第二十話 『答え合わせ』
ーー邪魔だ。気持ちが悪い。気に入らない。気に食わない。
血を流し、息を切らしながらも龍は全てに怒り狂っていた。
水晶体を黒く染めた狂気的な双眸は、こちらを狙う害悪な生物に対してのみ動かされている。
水の刃が脚元を薙ぐ。雨が胴体を溶かす。光の剣が龍を次々に傷つけていく。
それがどうした。そんなことは無意味に等しい。この回復力があれば、この程度はすぐに治る。
たが、それでも諦めずに攻撃を繰り返す人間達を、龍は小賢しく、そして鬱陶しく思っていた。
たった小さな存在。踏み潰せばそれだけで死ぬ存在が、今の龍にとっては一番の邪魔者だった。
しかし、やがて魔力が底を尽き、人間は撤退を余儀なくされるであろう。その時までの辛抱か。いや、そんなことは許されない。許してはならない。
そんな事では自分のこの怒りが解消されない。満たされない。人間の死を見て、龍は初めて怒りをおさめることが出来る。満たされることが出来る。
ーー何もかもが憎くて仕方がない。
特にあの黒髪の少年。彼には何故か一番怒りの矛先を向けてしまう。自分の双眸のように黒い髪も、人間とは思えないような異質に纏う気も、諦めの悪い底意地張った双眸も。悪魔めいた表情も、全部が憎い。
ーー何故こんなに自分は怒り狂っている?
たった一つの疑問。それがきっかけとなり、龍の全身が震える。
疑問が浮かんだ瞬間、龍の脳内に洪水が巻き起こる。疑惑の念が脳内を駆け巡り、支配する。
わからない。わからない。わからない。わからない。わからない、わからない、わからない、わからないわからないからないからないらないらないらないないないないないないない!
脳内を何かに呑み込まれる。咀嚼し、じっくりと味わいを堪能され、龍の脳内は憎しみに溺れた。
ーー自分が自分じゃなくなる感覚に、龍は初めて恐怖を覚えた。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「ーー本当なの?」
説明後、ソフィアの開口一番はそれだった。
確かに信憑性の低い内容だ。かなり推敲した部分もあり、信用できる部分は少ないだろう。しかし、
「ああ、根拠は至る所に散らばってた。実際、ソフィアも見てるはずだぜ」
「確かにそうね……」
リュウキの言葉にソフィアは納得の頷き。今もルノアとコクランには龍と攻防してもらい、その根拠をさらに根深いものにしようとしている。
「んじゃ、あとは言ったとおりだ。つってもソフィアだけにしか言ってないけどな」
微妙な語弊をリュウキは訂正。ソフィアにも事情を知ってもらったおかげで、準備は万端だ。
「他になんか言いたいことはあるか?」
「あ、あの事だけど、あれは私一人で十分。コクランさんの力は必要ないから、ルノアさんの力になるようにしてほしいわ」
ソフィアの言葉にリュウキは目を丸くする。
「ほ、本当に大丈夫か? 疑いたくないけど、それは流石に……」
「大丈夫よ。自惚れてるわけじゃないし、この魔法は私の得意な魔法でもあるから。それに、その方が勝算は高いでしょう?」
ソフィアの説明は最もだ。ここは彼女の案に乗ろう。これで勝率はさらにアップ。抜かりはないはずだ。
「そんじゃ、それでいこう。フォルク先生は後ろに、ソフィアは俺と一緒に行くぜ!」
二人の返事を聞いて、三人は一斉に走り出した。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
ーーこの鎖は本当に邪魔だ。
龍は自身の力が十分の一も出ないこの鎖に苛立ちを覚える。
今の龍を支配するのは怒りと憎しみだけだ。そこに、龍本来の意思はない。故に、龍はその二つの感情に身を委ね、人間を自分の意思で殺すことを放棄している。
