第十五話 『赤き炎と赤き龍と赤き血』
巨躯の周りを自由自在に周り、眼前の死の気配を笑い飛ばすルノア。宙を自在に動き回る彼女は、壁を蹴り、龍の鱗を蹴り、巧みに攻撃をかわしていく。
紫色の短い髪を揺らし、踊りのように攻撃を避けるその姿は、実に芸術的だ。
中指を突き立てる真似をして龍を挑発したり、鼻先を蹴飛ばす姿は、美しさと到底かけ離れていたが。
また、コクランもコクランだ。必要最低限の紙一重で攻撃を避ける。そこには一切の無駄がなく、まるで機械のようだった。
挑発することもなく、ただ黙々と龍の体力を削る。下手すればこちらの方がやりずらいのではないだろうか。
龍の避けられた攻撃は大理石をこれでもかと抉りとり、足場は最悪だった。さらには二人の魔法で傷つき、暴れる龍の爪によって引き剥がされている。
血によってぬかるんだ床のせいでなかなか足元にも移動出来ず、眼前なら不意打ちではないと炎の餌食となる。
「かと言って離れて戦ったらみんなに被害が及ぶわけだしーーね!」
伸びてきた龍の尾の軌道を氷の魔法でずらす。コーティングされた氷は、龍の尾を滑らかにずらし、叩きつけられた尾は地面をひしゃげて凄まじい音を放ちながら砕く。
「弱体の鎖のおかげで何とかいってるけど、これじゃ埒が明かないなぁ……ねぇ、コクラーン! 『アレ』やっちゃおっか!」
「……アレははっきり言って最後の最後だ。今は体力を削ることだけに集中しろ」
「ちぇっ、つまんなーいのー」
ルノアの問いにコクランは小さく応答。その答えにわざとらしく舌打ちをするルノアだが、どうやら予想通りの答えのようで対して気にしている様子もない。
「やっぱり耐久力があるねー。こんなに魔法打ち込んでるのになぁ」
「全くだ……と」
ルノアのぼやきをコクランが肯定ーーするときに銀の髪を尾によって掠められる。
数本の銀髪が宙を舞い、コクランはそれを見て一度離れる。
「だーいじょうぶかな?」
首を傾げるルノアにコクランは無言で応答。龍はだいぶ疲弊してはいるが、まだ炎を放ち、尾を振り、牙で噛み砕く様なことは出来る。
「何か決定的な一打とかあるかなぁ」
「ルノア、コクラン、一度離れて!」
鋭い支持。その言葉を受け取って二人が持ち場を離れて横に。
と、直後に大量の火炎が後ろから放たれる。龍と比べれば多少劣りはするが、それでも十分な威力だ。口元を炎で炙られた龍は、絶叫を上げることも出来ず、鎮火するために顔を振り回している。
「あっ! せんせーい!」
あっけらかんと笑って手を振るルノア。何ともまぁ、神経の図太い女性だ。マイペースと言った方が正しいだろうか。
ルノアとコクランはフォルクに近づいて着地。そしてフォルクに次の言葉を促す。
「コクランの言う通り、アレは最後の最後です。それに、威力的にも龍を殺しかねません。コクラン、ルノア、リアラは空中で撹乱しつつ体力を削ってください。私とリュウキは地上から機会を伺います」
「えー……やりたかったんだけどなぁ」
フォルクの指示にブーイングしてルノアは渋々了解。ほかの面々も特に何も言わないで了解する。
「では、お互いの無事を祈って」
全員が一斉に動き出す。魔法を展開し、重力の流れに逆らう三人。大地を蹴れば、その瞬間に無重力に変わる。それぞれが一定の距離を保ち、お互いを補助しあえる位置にいるのは、本当に即興なのかと言いたくなるほど素晴らしい。
「リアラ……ちゃんだよね? 凄いねぇ、ちゃんと合わせられるなんて」
「お二人の補助がお上手だからですよ」
「お世辞も完璧とは、将来が楽しみだよ私は」
しみじみとした表情を装うルノアは、なんというかオッサンみたいだ。
