第二十一話 『赤の終焉』
「当たれ!!」
拳を握り、コクランがそう叫ぶ。
速度が一段と上がった弾丸が、真っ直ぐに、真っ直ぐに龍へと迫る。全てを突き破った殺意とも言える弾丸。
その凶器が狙うのは、龍を殺さないで、尚且つその一撃で鎮めることが出来る部分ーー脚だ。
大量の血管を引き裂けば、たちまちそこから血は噴き出し、最悪手遅れになるだろう。その危惧が少ない点が脚だった。
胸付近にでも撃てば、骨を粉砕し、重要な器官や神経は消し飛ばされるであろう。頭も当然だ。その点、脚ならば、大量出血によるショックで気絶、止血後に回復魔法を放てば命に別状はない。
龍の体に自身の考えとの相違があるかもしれない、という危機の予感はあったが、フォルクの話によればそう違いは無いようなので安心だ。
しかし、それでは失策だった。
龍は自身の身を鎖に邪魔されないように注意しながら捩っていく。
彼らの魔法であるアクア・フィルクは、確かに強烈な魔法だが欠点もある。
それは推進力によって勢いを固定してしまうことだ。きっと、この魔法は解かない限り、未来永劫直進し続けるだろう。
そう考えれば末恐ろしいことこの上ないが、それはつまり直進以外はできないということでもある。進み方さえ分かれば、屈折することも、反射することも出来ない。
だからこそ、龍は身を捩り攻撃を軽減することに務めることにした。
それだけで、龍の巨躯は水の弾丸の射程から外れ、貫通したとしても大したダメージが与えられない部分に調節することが出来る。更にいえば、鎖の位置を調整し、鎖を破壊することが出来るかもしれない。
そこまで考えた上で、龍はそれを実行に移そうとさらに身を捩る。
先程と同様の手ーー今度は黒髪の少年が囮役だったようだが、考えが甘かったな。所詮は人間、取ってつけた浅知恵如きに負けるはずがない。
ーーそう来ると思ったよ。信じてたさ。
声が聞こえていたのだろうか。脳を高速回転させていた龍が異変に気づく。
視界の隅の、先程まで人がいた場所に、今は人がいない。
ーー力借してくれよ、ヨルム!
彼はポケットから二つの果実を取り出し、一度に噛み砕き、飲み干した。全身のマルグがめまぐるしく巡るのを感じ、力が漲る。
「喰らい、やがれーー!!」
リュウキが右腕を を真上に上げる。
リュウキの右の掌からこれまでで最大威力の突風が発生。腕が引きちぎられるような感覚と、周囲の空気の歪みに顔を顰めながらも、狙いをずらすことは無い。
大気が歪曲するような威力が、リュウキの腕に逆流して襲いかかる。
暴波と痛みに必死に耐え、左手で右腕を力強く握り、標準を合わせる。
その声と異様な威力のマルグの反応に龍が慌てて反応しーー刹那、龍の顔面が大きく仰け反った。
突然顔面に押し寄せてきた暴力ーー否、暴風に、龍は驚き、そして、
「ーーーーッッッ!!!」
龍の脚に巨砲がぶち込まれる。生まれてしまった一瞬の隙、その瞬間にアクア・フィルクがぶち込まれたのだ。
龍の脚から血が噴き出し、それが残虐に踊り出す。当然、巨砲の勢いは失速することなく、そのまま龍の鱗を、筋肉を、繊維を、骨を、神経を、血管を、血を穿ち、貫通した。
「ーーこんだけ近けりゃ、当たんだろ。大人しく眠ってな」
「ーーーーッ」
リュウキの一声をどう感じたのか。苦痛の悲鳴が微かに響き、龍はその場に倒れた。
落ちる巨躯の地響きと、流れる鮮血の雨は悲惨なもので、誰もがその現状に息を呑んだ。
静寂がその場を流れ、そして、
「ーー終わり、ました」
静寂の薄氷が凛とした呟きによって破壊される。その声に、全員が同一の方向を見る。
黒ずんだ指や頬、あんなに綺麗に纏められていた髪が今は所々ほつれており、自身の血と竜の血で全身を黒く染めたフォルクがそこに立っていた。
あまりにも汚らしいはずなのに、彼女の凛とした表情は宝石のような輝きを持っている。
長き言葉は無用、今はただ、この瞬間をーー。
「今回の戦いはーー私たちの勝利です!」
「ーーーーおおおお!!」
勝利の宣言が高らかに主張され、それに続いて全員が歓声を上げた。
「無事に、終わったのね」
「無事とは言い難いけど、何とかな」
勝利の感覚に全身で浸り、リュウキはおぼつかない足取りでソフィアに近づきながら答える。
「リュウキ、本当によく頑張ってくれました。あなたの作戦のおかげで、こうして勝つことが出来ました。ソフィア様も、御身の助力無しでは、きっと勝利を掴み取ることは出来なかったでしょう。」
