第十七話 『謎』
ーー何故今になってソフィアの名前が?
一瞬の思考の停滞ーーその後にリュウキはその事に思考を高速回転させる。
次々と繰り出される謎は、浮かんでは消え、浮かんでは消え、いっそ脳内に謎という泡が浮かんでいるようだ。決して触れることの出来ない、大きな泡が。
ソフィアの名は、間違いなく一度も出なかった。危うい場面も少なからずはあったが、その度に少女が睨みを効かせてくれるおかげでなんとか耐えることが出来たのだ。
ーーそれなのに何故、そしてこのタイミングなんだ。
倒れた少女に全員の視線が集まる。
が、そこに秘められた瞳の思いは違う。リュウキ以外の全員の瞳に映るのは、ある意味別種の「困惑」だ。
だからこそ、コンマ数秒のズレが生じる。その刹那の分かれ道を、龍は決して見逃さない。まるで、それを待っていたかのように。
それは、言ってしまえば経験の差でもあった。高々人間風情が、龍との修羅場の数を争ったとしても、その回数で勝利するものなどいないだろう。何百、何千と世界に滞在してきたのだ。
どんなに傑物とも言える人間でも、実際の出来事に対処しきれないことはある。その僅かなズレを勝ち取れるのは、運ではない。実力ーーもっと言えば経験の差だ。
つまり、その僅かな差は、戦いにおいて敗北の道へと誘う。
もしもそれが「普通の人間」なら。
だが、リュウキは異世界から来た人間。つまりは「普通の人間ではない」のだ。さらに言えば、彼の脳内にあった困惑の量は、他の人間と比べて圧倒的に低い。故に、
「うらぁぁぁあああ!! ストォォォォム!!」
リュウキが左腕を後ろに向け、掌を壁と平行に置く。大地を蹴ったと同時に、掌から爆発的な風が発生。杖を持っていた時とは違う、圧倒的な倦怠感が全身を強く縛り付け、宙に浮く感覚に苦鳴をあげながらもなんとか歯を食いしばる。
そのまま他の風を穿ち、指向性を伴った加速は真っ直ぐとソフィアの元へ。
マルグを回復する果実を一口齧った恩恵だ。練り込まれたマルグは決して濃密なものではなかったが、高速移動をするのには十分な威力だ。
リュウキの魔法は、一直線にしか動かすことが出来ない。魔力のコントロールが出来ないということが大きな理由だ。
しかし、今回ばかりはこれを恩恵と言ってもいいだろう。
そのままリュウキはソフィアの華奢な体に手を伸ばす。驚くべき軽さに一瞬狼狽しつつも、力強く抱き抱え、片手だけの加速によって一気に奥へと移動。背中と髪に走る鋭い凶悪な熱を感じ、リュウキの全身の産毛が逆立ち、粘ついた脂汗が額を滑る。
だが、ここで腕に抱え込まれた暖かな命の鼓動を強く感じ取り、無理やり気のせいにする。
魔法はマルグを抑える果実のおかげで途中で中断。急停止した体は、加速の行き場を失い転がる。
リュウキは上手い具合にソフィアを傷つけないようにと善処。肘や膝に擦りむく痛みに根性でなんとか我慢する。魔法を使った腕にかかる負荷が相まり、荒く息をついてリュウキは額の汗を拭った。
「リュウキ!」
その光景を目に焼き付けていた、否、焼き付けられていたフォルクが驚きと喜びの混ざった声を上げる。が、歓喜に浸る間もない。
「ーーーーッッ!!」
リュウキ達の全身を砕こうと蠢く赤き蛇が迫る。蛇の全身は、まるでナイフが無数に付いているようで、それがリュウキ達の頭上へと移動し、寸分の狂いもなく一直線に振り下ろされる。
「ーーすまない。迂闊だった」
まるで消えたかのように走り出したコクランが、蛇を強固な土の壁で阻止。
巨大な壁に弾かれた蛇は、甲高い音を響かせながら大きく逸れ、その間にリュウキ達は全力疾走でフォルク達の下に。と言ってもそこまで速くはないので後半はコクランにがっちり掴んでもらって移動したものだが。
「せ、先生!」
「分かっています!」
