第十八話 『弱さも強さも知ったから』
ーー「コクオウノムスメ」ーー
リュウキの脳内でカタカナの文字が浮かび上がる。それを小さく呟いても、まだ噛み砕くことは出来ない。
彼女が相当高い身分だということは考えてはいた。が、それは予想の範囲を軽々と超えていったのだ。
話の流れからして、あるとしたら学長の娘だと思っていた。
学長という存在が、フォルク達のような教師にとってどのような存在なのか知らないリュウキにとっては、一番最初に浮かんだ、一番納得のいく答えであった。それならば、彼女を様付けするのには概ね納得するであろう。
が、彼女の身分は国王の娘。即ち姫だ。
馴染みある言葉とは到底思えない。せいぜい漫画や小説、ゲームで培ってきたほどの言葉。
凡人とはかけ離れた身分である姫。
なるほど、フォルク達の驚きは最もだ。が、リュウキはまだこの王国の状況を把握している訳では無い。
「一日目にして尊きドラゴン様と対峙、なんかすげぇ魔道士様と共闘してーの、初めて出会った美少女が姫様……なんって一日だ。そんで動きすぎのせいで明日はきっと筋肉痛」
張ってしまった脚をパンと鳴らし、普段のペースを崩さぬままリュウキは流暢に言葉を紡ぐ。
成り行きでここまで来たが、我ながら壮絶な一日だなとしみじみ思う。
「ちょっと、真面目な話よ」
「こっちも真面目に必死に噛み砕いてるさ。んで、噛み砕いた結果が今の状態。軽口くらい許してくれたまえ」
ピースサインを送り、歯を光らせるリュウキにソフィアは呆れてため息。
「……はぁ。真面目に話してもダメなのね。リュウキとの付き合い方には苦労しそうね」
「あっれ人の話聞いてた!?」
わりとショッキングな評価に心外だったリュウキを、ソフィアはそっぽを向くことで受け流す。
重苦しいムードは解消され、彼女の評価は下がってしまったが許容範囲。好感度がガンガン下がるわけでもないし、彼女とギクシャクするくらいならこれくらい代償とも言い難い。
この子は強いのだ。リュウキよりも何倍も。いつもいつも楽な方へと逃げてきたリュウキと違って、彼女は苦難の道を選択した。その心意気は計り知れない。
「聞いた上での判断よ。それより、今言った通り私も戦うわ。次は攻撃が当たらないよう集中するから。心配ないわ」
一本指を立て、早口でまくし立てるソフィア。彼女の気持ちは充分伝わったものだから、リュウキは無言で頷く。が、そんなリュウキは、何か、小さな痛みを胸に感じた。
そんなリュウキにソフィアは「よし」とだけ言ってフォルクの方へ向き直る。
「先生。振り回しちゃってごめんなさい」
頭を下げるソフィアにフォルクは慌てふためき、
「と、とんでもないです! 私達は貴方の命令に何なりと従います。ですが、たった一つだけ。無茶はしないことをお約束ください」
「ええ、分かりました。お互い、後悔なんてしないように」
にこりと笑うソフィアにフォルクも安堵。お互いの思いをぶつけ合った彼女達に、迷いはない。
「ーーーー」
彼女達の思いを。後悔しないようにという思いを。
その思いを聞いたリュウキの中に、小さくて大きなしこりが生まれる。
胸の中に深く入り込んだしこりは、茨のように軋んだ音を鳴らして心を締め上げる。
こんなにも大いなる意思を持っている彼女達。そして、彼女達と同様に、きっとこの場にいる者は全員、強き意志を持っているのだろう。
不安を打ち消しあった、真っ直ぐな目は、横目から見ても力強い。それを見てリュウキは、
「役立たずなりに出来ることは……正直ねぇよな」
正直な話、これまでのリュウキの活躍は無いに等しい。あるとしても、ウィル達とソフィアを危うい場面から救ったシーンしか思い浮かばない。そんなもの、他と比べれば天と地ほどの差があるものだ。それならばいっそ、リュウキが遠くに離れた方が勝率は上がるのではないだろうか。
リュウキという凡人が、ここまで生きていられるのは、リュウキだけの力によるものではない。他者に救ってもらった回数の方が圧倒的に多いのである。