フォルクはそんな二人を見て、優しげな声を紡ぐ。そこに含まれた思いは多種多様であり、きっと、フォルクにしか分からないだろう。
しかし、ほんの少しだけなら、リュウキにもソフィアにもわかる。きっと、その答えは、
「本当にありがとうございました」
一段と増した優しい声に、自然と二人は笑みをこぼす。
「俺らだって、先生達がいなかったらどうなってたか。なぁ?」
「ええ、先生達がいてくれたから、こうして勝つことが出来ました。だからその言葉は私たちが言うものです」
「「先生方、本当にありがとうございました」」
正直な気持ちで、二人はフォルクやコクラン、ルノアや、遠くにいるウィル達にも頭を下げる。
リュウキもソフィアも、彼らの力がなければきっと死んでいただろうことを重々に自覚している。だからこそ、今こうして命があることは、一人だけの力じゃないこと、仲間がいてくれたからだということに、感謝しているのだ。
「ーー子供とは思えないくらい、大人ですね」
小さな呟きと共に、フォルクが笑い出す。
当然のことをしたのにどうしてか、と二人は顔を見合わせてキョトンとする。
その行動すら面白かったのか、フォルクはより一層クスクスと笑い出した。
「さて、私はウィル先生たちの回復に行きましょう。大量にマルグを消費してしまったせいで、全く回復ができてなかったようです」
そう言って、フォルクはウィルたちの元へ向かい出す。コクランやルノアもそれに同意するようで、付いていくつもりのようだ。
リュウキとソフィアは緊張から開放されたからか、逆にあまり動けないでいた。ならばここで胡座をかいてソフィアと駄弁ったりでもしようか、そんなことを考えていると、
「ふ、二人共!」
こちらを向いたルノアが悲鳴のような叫びをあげる。その声に、二人は同時に恐怖から逃げきれていなかったことを悟る。
「ーーーーッッッ!」
全身に浴びる強大な殺気。それを放つのはただ一頭しかいない。
大地が踏みしめられる音、赤に赤が加えられた赤き龍が、その口を開く。
血をそのままにし、踏みしめる脚からは更なる出血が重なる。
「ふざっけんじゃねぇよ!」
漆黒の双眸には漆黒の闇が宿っている。
炎を操る龍のはずが、この龍の殺気からはまるで熱くならない、氷をぶちまけられたように背筋が凍る。
作り出された濃密すぎるほどの灼熱が迫る。
たった一発、しかし、リュウキとソフィアを一瞬で塵にするであろう強大な威力だ。
フォルク達は間に合わない。ソフィアも、振り返ることに余分なタイムロスを強いられる。
一撃、この一撃さえ防げば、龍は必ず倒れるであろう。
残るはリュウキだけだ。最後の一滴まで絞り尽くすしかない。
「がぁぁぁぁ! ストォォォーー!?」
腕を前に投げ出し、詠唱を唱える、が、風は一切吹かない。きっと、先程のストームで完全にガス欠なのだ。
いや、待て、まさかそれなら俺達はーー
『死』?
いや、そんなはずが無い。死にたくない。死にたくないんだ。やっと掴んだ居場所なんだ。怖い、嫌だ、死ぬのは嫌だ。
弱気な言葉が脳内に浮かび上がる。だから、
ーー諦めたくない!
リュウキは左手も前に掲げる。指先まで集中させ、ストームを作り出すのだ。最悪、マルグを切り替える、という行為でもいい。頼むから、ここで死ぬなんてことはしたくない。
「あきら、めるかぁ!」
ーー言い切った瞬間、リュウキの全身が止まった。いや、正確にはリュウキ以外の全員が止まる。もっと言えば、リュウキだけが世界から隔絶される。
「ーーーー」
迫っていた火球の勢いが急停止し、走っていたフォルクたちも片足を浮かせた状態で止まる。ソフィアも振り向きを止め、今完全に、世界が止まった。
息遣いも、靴が地を鳴らす音も、静寂もない。
この世界が『無』で統一される。
そして、それはリュウキにも及ぶ。指先一つ動かない現象、息もできず、瞬きも、唾液を飲み込むことも出来ない。
意識だけはあるのに、何も動かすことが出来ない。
あるのに無い世界に突然放り込まれるリュウキ。その恐怖は、異世界転移のレベルではない。耐え難い不快感が悪寒となって背を走る。
なんだ、おかしい、意味がわからない。
次々と浮かぶ疑問の最後に辿りついたのは、思考の放棄だった。
理解不能、無理解、理解することを超えた超越現象。
理解しようとする脳が動かない。何もかもかわからないまま、変化は突然に起きた。
ーーぐあぁ!?
