をつなぐのも、二人で出かけるのも、平気だった。でも……その先に進むのが、なんだかとても……。恋人なんて初めてできたから……傷つけてしまいそうで、怖かった……」
「私も……! 私も、怖かった。もしかしたら、本当は嫌われているんじゃないかって……。気持ちが、全然分からなくなっちゃって……」
「……ううん、好きだよ。とっても好き!」
「……うん。私も、好き。……大好き」
こんなにも簡単だった。私は、ただ訊けばよかった。うじうじ悩んでいないで、もっと早く、行動すればよかった。
彼女と見つめ合い、改めて掌を重ねる。
体温が、伝わってくる。とても熱い。彼女も、そう思っているのかもしれない。
「ねえ……」
ゴンドラに溢れる二人の気持ちに背中を押された私は、ありったけの、最後の勇気を出して、彼女に囁いた。
「……キス、しても……いい……?」
彼女は、少しビックリしたような顔をして……。それから、暗いゴンドラ内でも分かるくらいに頬を赤く染めた。
しばらく見つめ合う間、彼女の瞳は、ほのかな照明を反射してキラキラと輝いている。それから、彼女は目を逸らし、潤んだ目を睫毛で隠した。
私の心臓は、どこまでも跳ね上がり続ける。
「……いいよ……」
彼女は長い沈黙の後に、私の目を見ながら、消え入りそうな声でそう言った。それでも私は、眼下に広がる景色を横目に、しばらく動けずにいた。
彼女が目を瞑り、薄い唇を艶やかせている。汗ばんだ首筋も、とても扇情的で。
私の手と彼女の手を、強く握り指を絡ませる。ゆっくりと彼女に顔を近付けて――。
彼女と触れ合った。
柔らかな唇からは、彼女からの想いが伝わるようで……。
私も嬉しくて、自然と想いが溢れ出す。
彼女はこんなにも私を想ってくれていて。
私はこんなにも彼女を想っている。
ふわり、と、とても大きな幸せが、私を包み込んだ。このまま二人で、どこまでも昇って行っていまいそう――。
そんな幸せな浮遊感。
初めて彼女と、一つになった。
そんな気がした。
熱帯夜の観覧車は、とても蒸し暑く。冷房が効いているはずなのに、温度は上がっていく一方だった。
私たちは、観覧車の中。
吹き出す汗も、息苦しい空気も気にせずに、ずっとずっと、永遠に、互いの想いを確かめ合った。