床と壁を伝って死角から一撃を入れてくる男女。連携も取れており、一撃を加えると即離脱を繰り返している。かなりの手練のようだが、浅い。その程度では龍には大して効果などない。
ーーただ、龍にも効いた攻撃はあったが。
脳内にそれがよぎり、その部分に首を向ける。かなりの消耗だが、それよりも人間が消耗するほうが早いだろう。このまま消耗戦に持ち込んで潰すも良し、わざと隙を見せて叩き潰すも良しだ。
そうして、人間の対処に頭を回していた龍が、不意にその黒き双眸を動かす。
首を向けた瞬間、隅を走っている一人の少年に気づいたのだ。
男女が撹乱している間に、横から重い一撃をぶつけるというのが人間達の考えなのだろうか。
ーー殺さなければ。
龍の本能が強く語りかけてくる。勿論、それに龍は応じる。龍の脳内は彼への怒りと憎しみで固定された。彼を殺すことだけを、龍は考えている。
ーーそれこそが、彼の作戦だとも知らずに。
真っ直ぐに走る少年に、龍は濃密な火球を作り上げる。膨大なマルグによって練られた威力重視の一撃だ。万が一避けたとしても、次の速度重視の一撃で沈めればいいだけだ。
龍にだって、考える知能はある。本能のままといい、殺す意思を放棄しても、それは考えることを放棄することではない。
一回り巨大化した燃える凶器が、走る少年へ向けて放出される。
狙いは最高。これならば万が一の可能性は潰える。
そうして、加速した火炎が着弾。巨躯とちっぽけな存在とを隔てる壁となって、轟音と激しい砂嵐が吹き荒れる。
すぐに少年の死を見れないのは少々苛立ちを覚えるが、自分の仕出かした行いなので仕方ない。
大人しく砂嵐が消えるまで待とうと思っていた。だが、
「ーーハッ。ボケっとしてんじゃねぇよ、龍様」
まさに悪魔の囁き。それが龍の耳に届いたのは最悪の奇跡だ。
砂嵐に影が浮かび上がる。龍のものではない、ちっぽけな影。
砂嵐が晴れる。そこに居た存在に、龍が目を見開く。
「ーーよぉ。大嫌いな男の登場だぜ?」
悪魔の表情で、舌を出した少年はそうこぼした。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
リュウキが走り出し、それをソフィアの光魔法とフォルクの力によってカモフラージュ、というのが第一段階の作戦だ。
まず、リュウキが一番龍に好まれていないというのは明白だった。どういう訳か、出会った当初とは打って変わって、今の龍はリュウキを殺す気で来ている。だからこそ、リュウキは最高の格好の的なのだ。
だが、それでリュウキが死んだら元も子もない。第一、リュウキは自分を殺す作戦など建てない。
その後に浮かんだのが、ソフィアの光魔法についてだ。
中学生の頃に習った屈折。それが最大のヒントだ。
水蒸気を使って光を屈折させ、リュウキのいる位置をずらす。龍にはリュウキが端の方を走っているように見えるが、本当のリュウキは龍の方へと走っている。
水魔法と光魔法の複合魔法。これをソフィア一人で行うのは難しいと思われたのでコクランに助力を得ようとしたが、問題はなかったようだ。
しかし、これだけではまだ甘い。この場合、龍に声によって位置がバレてしまう可能性がある。だからこそ、フォルクの出番だ。
龍が人の言語を聞き取れる力があることも、攻防からハッキリとわかった。
そして、フォルクに最初に生まれた疑問。
ーー何故ウィルとリュウキとソフィアの話を、あんな遠くから聞くことが出来たのか。そして、ウィルもフォルクに話すことがなかったのか。
その理由の答えが、フォルクは話さずとも誰かの声を聞く、そして自分の考えを相手に伝えることが出来る、という事だった。
その事をフォルクに聞けば、予想は見事に的中していた。
『私は確かに、話さずとも対象と会話をすることができます。さらに、集中力を高めれば心音や足音までも。それが私の福音である『伝聞』なのです』
