第九話 『青髪の青年』
ーーずっしりとした質量と、職人の心意気が存分に理解できる滑らかな触り心地。
自身の手にあるそれを軽く振ったり、ゲームなんかでよく見る構えをとってより映えるようにリュウキは試行錯誤する。
持った対象のそれらしい冷たさとは打って変わって、リュウキの内心は沸々と熱を帯び始めていた。この騒がしい店内、その中でリュウキだけが静かにそれに視線を注いでいたのだ。
選り取りみどりで、鑑定力なんてこれっぽっちもないリュウキに、何が一際飛びぬけているのかなんて分からない。分かるのは、どれもこれも自身の高揚感を煽る代物だと言うことだけだ。
「ほぉ……な、なかなか様になってんじゃねぇ……かな?」
「すんません、無理して言われると余計辛いです」
杖を握る力を強くしたリュウキに呼応するように、店主はそう嘆息する。かなり同情の入った嘆息なのだが。
リュウキの服装は転移初期と変わっていない。魔法学院の制服は既に洗濯をするために洗われている。
だからこそ、今のこの状態を見て、元の世界の人々は奇妙な格好だと判断するだろう。それならば当然、この世界でもそうだ。
まず、リュウキの服装なんてものがこの世界には珍しい時点で、その珍しさの相乗効果は絶大だ。
悲しいかな、全くかっこよくない。
「いやでも……服装さえ軒並み揃えば……」
まだ見ぬ未来の自分の姿という、微かな望みに縋るようにリュウキは呟く。
そう、帽子にマントを羽織り、それっぽい格好をとれば……。
「いや、望み薄過ぎないか。俺」
雰囲気というか、貫禄というものがまるでない。今のリュウキはコスプレという言葉がお似合いだ。
「まぁそう言うな。この先活躍すりゃいくらでも可能性はあんだろ」
今度は無理に、とは言わない。力のこもったフォローの言葉だ。それをリュウキは有難く頂戴することとする。
「その杖に埋め込まれてる魔石は『ディグドラ』っつーんだ。まぁ魔力を平均的に高めてくれる、クセのない大衆的な宝石だ。初心者にはまさにうってつけだろうな」
どうやら杖というものには魔石と呼ばれる宝石が埋め込まれており、それが杖を媒介として魔力を高めてくれるらしい。
ちなみに剣にも魔石を埋め込むことは出来るが、あまりそういったことをする者はいない。
理由としては、まず杖ならば移動魔法の補助もできるという事だ。
よく漫画や小説で見る、杖を寝かせてその上に乗るあれだ。また、杖には術者の魔力を効率的に魔法に変換してくれる伝導体の力が強く、その点を加味して杖が選択されている。
とは言っても、実際魔法を剣に宿す魔法騎士のような使い手もいるわけであり、魔法や武器の使い方は様々なのだ。
「剣も物凄いかっこいいけど、あんなの見たら無理だな」
龍との戦いでソフィアも光の剣を扱っていた。
見ただけでわかる別次元の剣の世界だった。
剣術の嗜みも無ければ、振った経験すらないリュウキにはあのレベルに到達することはほぼ不可能だ。剣に全てをかければ、強者の位には立てるが、生憎リュウキにそこまでの剣への強い意志はない。
「そうは言っても杖にだって扱いは様々だし、熟練者と初心者の差は明白だ。それはどんな武器にだって大差はねぇよ」
楽観視するリュウキがいずれ壁にぶち当たって倒れないよう、店主は先に釘を刺す。
これまで様々な購入者を見てきた店主だから言える、挫折と苦難の道に引き込まないようにする配慮を、リュウキはしっかりと受け止めつつ笑う。
「分かってますよ。だからこそ、毎日これで練習するんじゃないですか」
はっきり言ってリュウキがあの魔力量を完全に使いこなせれば、魔道士と引けを取らない実力になるだろう。
だが、今のままではそれは無理だ。龍との対戦でもわかったが、全く歯止めが聞かない。撃てば全開するばかりで、あっという間にガス欠は間違いない。
