第一話 『情報収集』
リュウキの現実世界での立場は、言ってしまえば引きこもりであった。
高校生という身分のため、ニートではないだろう。いや、ないと思いたい。引きこもりニートとなると本気で国家権力さんが殺しにくる。『働けニート』という言葉と共に精神的にも肉体的にも殺しにくるだろう。
いや、『引きこもり』という称号だけでも世間泣かせ、親泣かせのクズ扱いされることに代わりはないが。
まぁ、親は泣いてないんだけど。世間も泣いてるか知らねぇし。むしろ引きこもりなんて世間的には誰も取ろうとしない職だ。上級職と言ってもいいのではないか、などと戯言をほざく。
しかし高校二年生という大事な時期、青春を歩むはずの人生を自ら自堕落な人生へと塗り替えたのだ。いよいよ救えない。
この十六年間、彼は笑いあり涙ありの人生を送ってきたのだがーー
「流石にこれは十六年間でも経験してねぇよ」
どんなに崇高で聡明な人間でもこれは体験してないだろ……と内心でさらにツッコミを入れる。
状況の再確認ーー右、いかにも怪しそうな男がいかにも怪しそうなツボを売っている。左、道行く人でごった返し。ここは東京かというくらいの人混みでとても暑そう。前、道も道、先が見えない。それらを統計してリュウキはため息をつく。
「さて、どーしてこんなことになったか……」
リュウキはコンビニへ向かおうとドアを開けたのだ。そうして眩い光に目を瞑って、
「家から出たらそこは異世界でした! なんておかしいにも程があるぜ、おい」
現状を把握し、ツッコミを入れる。色んなものを飛躍してこの場にいるということに、突っ込まずにはいられない。が、別に怒っているわけではない。むしろ嬉しくてリュウキは笑みが止まらなかった。なぜなら
「異世界召喚なんて最高すぎんだろ!」
異世界ファンタジー、さらにはラノベが大好きなリュウキはこの状況を歓迎していた。
「それにしてもあの時は発狂してても可笑しくなかったよな……それでも発狂しなかった俺グッジョブ」
あの場面で発狂していたのならリュウキはこの世界でも引きこもってしまったであろう。羞恥的な意味で。
まぁ、発狂はしなくても、叫ぶことはしたが。その後の視線に耐えきれずに早歩きで逃げてきたわけで。
今は落ち着いて、情報収集に徹している。
「それにしてもマジで異世界だな。それもファンタジーな」
リュウキは元々異世界ファンタジー、基ラノベ的な話はそれほど深くは知らなかった。むしろ推理系小説をよく読んでいたのだ。劇的な変化があったのは、やはり引きこもってからであろう。
パソコンゲームで知り合った人から勧められたラノベを読んでから、その面にドップリと浸かってしまったのだ。今では異世界系統についてならなんでもバッチコイだ。
「マジであの人には感謝だな……本名も顔もわかんねぇけど……」
一般人がこの光景を見れば発狂か気絶をしてしまうだろう。その分、自分が引きこもったことは正解だったのだ、と誰も聞いてないのに弁明しておく。
リュウキが街を歩く中、ざっと見てもやはり異世界ファンタジーだと納得出来る点が多かった。
何故ならば、街を歩く人々の見た目が完全に日本とーー否、元の世界とかけ離れていたからだ。
頭髪は黒髪など見当たらず、多いのは茶髪や白髪だった。ここまでなら外国人の線もあったが、赤髪や青髪、さらには桃髪などの様々な髪色があり、異世界であることに納得した。
服装に至ってはこんなシンプルな服装なんて誰もいない。重そうな鎧や全身を覆い隠すローブ、地につきそうなマントを羽織っているなど、これもまた様々であった。
「文明はお決まり中世風。機械はなし……かな。あんま見ねぇし。んで、建物は大体が木材や石材だな」
縦横無尽に立て並ぶ家々を見渡し、リュウキは腕を組む。
「よし、意外と冴えてるぜ。おかしな状況だからこそ、逆に冷静になれることもあるんだな」
奇妙な体験にしみじみと感想を送り、リュウキは瞑目してあることを決める。
これまでずっと避けてきた鬼門だが、そろそろ立ち向かわなければならない。
「情報収集……会話だ!!」
そう、引きこもりにとっての一番の鬼門である会話様とのご対面の時間だった。
しかし、障害はいくつもある。
まず、リュウキのコミュ力は言わずもがなだ。
最近の中でも会話をしたことがあるのは家族とコンビニの店員さんだけだ。店員さんに至っては日によってコロコロと変わるので心臓に悪い。
しかし、何度も通えば自然となれるものであり、コンビニ店員への壁は脆くなっていた。ただし美人店員だけはダメだ。刺激が強すぎる。ちなみに今日は美人店員さんの日だった。私服を着たのはそのためだ。普段はデブでデブな店員に対してジャージを着込んでいる。
ーーそんな訳で今回の会話イベントは俺にとってハードモード。初期装備でボスと戦うようなもんだ。
「でも覚悟決めねぇとな」
かれこれ数十分はここでウロウロしている。会話をしなければ何も始まらないのはどの世界でも変わらない。
しかし、
「あ、あのぉ……すみません……」
「はい?」
「あの……ここってどこですか?」