リュウキの声にフォルクが反応。ソフィアの体を渡し、フォルクが何やら詠唱を唱え、指先から白き淡い光の波動を放つ。
それをソフィアの胸元へ向けると、白き淡い光はさらに強く発光する。
「……咄嗟に魔法を使って威力を軽減したみたいですね……治癒魔法をかければ目を覚ますでしょう」
瞑目し、僅かに表情を綻ばせるフォルクにリュウキも表情を緩める。
「……なら俺とルノアが時間を稼ぎます。リュウキ、可能性の話であればまたお前に力を借りる。まだ魔法は使えるか?」
「果実はまだまだ残ってますから。きっとなんとかいけますね」
「……そうか。ならいい。期待している」
一口齧ったのみの果実は、ポケットに強引に突っ込まれている。不思議と甘い汁を垂らすことはなく、せっかくの服を汚すことが無かったのはちょっとしたリュウキの中での喜びだ。
そんな事を知る由もないコクランはゆっくりと頷き、走り出す。
「損傷部分を重点的に回復しています。が、凄いものですね。どちらかと言うと倒れたショックで気絶しているようです。流石はソフィア様……」
両手で回復の光を放つフォルクが感嘆の声を上げる。
その言葉に安心感を覚えながらも、リュウキはある違和感に首を傾げる。
ソフィアの名前が彼女達から紡がれてからずっと思っていた疑問。
「あの……ソフィア『様』ってどういう事ですか?」
リュウキの疑問は大きく二つ。
彼女の名前を知っていた理由と、彼女を様付けする理由だ。
彼女の名前を知っていただけならば事情はどうであれ概ね納得はできる。が、ソフィアは外見から見てもリュウキと同じ、あるいは年下くらいだ。そんな少女に『様』をつけるなど、何か大きな事情があるに違いない。
「……それはソフィア様が判断することです。私の勝手な判断など到底……」
こちらを見て一瞬狼狽し、ソフィアの方へ向き直してゆっくりと口を開くフォルク。その言葉の内容に、これ以上の詮索は無粋だと判断したリュウキは、フォルクと同じようにソフィアの目覚めを待つ。
目覚めたばかりの少女にアレコレ聞くのは忍びないが、色々な謎という情報を削除していかなければ、頭の中が混乱しそうになる。
「先生! ソフィア様の状態は!?」
「大丈夫です。このままならあと数十秒です!」
「わかりました!」
ルノアは振るわれた前脚を、蹴飛ばした勢いで後方回転。鮮やかな動きは、龍との間に大きな距離を生み出す。そしてその隙にフォルクにソフィアの容態を聞き、安堵の顔をしてもう一度龍に突っ込んだ。
龍は荒々しい歓迎として炎の竜巻を放つ。渦巻く風は真っ直ぐにルノアの元へ。
だが、ルノアは手に持った杖を剣ーーあるいは鞭のように扱い、次々と斬撃を放つ。最後に下から上に振るわれた杖は、ルノアの手元から離れ真上へ。
生まれた風圧が竜巻を切り裂いていき、バランスを失った火の竜巻が無残にも消失する。
跳躍し、杖を掴むルノア。重力魔法と風魔法の応用は、彼女の跳躍力を飛躍させ、それだけで龍の上をとる。
「『アクア・フィルク』」
たった一滴の水。それも極少の雫が、ルノアの前で停滞する。それを寸分の狂いなく回し蹴りでルノアが射出。推進力を得た水滴は一直線に龍の元へ向かい、着弾ーーするかと思いきや、そのまま龍の胴体を貫く。
小さな風穴から大量の出血が噴き出し、鼓膜を引き裂く様な大絶叫が世界を震撼する。
「たった一滴の雫だと思って舐めちゃいけないよ? これは勢いを固定してくれる重力魔法とその対象となる水魔法の合成魔法さ。その代わり、対象となる物質は極少にしなければならないけどね。でも、私が魔法を解くまではずっと突き進むのさ。だから、どんなに硬いものでも絶対に貫く。講義は終了。如何だったかな? 龍様?」
尊き龍を小馬鹿にしたような笑い。龍への信仰が深いものに即刻その首を落とされそうだが、それを許さない規格外の魔法に龍以外の誰もが口を噤む。