「さて、それじゃこれ買いにカウンターまでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぁぁぁ!?」
「お、おい坊主!?」
決して注意力が散漫していたとか、初めての杖の購入に浮かれていたとか、そんな訳では無い。
そんな訳では無いのだが、スキップしようとしたリュウキは、すぐそばにあった木の椅子に引っかかったのだ。
「おおおおおお!?」
リュウキの身体は、頭にかかる重量によって円を描くように倒れていく。眼前に床の木の板が広がり、衝突の痛みを避けられないことを悟る。
受け身はできない。顔面からだ。鋭い痛みが来ることを恐れ、リュウキは目を強く瞑る。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁ……あ?」
痛みが来ない。顔面に板の硬い感触が感じられず、それ以前に倒れ込んだ感覚もない。恐る恐る、リュウキは目を開いた。
「……大丈夫かい?」
頭の上からかかる言葉と、床の遠ざかりように、リュウキは誰かに抱き抱えられていることを察する。
声から察せられる優男。そんな優男に抱き抱えられることに、感謝も湧くが同時に羞恥も湧いてくる。
「え、えと。ありがとうございます……。その、いつまでもこの状態は少しアレなんで……」
「ん? ああ、なるほど、すまない」
そう言って声の主はリュウキから腕を離す。周りからのファインプレーの賞賛の拍手に、照れながらを応えているようだった。
海よりも深い、青色の髪だ。
その下には、宝石のように眩しい黄色い瞳が、真っ直ぐリュウキを見据えていた。異常なまでに整った顔立ちに、温和そうな甘いマスクが、彼の人柄を知らしめている。
顔立ち的に、年齢はリュウキと同じくらい。スラリと細長い長身も、リュウキと同じ高さくらいだ。ただ、腰から下の長さは段違いになっている。
黒い服は至ってシンプルで着飾らない。だが、それが逆に彼を着飾っているように魅せるのは、一体なぜなのだろうか。
「危なかったね。勝手ながら、手助けさせてもらったよ。ケガはないかい?」
微笑を浮かべた青年は、そのままリュウキの体の心配をする。
見た目と行動と佇まい、すべてが卓越した青年に、リュウキは只者ではないことを悟る。
「あぁ、すんませんいきなり倒れ込んだりして……。おかげで助かりましたよ。えっと……」
リュウキの態度に青年は状況を察したように「ああ」と声を漏らす。
「自己紹介がまだだったね。僕の名前はカイン・スパログアだ。よろしくね」
「じ、自己紹介ありがとうございます。俺の名前はリュウキ、カリヤ・リュウキと言います。リュウキが名前なんでよろしくお願いします。カインさん、今回は助けていただきありがとうございました」
膝をついて敬うように物腰低い態度にカインは可笑しそうに微笑を浮かべる。
「そんなかしこまらなくていいよ。呼び捨てで、敬語も使わなくていいよ、リュウキ」
笑顔で手を伸ばしてくるイケメンの行動に、リュウキは己のかしこまった態度がおかしく思えてきて、笑いながらその手を握る。
「じゃあ、そうさせてもらうよ。改めてありがとな。危うく流血沙汰になるところだったぜ」
「ちょうどこっち側に倒れ込んでいたからね。対応はすぐにできたよ」
お互い、笑いながら話してはいるが、実際本当に危なかった。リュウキはかなりの勢いで椅子にぶつかったのだ。足も宙に浮いていた。危うく店主の店の床を赤まみれにしてしまうところだった。
「そーゆー点では店長さんに怒られ……あれ?」
助かったとはいえ元の火種はリュウキの不注意だ。これは怒られると思ったのだが、何故か店主は渋い顔をしていて、何も言わない。と思えば、今度は別の場所からーーカインすらも苦悶の表情をしていた。
「また来たのか……」
「……はい。それが、自分のできることですから」
「もう気にしなくていいってのに……」
