狼少年、人間を探す。
冬になった。
まだ雪は降っていないけれど、気温はかなり下がってきた。しかし、今年は寒さ対策もばっちりである。今の俺は、幾つもの毛皮を縫い合わせた衣服の上から毛皮のマントまで羽織っている。これが、なかなか暖かい。
今日も俺は、シローの背中に乗って狩りに出ている。ただ、もう完全に日が落ち、辺りは真っ暗だ。いつもであれば、夜目の効かない俺は、日が落ちきる前に巣穴に着くように移動する。
しかし、今日はいつもとは違う。俺とシローは、ひたすらに巣穴から離れる方向に進み続ける。二日前にようやく夜目を身に着けることができたからだ。
これまでは、夜目の効かない俺は朝型の生活サイクルを取っていた。対して、シローは昼過ぎに起きて深夜に寝るという生活サイクルである。うちの家族は基本的に夜行性なので、シローの生活サイクルはある程度は俺に合わせてくれてのものだ。しかし、それでも、俺とシローが一緒に活動できる時間は少な過ぎた。俺の移動範囲はシローと一緒に活動できる時間に比例して狭められていた。
しかし、夜目を身に着けたことで、日暮れを気にすることなく行動できるようになったのである。
夜目を身に着けた俺は、その日のうちに、生活サイクルをシローのそれと合わせるようにした。これによって、一緒に活動できる時間は倍に増え、移動範囲も倍に広がった。やっと、人間を探索する準備が整ったのだ。
木の股から生まれたのでなければ、俺を捨てた親がいるはずだ。赤子を捨てるためだけに、何日も森の中を歩くとは思えない。シローの足で日帰りで行ける範囲内には、俺の親も含めて人間がいるはずだ。
俺はシローの背中の上で、目を強化しながら周囲を見渡す。何か生物がいればシローが気づくはずなので、俺は人工物がないかを探す。もし、人工的な明かりでもあれば遠くからでも見える。家や畑、舗装されている道路でもあれば分かりやすいのだけれど……
巣穴を出てから5,6時間は経過しただろうか。人間がいるにしても、巣穴からどの方角にいるかは分からない。今日見つからないのであれば、毎日少しずつ方角をずらしながら探すしかない。
あと1時間くらい行って何もなければ引き返そう、と考えていると、シローが何かに気がついたようだ。シローが立ち止まり、ある方向を睨みつけている。
こんな深夜に森の中を人間が出歩いている可能性は低い。何か獲物を見つけたのだろう。さっさとシローから降りて、石とスリングを準備しながら、シローと並行して歩く。
ちなみに、弓矢は作ったは良いけど、使っていない。狩りと言えば弓矢、という固定観念から自作してしまったけれど、素人がその辺の材料で作った弓矢なんて使えたものではなかった。
スリングの欠点としては、シローに乗ったままでは使えないことと、茂みの中では使いづらいことだけど、自作の弓矢よりも威力も射程もあるし、何より矢を作る必要がない。スリングなら、小動物相手であれば一撃必殺だ。流石はゴリアテを倒した武器である。弓矢なんて作らずに、素直に石を投げていれば良かったのだ。
筋肉を強化すればスリングでも大型の動物を仕留められるようなるかもしれない。ただし、今はまだ難しい。今の俺は、強化すれば成人男性と同じくらいの身体能力を発揮できるようになったけれど、未だに出力が安定しない。
肉体を強化して強力な一撃を撃ちだせたとしても、当たらなければどうということはない。肉体強化は精密制御できるまでは狩りでは役に立たない。
肉体強化もマスターできるころには、スリングなんて飛び道具には頼らなくても、獲物を走って追いかけて殴り殺しているかもしれないけれど……
シローに付いて歩いていると、木々がきれて開けた場所に出てしまった。森の中ではあまり見ないくらいによく開けた場所だ。木々に隠れたまま視力を強化すると、タヌキが見えた。
もう冬なのに、まだ巣篭もりしてないのか。しかも、かなり太っているようだ。この辺りは食べ物が豊富なのだろうか。土を掘り返して何かを食べているようだし、芋でもあるのかもしれない。後でそちらも回収せねば。
狩りについては、いつもの要領である。俺が石を放ち、ゴッという鈍い音が森に響く次の瞬間には、シローが一気に間合いを詰めて喉下に食らい着く。
呆気ないものだ。俺もシローに追いつく。
『お疲れ、シロー』
声をかけると、シローはドヤ顔で返してくる。
ふむ、やはり太っていて、重い。背負っていた籠を下ろして、タヌキを中に放り込む。籠の底が抜けないことを確認してから、周囲を見渡す。
『すごいな、これは』
思わず声が出てしまう。巣穴の傍で育てているから分かる。タヌキが食べていたのはやはり芋だった。そして、この開けた空間一面に広がっている植物は全て芋のようだ。まるで芋畑のようだな、と思って気がつく。みたい、ではない。これは明らかに人の手が加わった芋畑だ。
目を強化して、開けた空間の向こう側に目を向ける。胸が高鳴っていた。
ついに来た。人間の手がかりだ。畑があるなら、近くに人間がいるはずだ。
しかし、遠くまで見やっても家屋のようなものは見当たらない。そんなはずはない。これだけの芋が自然になる訳がない。そう思い、周囲を見回す。
……畑というには荒れすぎている気がする。それに、人間が栽培しているにしては収穫が遅すぎやしないだろうか。……まさか、ほんとに自生しただけ?