噴き出した血の勢いは少なくはなっているが、それでも尚、流れ続けている。
「……ん?」
また浮かぶある疑問。何か、とても重要なはずの疑問が、リュウキの脳に雷のように落ちる。
が、それについて思考を回す前に、
「……ぅ、うん?」
ゆっくりと、美しき双眸がその姿を現す。数回の瞬きの後、彼女は背と頭に当たる硬い感触に微かな痛みを感じ、半身を起こした。少女の動きに合わせて、金に輝く髪が美しく揺れる。
一つ一つの動作が絵になる少女ーーソフィアが目覚めたのだ。
「ソ、ソフィア様!」
ソフィアは自身の視界に入り込んだフォルクに驚き、自分が気絶していたことを認識する。
確か鼻孔や口腔から血を垂らしたはずだが……なるほど。回復魔法による恩恵かとソフィアは納得。しかし、
「せ、先生……って、え? どうして私の名前を……」
ソフィアは愕然とし、吐息をこぼす。そして胸元に己の指を触れさせて気づく。
「……ない。認識阻害の魔法が組み込まれてる花の飾りは……」
あたりを見回し、ソフィアは花の飾りが真っ二つに割れて龍の後ろに落ちているのを見つける。つまり、龍の攻撃を喰らった時に、飾りは勢いによって飛ばされ、落ちた瞬間に割れたのだ。
一度割れてしまえば、もう二度と使えない。
自分の素顔がバレてしまった。それはつまり、彼女達を驚愕させたという事だ。
それはソフィア自身も望まなかったこと。そうなってしまえば、この後の事は火を見るより明らかとなってしまう。
「ソフィア様。何故貴方が学院に来たのかを恐縮ながら質問したいところですが、そうもいきません。直ぐに安全な所にいて下さい。お話はその後に、学長の方から」
一度目を瞑り、言葉を並び立てるフォルク。切羽詰まった表情にソフィアは気圧されそうになるが、
「……嫌です。力不足は自覚していますが、それでも……」
「わかってください。もしも貴方に何かあればこの国は……」
悲痛とも言える畳み掛けられた懇願。それがソフィアの胸に響かないわけがない。彼女の気持ちは、本当に強くわかる。
「先生の言っていることは正しいと思います。でも」
胸に手を当て、目を瞑るソフィア。否定の前提となる言葉を投げられ、フォルクは喉を小さく震わす。
「今逃げたら、きっと後悔するんです。私は逃げることも、何も出来ないでいることも、嫌なんです」
毅然とした瞳が、フォルクを射抜く。その意志の強さは、声となってフォルクを圧倒した。
「戦わせてください。私はいつかこの国を担うものとして、『今』というこの瞬間から逃げたくないんです」
真っ直ぐな視線を向け、断言したソフィアにフォルクの懇願は霧散する。
諦めのような感情がフォルクの中で渦巻く。やがて、
「……わかりました。根負けです。一緒に戦ってください。危うくなれば私達は命に変えても貴方をお守りします」
「そうならないようにして見せますよ」
先程まで気絶していたのに……などと不躾な事は言えない。それに、彼女の表情を見ればそんな心配は不要だ。
「リュウキ、ごめんね。隠してて」
ソフィアとフォルクの話を横で聞いていたリュウキに、ソフィアが話しかける。
謝罪の言葉を聞き、弾かれるようにソフィアの目を見る。悲しげな表情をしているソフィアに、リュウキは擁護の言葉をぶつけなければならない。
「あ、ああ……大丈夫。でも、今の話を聞くとソフィアは……」
本来ならば切り上げなければならない言葉を、リュウキは口にしてしまう。
「うん……そうよリュウキの考えてる通り」
言いたくなかったのであろう、知られたくなかったのであろう事実を、少女の口から吐かせる愚かなるリュウキ。自覚していても、聞かずにはいられなかった。
「アルタナス王国第五十三代目の国王の娘、ソフィア・リーゲルよ」
ゆっくりと、少女は自身の身分が姫であることを明かしたのだった。