「……あの人いつもあんな感じなんですか?」
「ええ、いつもあんな感じです」
リュウキの言葉にフォルクはため息混じりの回答。
「うぇぇ……疲れそう」
「あなたに言われるのも可哀想ですね」
リュウキがポツリと出した言葉にフォルクがまたため息混じりの言葉を放つ。全く同じ調子で言われたのでリュウキは声を荒らげる。
「どういう意味ですか!?」
「それはーー来ますよ!」
口ごもりつつも答えようとしたフォルクだったが、龍の攻撃により中断。小さく濃密な火球がリュウキ達を狙う。
だが、リュウキの腕を掴み、フォルクは横にそれる。顔面に惜しみなく吹き荒れる風圧と、華奢な彼女からは到底思えないほどの腕力に、リュウキは小さく悲鳴をあげた。
「だ、大丈夫ですか!?」
心配の声を上げるソフィア。フォルクの代わりに、リュウキが親指を立てて返事。それにほっとしたようにソフィアは胸をなでおろし、
「当たり前だけど……全部弾いたり捌いたりすることなんて出来ないわよね……」
ソフィアの元に放たれた火球は十個。そのうち防げたのは八つで、一つはコクランがギリギリで防いでくれた。
「それでもあと一つは弾けないのよね……本当は二つだけど」
火球はコクランとルノアにはそれぞれ十五個。二人はそれを難なく捌ききり、コクランに至ってはソフィアのフォローまでした。つまりは龍自体にも、ソフィアの実力不足は見透かされているのだ。
「私がここを守らないと……リュウキ達も危ない……」
自身の責任の重さを改めて確認し、ソフィアは一呼吸置く。
「いいわ! やってみせる! 私だって、頑張れるんだから!」
己を鼓舞し、少女は行動を再開する。光の盾で攻撃を防ぎ、目眩しで龍の行動を禁じる。
ソフィアは光魔法が得意なようで、光に関する魔法なら難なく使いこなせているようだ。
「こーんな可愛い女の子に負けてられないねぇ。さ、私達も行くよ!」
ソフィアの動きに続いてルノアとコクランが動き出す。
光で行動を制限し、放たれた火球には激流で相殺。土魔法によって足場をさらに崩すなど、様々な方法で龍の体力を消耗させる。
「俺だけ何も出来ねぇのかよ……」
未だ行動を起こせないリュウキ。火球の動きは直進するだけなので、避けることは難なく出来るようになったが、それまでだ。お荷物であることは変わらず、はっきり言うといない方がマシだ。
「それでもこのままいけば……」
数で圧倒し、龍を気絶させることが出来るであろう。ここまで凄まじい魔法を放ってきたのだ。もうすぐ倒れてもいいのだろうに。
「弱体化の鎖のお陰ですね。手足を封じ、さらには龍の特技も封じる。本来なら魔道士が二、三十人ほどはいて五分五分ですから。まぁ、あの二人が魔道士の中でも相当に実力が高いからということもありますが」
肩で息をしながら、フォルクがリュウキの元へと戻ってくる。話を聞く限り、弱体化の鎖というのは大層なアイテムのようだ。
魔道士二、三十人で五分五分。今いるのは回復魔法で回復を続けるウィル達と、フォルク、ルノア、コクランにソフィアにリュウキだ。たったこの人数で龍に勝っている。なるほど、やはり相当凄いアイテムだ。
「なら、やっぱりこのまま押し切れるんですよね?」
「いえ、油断はできません。見てもらって分かる通り、危ない面はありますし、実際攻撃を受けて回復に時間を割くことを余儀なくされたこともありましたから」
確かにそうだ。コクランもルノアもソフィアにもフォルクにも、捌ききれない負傷によって傷をつけられている。奇跡的か、それとも彼女らの戦闘力がある故か、致命的なダメージではない。回復さえすれば動けはするが、