ふくらんだ希望がみるみる萎んでいく。いや、まだそうと決まったわけではない。もう少し探索してからだ。タヌキを入れた籠を担ぐ。やはり重い。籠の中にはタヌキだけでなく、その前に獲れた鳥やら何やらが入っている。そのままシローの上に載ると、シローも変な声を出した。頑張れ、シロー。
のそのそと開けた方へ向かうけれど、やはり家屋のようなものは何もない。少し遠くからはまた森がある。やはり、畑ではなかったのかもしれない。
そう思いつつも、諦めきれずに周囲を探索すると、何かを見つけた。近づいて見て、分かる。それは、レンガを積み上げたものだ。家屋かなにかの跡だ。
『うお!』
また、思わず声が出てしまう。そして、周囲を見渡すと、数件分の家屋の跡が確かにある。間違いない、ここには村があったようだ。
良かった。少なくとも、家を作れるだけの文明レベルを持った人間が、村を形成できる程度の数は存在するようだ。……でも、今は何もない。なぜなにどうして?
シローから降りて調べるてみる。
家屋の残骸、家具の破片、色々あるけれど、どれもまだ比較的新しいように思える。つい最近まで人が住んでいたのではなかろうか。ただ、レンガなどが広範囲に散らばっている。自壊したとか、地震で倒されたのとは違うように思える。竜巻にでも巻き込まれたのかもしれない。
それに、村の再建が行われているようには見えない。これは、村人は全滅してしまったパターンだろうか。まったく、上げて落とすようなことは止めて欲しい。
しかし、村があったのなら、他の村や町に繋がる道があっても良さそうなもの。この村が駄目なら、次の村や町を探すしかない。
道は直ぐに見つかった。道の先は木々で隠れているため見通せないけれど、間違いはない。この先に別の村か町があるはずだ。
そろそろ、時間的に巣穴に戻るべきだけど、この道の先を少し確認するくらいはできるだろう。シローに道を行くように言うけれど、無視されてしまった。
何だろう?何か機嫌を損ねるようなことをしただろうか?そんなに籠が重いのだろうか?
シローの様子を伺って、ようやくシローの様子がおかしいことに気がついた。シローは道の先を凝視したまま、動かない。何かに怯えているように身を縮こまらせ、震えているのが背中越しに分かる。その様子に気づいた瞬間、冷や汗が噴出してくる。
………これはまずい。
『シロー!戻るぞ!』
シローから飛び降りて、ひげを引っ張ってやる。それでやっとシローも我に返った。
体内の「熱」で脚力を強化させながら、元来た道を全力で滑るように走る。今までずっと訓練してきた走法だ。長距離は走れないけど、これが一番速い。振り返ると、シローも全力で追いかけてくる。
視力を強化してシローの後方、道の先へと目をやるけれど、俺の目にはその先に何がいるのかは見えない。シローも目で見ているのではなく、別の何かを感じているのだと思う。今の俺には分からない感覚ではあるけど、シローのその感覚は絶対だ。過去の経験がそれを証明している。あの道の先には絶対にあの「変なやつ」がいる。
しかし、道の先にアイツがいるのであれば、その先にある村や町は危険なのではないだろうか。まさか、先ほどの村がああなったのも原因はアイツなのでは。そう考えると、絶望感しか沸いてこない。
とにかく、今は逃げなければいけない。
視界に入るまで接近されたら、それこそ絶望的だ。