「はい?」
「あ、いえなんでもないです。すみませんでした!」
これだ。イントネーションが変わってしまったことに自分が奇っ怪な質問をしているのを瞬時に察知。急いで逃げてしまった。
慣れれば楽なのだろうが、何分そういったチャンスもない。終始オドオドしてリュウキは右往左往する。こんなことをしているから、店の人たちには営業妨害だという目を向けられており、じわじわとチャンスは減っていく。
「無理無理無理無理。よく見たら人じゃねぇのもいるし……なにあれ超やべぇ!」
街ゆく人々の中には、エルフだったり獣耳をしていたり、耳だけでなく、全身が狼に似ていたりと、それらを総じた亜人たちが歩いていた。
車は走っておらず、馬車もない。大体が徒歩か、あるいは
「空飛んでやがる……」
見ればトカゲ頭ーー『リザードマン?』が空を飛んでいた。鎧に身を包むリザードマンは建物の上を悠々と飛び回っている。羽根も生えていないため、どういった原理かはわからないが。
そんな訳で、誰かに話しかけることは次々と断念され、未だに一人とぼとぼと歩いているのだ。
「これが普通……ラノベ読んでた時やゲームしてたときはそんなに思ってなかったけど、実際に立ち会うとなると異様な光景だな」
獣耳なら許容範囲だろう。コスプレとして獣耳をつけたりする人をネット上で見たこともあるわけだし。
だが、全身が、となると正直困惑を隠せなかった。恐怖、とは言い難い感情だが、会話をするのはためらわれるくらいの畏怖はあった。
しかし、幸いなことに暴力や妨害行為を受けることは無かった。
この世界の人間が優しい、ということなのだろうか。出会った人数も少なすぎるせいでなんとも言えないのだが。
それに意思疎通も測れる。日本語、引いては人語が話せない可能性もあったが、そこはどうやら杞憂だったようだ。
「と、とりあえず飯だ……なんか食わねぇと……」
腹の虫がリュウキの中で鳴り響く。急激な飢えに悩まされ、腹が減っては戦はできぬを元に食事が取れる場所を探す。
「うぇぇ……腹が……やべぇ……」
弱音を吐き、自身の腹を必死に抑える。時々殴ったりして鳴るのも止め、あまりの空腹感に軽くえづく。
その時、転機が訪れる。
リュウキがフラフラと歩いていた右隣、開かれている商店にあるのは、
「おおお……八百屋……そんで野菜……野菜苦手だけどこの際なんでもいい……とりあ……!?」
そこでリュウキはあることに気づく。
――果たしてこの世界では字が読めるのだろうか。
会話が可能なことで忘れていたが、文字が読めるとは限らない。象形文字のような訳の分からない絵の羅列のような字なのであれば、リュウキの今後はかなり難航を極めるであろう。さらに言えば食べ物もだ。ゲテモノが来ないことを祈る。
「お決まりチートも召喚した権力者や美少女様もいないんだ……頼む、これくらいは……」
そう言って、リュウキは恐る恐る閉じていた目を開く。視界に映る緑の細長い野菜。ブツブツは新鮮の証。そしてその野菜の目の前にある木の板に書かれたのはーー
「きゅう、り……よっしゃ、読める! 読めるぞ! しかもきゅうりなら食えるぜ!」
「いきなり店の前で騒がないでくれませんかね!?」
店主と見受けられる優男がリュウキの叫びを聞きつけて慌てて店の奥から出てくる。それを見てリュウキは両手を合わせて謝罪。そして、
「すんません。あ、そんでコレください」
そう言ってきゅうり(三本入り)を指さしたリュウキに店主は笑顔で答える。
「なるほど。買い物に来たわけですね。わかりました! こちら現在お安くなってて銅貨二枚となっております!」
「はえ?」
予想外の方向からのフックにリュウキは堪らず間抜けな声を出す。完全に決まり、しばらく呆然。
銅貨ーーその単語自体なら知っている。しかし、それを今のリュウキは持っていない。
リュウキの現在の持ち物は財布とスマホ。財布にはずっしりと小銭やお札の重みがあるが、それが急に軽くなるように感じた。それと同時にリュウキの中の何かもすぅっと冷たくなっていく。
「お客様? どうかされました?」
「あは……あはは。きゅ、急用思い出したんで戻ります!」
「お、お客様!?」
空腹によって頭の回らなくなっていたリュウキの脳に危険信号が鳴らされる。それをいち早く察知し、リュウキはその場から逃げ出すことに決めた。
せっかく食事にありつけることが出来、なにより自然な会話を保てていたのにも関わらず、それを異世界洗礼によって軽くあしらわれてしまった。
ふらふら、ふらふらとおぼつかない足取りで街をさまよう。見たこともない景色のようで、行商人たちはいるのでここは元の場所かと錯覚してしまう。
「何でだよ……鬼畜すぎんだろ異世界……」
遂には膝を降り、地に手をつけて嗚咽を漏らした。何も持たない状況でほっぽり出された以上、寝床の確保もければ食事にもあり付けない。
このままでは衰弱死or餓死決定だ。
そんなことを嘆いていると、
「おい坊主、店の前で何してんだ」
そんなリュウキに、珍奇なものでも見るように眉間に皺を寄せた中年男性が声をかけてきた。