「はっきり言うと私はかなり危うい状態です。リアラも同様。まだ余裕があるのはルノアとコクランでしょうか」
初めからずっと龍に対抗していたフォルク。このような経験が少ないのであろうソフィア。彼女らにはまだ頑張ってもらいたいが、このままいけば先にやられてしまうだろう。
「ならどうすれば……」
「龍は私達を殺す勢いで来てます。が、私達は龍を気絶、それか眠らせればいいのです。だからその分余裕があります。そうなるくらいの攻撃を……期待してますよ?」
「ええ、そん時はもちろん!」
言いながら、フォルクは大量の火球を放つ龍に突っ込んでいく。地を這うように、火球を滑るように、攻撃を掻い潜る。
流れる汗の量は尋常ではない。疲労や圧倒的熱量が眼前を通り過ぎるのだ。もう限界に近いはずなのに、フォルクはなおも動き続ける。
「本当にこの世界の人たちはバケモノじみてる……ってあぶなぁ!?」
流れ弾ーー流れ火球がリュウキの足元に着弾し、慌てて転がり込んで回避する。龍にとっての敵対象にリュウキも含まれているのだ。フォルクの言う通り、油断は絶対にできない。
リュウキは飛び退き、転がり、すり抜ける。今回だけで回避性能は格段に上がったのではないだろうか。今は頬に掠ったり、大腿部を燃やすこともない。
「って言ってさっきは喰らったからホント痛ぇけど!」
痛みに歯を食いしばって耐える。走ることで筋肉は酷使され、血がとめどなく流れ出す。皆の魔力を保持させるために、リュウキは自分から回復することを拒んだ。と言っても、その魔力の量は微小なものにしかならないだろうが。
「もう飽きちゃった」
「ーーはい!?」
ポツリとこぼすルノアにリュウキは愕然とする。欠伸をし、退屈そうに体を伸ばして、
「だから終わらせちゃうよ。ごめんね、手柄は独り占め!」
ルノアが笑いながら無数の水滴を作り出す。水滴は透明で、少し動けば見えなくなってしまう。だから、今リュウキの見ている量よりも多くあるのだろう。その量は……推測で百を超える。
「『アクア・アシュード』」
水滴が加速を伴い、龍に放たれる。土砂降りの雨の音が響き、次の瞬間、変化が起きる。
水滴が付着した瞬間、蒸発したような音を立てて龍の鱗が溶けだした。そのまま溶けた鱗の奥ーー筋肉や神経すらも溶かし、そこから血がぶちまけられる。
当てられた部分はどんなに硬くてもたちまち溶けだす。血肉がドロドロになった龍は、これ以上ないほどの嫌悪感を示して見せていた。
「ーーはい、おしまい」
龍の目の前に立ち、ルノアは口の端を持ち上げて一言告げた。
満足のいく動きも出来ないまま、ちっぽけな人間に翻弄された龍。自身の色と同じくらい赤い血をぶちまけられ、戦闘力の違いを見せつけられた龍。
だが、ここで終わるほど、龍は落ちぶれてはいない。
「ーーーー!!」
咆哮を上げ、龍は翼を広げる。
「なんっだ……あれ……」
リュウキが変化に気づく。これまでとは全く異なる変化を。
「ーーーーは」
龍の双眸がどす黒く染まる。影よりも、闇よりも黒い黒に。そして龍の全身がパキパキと音を立て始める。龍の鱗が尖りだし、分裂し、ナイフよりも鋭く。より狂気的なものへと変貌していく。
鱗が分裂しだすと、そこから流れ出していた血も止まる。溶けだした血肉はボトボトと不快感を与える音を立てながら落ちていき、そこからまた新しき肉が生え始める。血海は龍の熱によって蒸発し、落ちた肉すらも消え去る。
龍の全身が、戦う前と遜色ないーーいや、それ以上の狂気を伴った姿に変貌する。
龍の咆哮が、世界を揺るがした。
ーー揺るがした。