そう言って店主はぶっきらぼうに腕を組む。カインも目を伏せるばかりだ。
店主とカインの関係性はわからないが、踏み込んではならない領域だということだけリュウキは察する。
察し、それでも不用意に介入するのがリュウキの悪いところなのだが、命の恩人二人組の関係性をぶち壊しにするほど、リュウキは無神経ではないし肝も据わっていない。
「……おっと、すまない。置いてけぼりにしてしまったね」
そんなリュウキの対応を感じ取り、すかさずカインはフォローに入る。微小な緊迫感は薄れ、今はカインから放たれるイケメンオーラがリュウキの体にまとわりついている。
「いや、大丈夫。なんか悪いな、変に気を使わせちまって」
「それはこっちのセリフさ。迷惑かけたね、配慮が足りなかったよ」
「ま、お互い今回のことはあんまり振り返らずってことで……。カインもなんか買いに来たんだろ?」
このままではお互いにお互いを謝るという日本人的精神の元、収拾がつかなくなりそうなので早めに切り上げる。
先ほど手から離してしまい、床に倒れ込んでいた杖を掴んでカインの前に見せる。
「あぁ、そうだね。本来の目的はそれだよ」
「だろ? なら買おうぜ」
「ーーあぁ、悪いね」
リュウキの浅はかな配慮を感じ取り、カインは苦笑いしつつも肩をすくめて大丈夫だという意思を伝える。
気軽、とは言えないがユーモアを持つ行動なのでリュウキもそのまま何も言わずカウンターへ向かう。店主とカインがそれについていく形だ。
「それじゃ、まずは坊主からだな。買うのは、この杖でいいよな?」
「はい、これでお願いします」
そう言ってリュウキは持っていた杖を店主に渡す。店主はそれを見てから小さく頷いた。
「よし、まぁ、これからの伸び代に期待して、少しまけてやろう。本来なら銀貨五枚だが、銀貨四枚と銅貨五枚にしとくか。安いぞ安いぞ!」
「おお! どれくらい安くなったかわかんないけど多分これくらい驚くべきだな!」
この世界における貨幣の交換比率は分からないが、銀貨の枚数が減り、銅貨が増えている。そう考えれば安くなったと考えるのが上等だ。
「えーっと、銅貨と銀貨か……多分色でわかるよな」
リュウキは服の内のポケットに入っていた革袋を開く。この中身は初めて見るが、貨幣の擦れる音と重みから、かなりの量が入っていることがわかる。
「えと……ん? なんか銀色も銅色もねぇな……」
そう言ってリュウキは袋の口をさらに開く。
革袋を逆さにし、カウンターに中身を吐き出す。そこから出たのは金に煌めく、正しく金貨と呼ぶにふさわしい貨幣が流れ落ちた。
重なり合う金属音は不規則に鳴り響き、店主とカインは当然、周りにいた客達すらもその枚数に小さく喉を鳴らした。
「金貨十五枚……。おい坊主。お前……何者だ?」
途端、店主は疑惑の目を向けてくる。それがこの金貨が原因だということにリュウキはすぐに気がついた。が、何者と言われても答えようがない。
「昨日の坊主の話だと、坊主は一文無しだったよな。それがなんで金貨をこんなに蓄えてるんだ?」
「あ、えと」
よくよく考えれば当然の反応だった。まず、昨日一文無しだの宿無しだのあんなに評していた自分が、今はこの場で買い物をしようとしてる時点で、店主から見れば怪しさしかない。
「どうなんだ?」
「その……なんつーか」
「……答えたくないか。まぁ仕方ねぇ。捜索はしねぇ。が、こーゆーのは簡単に見せんな。タチの悪い客や商人にあっという間に身ぐるみ剥がされる。なんにも知らないのは仕方ないが、警戒心がないっつーのはダメだぜ」
店主はリュウキの今後の心配から、金貨をこちらに寄せて忠告する。それを聞いてリュウキは小さく頷いた。
確かに、先程から周辺客からの視線がおかしい。サラッと購入するつもりではあったが、ここでは購入に絶対的な保証はない。小説やマンガでもよく見るが、騙される時は簡単に騙されるのだ。