脳天を貫く凄まじい痛み。それが血流のように全身を巡り出す。疑念の声を浮かべる暇もなく、無理解の痛みがリュウキを襲い続ける。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
歯止めの効かない痛みに殺される。理由のない暴力に、涙を浮かべることも、歯を食いしばることも出来ない。
殴り続けられる痛みに、リュウキが耐えることも出来ずにいると、
『望め』
声が響く。何も聞こえなかったはずの世界に、声が。
無機質でノイズの混じった不鮮明な音。ただ、音のない世界に放り込まれたリュウキにとって、この声は何よりも歓喜をあげたくなるようなものだった。
『望め。それが貴様の罪であり、貴様の力となる』
声がまた聞こえる。望め、望め、と何度も繰り返される無機質な声。
力を望むーー俺にとって、今一番欲しい力はーー。
「消えろ」
短い、命令のような詠唱が小さく紡がれる。
そして、その瞬間、リュウキの全身を黒い光が包み込んだ。
掌から黒い靄が生まれだし、真っ直ぐに火球の元へと導かれるように動き出す。
漆黒の、影とも言える黒い靄は、火球に触れ、そのまま火球を飲み込んだ。黒い球体となった靄が、やがて収縮していき、最後には音もなく消失する。
原理がどうであれ、この現状に全員が同じ答えを導き出した。
この光景に龍は目を見開く。そこに込められた思いは、火球が消え去ったことによる驚きだけではない。が、そんなこと、今のリュウキには知る由もなかった。
そうして、愕然とした龍の目がゆっくりと閉じられ、それに合わせて身体も倒れた。次はないだろう。
「今……のは」
誰かが小さく呟く。無論、リュウキにだって今の現象は謎だった。
「え……と、よ、よく分かんねぇすけどとりあえずは助かっーー!?」
リュウキの腕を、フォルクが掴み取る。
驚きが全員に伝染する。しかし、リュウキと、リュウキ以外の彼らとの驚きは別だ。
「いや……急にどうしたんすか……てか、ちょ、痛い痛い」
軽口めいて、左手でフォルクの手を叩く。
だが、フォルクの握力は緩まない。むしろ、左手でも掴まれ、リュウキの右腕は彼女の腕にホールドされた。
「今の黒い輝き……は……」
震える呟き。だが、リュウキはその意を理解出来ていない。
「リュウキ、今あなたの全身が黒く光りましたよね?」
「よ、よく分かんないけど、そうですね」
実際、リュウキの全身は黒く光っていた。しかし、特に体に変調がある訳でもないので、真相はわからない。
「この事を過去に体験したことはありますか? その前にまず、この状態をあなたは知っていますか?」
「い……いや、一度も、マルグが切り替わるってのと同じ事じゃないんすか?」
握力がだんだんと増してくる。痛みに腕が悲鳴をあげるが、振り払うことも出来ない。
「……でしたらリュウキ。最後に一つだけ質問をします」
「は、はい」
より険しくなった表情のフォルクに、リュウキの顔も強ばる。
「ーー龍属性というのを、ご存知ですか?」
強く握る手は、微かに震えている。表情にもそれが伺えており、そんなフォルクに対してリュウキはーー
「す、すみません。本当に分かんないです」
答えはそれである。リュウキには身に覚えのないものだ。詠唱と言うには程遠い、命令を口にしただけで、あんな魔法が使えた。いや、あれが魔法なのかも定かではないが。
「ーーそう、ですか」
納得してくれたのだろうか。その言葉と、腕を握る力が弱まったことから、リュウキは表情を和らげる。が、
「すみません。リュウキ」
「へ?」
短い謝罪。
つかの間の安堵を感じていたリュウキに、直後快楽が降り注ぐ。腕から侵入してきた快楽。一気にそれが全身を満たし、肩の力が抜けて体勢を崩す。これを、リュウキは一度体験しているのだ。
この謎の答えはーー
「回復……魔法」
その答えを口にし、リュウキは気を失った。