ーーならば、その機会を減らせば他のことに頭を回せるし、力を振るうことも出来るのではないだろうか。ああ、そうだ。そうすればきっと上手くいく。彼女達に余計な仕事をさせないで済むんだ。
二人の会話を聞いていた時から小さく主張していた思いが、今度は高らかに主張し始める。
「リュウキ」
フォルクはリュウキの呟きを耳にしたのか、静かに名を呼ぶ。
自分を正当化しようと思考の海に沈んでいたリュウキは、その声にゆっくりと顔を上げる。
澄み切った目は、まるで鏡のようで、リュウキは自身の思いを聞かれた故に、思考という深淵の、奥底に沈んだ二つの思いが見透かされているような感覚を味わう。
「確かに今の状態では貴方は役立たずと言われるでしょう」
「そりゃそうっすね」
自分自身でも認めているのに、いざ他人に言われると唇を曲げてしまうリュウキ。
自分の言葉と他人の言葉では、同じでも違うものなのだ。だから、つい反論をしてしまう。自分が認めたことでも。
「ですが、貴方の言葉は一つ、間違っています」
「な、何がですか。事実、俺は役立たずですよ」
自分と彼女の言葉にチクリと胸を痛めるリュウキ。だが、そんなリュウキにフォルクは、
「ーー誰にでもできることはあります。出来ないと判断するのは自分自身ですから。だから、諦めてはいけません。一度後ろを向けば、次に前を向いて歩いてもずっと後ろ向きのままです」
「ーーーー」
低く、凛とした魂を震わす言葉。その言葉を受け、リュウキの全身が大きく震え、血が加速して巡り始める。
諦めるーーそれはリュウキにとってこの数カ月で一番身近にいる、あるいは隣に座っていた存在だ。
いつどんな時でも脳裏を掠め、一度それを認識すれば、自身を主張してくるような厄介な存在。
何もかもを諦めた結果、リュウキはああして引きこもっていた。自堕落に甘え、親に甘え、自分に甘えていた。それが仕方ないことだと自分の中で決め込んで。
そんなリュウキの考えを射抜く言葉を、フォルクは放ったのだ。でも、
「きっと、俺が動けば全員の足を引っ張る。これは遊びじゃない。ちょっとした事でも命取りになるんですよ?」
まだ、認められない。いや、認めたくない。逃げていたという事実に。変わらないその矮小な魂胆を認める事実に。
この戦いは、それぞれの思惑や希望を全員が背負うことになる。強き彼女達の間に、弱きリュウキが割って入る事など、おこがましい事だとリュウキは思っているのだ。
「こんな俺が。弱虫な俺が、戦ってもいいんですか?」
覚悟とは程遠い、弱気な言葉。でも、それはきっとリュウキの中での覚悟を決める一番最善の言葉。
この問いかけにフォルクは小さな笑みを浮かべる。
「ウィル先生達の身が危なかった時も、ソフィア様の身が危なかった時も、たった一人で立ち向かったのは他でもない、リュウキ自身です。貴方は、決して弱くない。強き意志を持った、一人の少年です」
「ーーーー」
胸に絡まった蔦が、解けていく。
蔦に付いていた棘が、ゆっくりと消滅する。
暗く淀んだ深淵が晴れる。
澄み切った心の奥にある、確かなもう一つの思い。凍りついた沈没船が引き上げられ、溶かされ、動き出す。
「俺も、ここから逃げたくないです。本当は逃げたいって気持ちもあります。でも、それをやったら後悔する」
結局、リュウキの本音はソフィアと同じだった。
『逃げたくない、後悔したくない』
その言葉を聞いた時、リュウキは少女の強さを思い知らされたのだ。だからこそ、少女の思いを知ったからこそ。
ーーここで応えなければ、男ではない。
「では一緒に来てくれますね?」
「ええ、行きます。行きましょう。もう二度と、後悔なんてしないように」
左の掌に右手の拳を強く当て、音を鳴らす。
乾いた音と小さな痛みが、本物の覚悟を後押しする。
ああ、やってやろうではないか。覚悟は決まった。もう逃げない。
反撃の狼煙をあげよう。ここから始めよう。
リュウキの反撃をーー。
弱者なりの反撃をーー。