だが、それはある種店主にそういった悪意はないということの証明にも繋がる。その気になれば今のリュウキから金を巻き上げることは容易いだろう。
「おし、とりあえず細かいのはないようだな。なら金貨一枚いただいて、と。釣りは銀貨五枚に銅貨五枚だ」
「釣りがこれってことは……貨幣価値は銅貨十枚で銀貨一枚分、銀貨十枚で金貨一枚分ってところか」
お釣りを渡され、残った金貨と一緒に革袋に戻しながらリュウキは呟く。
「ああ、今週はな。なんだ坊主、そんなことも知らないのか? 貨幣の交換比率は週ごとに変わる。変動は朝一で知らされるし、中央広場や東西南北それぞれの広場にある看板にはられてっから、次の週はまずそこに行ってからにしとけ」
小さな呟きにも店主は対応し、そして忠告する。この店主、口調とは裏腹に本当に優しい。
「あはは、何から何まですんません」
そんな店主にここまで対応されれば、リュウキは笑いで返すしかない。
「本当にわかってんだか。ほら、これで成立。これが商品の杖だ。毎度あり!」
ズンと購入した杖を押し出される。それを有難く受け取り、リュウキはカウンターから少し離れた。購入前と購入後で杖が変わるものではないが、やはり買ったあとというのは特別感が段違いだ。
「んで、お前はこれか」
カインはどうやら剣を買ったらしい。優男の見た目にはそぐわぬ、かなりの威圧感を放った剣だ。
腰に携えるようならば絵になるとは思うが、同時にこの優男のイメージダウンに繋がるかもしれないとリュウキは勝手に考える。
「金貨二枚に銀貨五枚、銅貨が三枚だ。」
「ではちょうど」
そう言ってカインは手早い動作で購入する。互いに当然のような行動をしていたが、それを横目で見ていたリュウキには驚きの光景だった。
まず、リュウキが購入したのはせいぜい銀貨五枚ほどの代物だ。だが、カインが購入したのにはそれに上乗せで金貨二枚と銅貨三枚。単純に考えると五倍ほどの値段を貼る品物を購入していたのだ。
「ん? どうしたんだい?」
カインはリュウキの視線に気づき、疑問詞を顔に浮かべながら首をかしげた。
「それすらも絵になるって詐欺だな……。えっと、すげぇでけぇ買い物してんだなって」
そう言うと、カインはああと納得したように頷いた。
「そうだね。僕にとって剣は大切なものだからね。でも、値段が高いからいい剣だ、というわけじゃないよ?」
そう言って、カインは購入した剣を腰に携える。やはり、絵になる姿だ。存在感を放つカインに存在感を放つ剣があることで、それだけで威圧感がさらに増す。
しかし、彼の行っていることなのであろう。その威圧感はすぐに解消される。それが、彼の行っている事だとわかってしまうほどだということに、リュウキは驚く。
「これがプロってやつか……」
「プロが何かわからないけど、褒められてるのならありがとう」
吟味し、出た言葉が褒め言葉だということを察し、カインは笑顔で答える。
「さっわやかぁ……分けて欲しいぜそんなところ」
「こんな僕で良ければ、なにか助力しようかい?」
「おわ、サラッとそんなこと言っちゃう? この世界の人達やっぱ優しすぎじゃね」
今のところ、リュウキがあったのは聖人君子だらけだとしか言いようがない。若干例外がいる気もするが、それでも優しいヤツらだとは思う。
「まぁ、縁があったら助けてもらったりするかもな。そん時は、俺もカインを助けれるくらいにはなっとくよ」
「それは楽しみだな。お互い、頑張ろうね」
「ああ、それじゃあな」
軽く手を掲げ、カインに背を向ける。カインはそれじゃあと見送りの言葉を向け、最後までかっこよく締めてきた。
適いそうもないなとリュウキは内心で苦笑して、店を後にしたのだった。
「リュウキ……。カリヤ・リュウキか」
ーー小さく、カインが呟いたそれは、リュウキの耳に届くことは無かった。