『福音』というものが何なのか、それをリュウキが知っている訳では無いが、内容からしてきっと特別なものなのだろう。
リュウキはその言葉を聞き、リュウキの考えを聞いてもらい、それを声として直接届け、さらに言えば位置をずらすことにしてもらったのだ。これはソフィアとフォルクの息が合わなければ到底難しい事だが、お互いの考えをぶつけ合った二人なのだ。ここも心配いらない。
実際に行動に移しているが、なんとも奇妙な体感だ。
まず、思考を読み取られる瞬間、リュウキの脳内に何か別の人間の脳内がダブるように感じるのだ。そして、思考を読み取られ、音として発言される。リュウキの声がリュウキより離れた位置から聞こえてくるのだ。これもまた、なんとも言えない異様な感覚だ。
だが、この作戦は大成功。龍は困惑し、誰もいない場所に火炎を打ち込んでいる。
ただ、これにはフォルクに一番頑張ってもらうことになる。一瞬でも気を抜けば、その時点で龍に気づかれてしまう。
リュウキの考えを聞き、それをソフィアの作り出した幻影の位置にまで声として届けなければならない。それのタイムラグを限りなくゼロにするということも、お互いの位置取りや、正確な判断の元に行わなければならない。
最大限まで高めた集中力を持続させることなど並大抵の事ではない。
これはつまり、フォルクの特異魔力とフォルク自身の持つ能力のお陰だ。
「おーらおら、全然当たってねぇぞー?」
中指を突き立て、大地を蹴る。安っぽい挑発だが、今の龍には効果的だ。攻撃が単調となり、龍の脳内は完全にリュウキの事にしか頭が回らなくなっている。
ーー完璧にリュウキの思惑通りだ。
龍がリュウキに気を取られている間、残った二人はどこにいるのか。
ルノアとコクランは戦場から一歩離れ、濃密な弾丸を作り上げている。いや、これはもはや砲弾だ。濃密に、強大に練り上げられるそれが、リュウキの第二段階の作戦だった。
龍の回復力、それは龍にとっての長所だったのだろうが、そのせいで弱点を晒すハメになってしまった。
龍には未だに血を流している部分がある。それはルノアが貫通弾を当てた部分と、コクランの骨にまで達した水の刃の部分だ。
この二つが当たった場所だけは血が流れ続けている。この二つだけ、ということから考察できること。
ーー龍の弱点は中心付近。
貫通も、つまりは中心部分を抉った結果だ。
その他の攻撃は全て鱗を切り裂く程度であった。どういう原理かわからないが、鱗が硬いわけではなく、鱗の部分の再生力が異常に高いだけなのだ。だからこそ、もっと深くの鱗が及ばない部分ーー中心付近こそが最大の弱点なのだ。
「ここら辺だ!」
リュウキは自身のポジションに到達し、そこで自由に翻弄するように動き回る。当然、動く向きを脳内で思案し、それをフォルクに読み取ってもらい、今度はソフィアに伝えてもらっている。
走り回るリュウキとは見当違いの方向に火球が通り過ぎ、轟音と土煙が地面を爆砕する。高火力に大地は簡単にひしゃげ、弾むような揺れすら感じる。
その威力に冷や汗をかきながらも、リュウキはおどけた表情を見せる。自分を見られていないのにこんな表情でいるなど、傍から見れば馬鹿でもしない行為だ。
その表情に龍は遂に我を忘れ、圧倒的な気迫だけを持って地面を削りに来る。
龍の咆哮が鼓膜を乱暴に揺らす。
だが、それがこの戦いの終止符となる攻撃の火蓋を切ることとなる。
「今だ! ぶっ飛ばせーー!!!」
「「アクア・フィルク!!!」」
龍にも負けじ劣らぬ声が轟き、直後に何かが射出される。異様なマルグの歪みが、煌めく水の魔法が、全てを置き去りにして風となる。
ーー液体とは思えないほど硬化した水の砲弾が、真っ直ぐに龍へと放たれた。




