伸びた前髪
前髪が伸びた。
目にかかるようになった前髪をつまんで考える。
長い髪に憧れて髪を伸ばし始めた。特に意味はない。
ずっと短かったから色々な髪型に結ばれた友達の長い髪を羨ましく思った。
ただそれだけ。
髪を伸ばし始めると床屋さんに行かなくなった。
前髪だけ切ってもらうのもなんだかなあと思ったからだ。
鬱陶しく目にかかる前髪はある日消失した。
いや、普通に切っただけだ。母が。
鋏を手にした母の前に座り、顎の下に広告用紙を広げただけのそれ。
一房前髪を手に取り、じょきりと鋏で切り取る。
その一房を基準にしてざくざくと前髪が切られていく。
ハラハラと落ちていく短い髪が広げた広告用紙の上で山になっていく。
もう少し、こっちも、なんてぶつぶつと独り言を言いながら鋏を動かす母。
じょきじょきと紙ではなく髪を切る為に使われた鋏の音が止み、ハラハラ落ちてきていた短い髪がなくなった。
目にかからなくなった前髪に終わったのかと母を見た。
大丈夫、可愛い!
ひきつった顔でわけのわからないことを力強く言う母。
その意味に気付くのは少し後、鏡の前に立った時。
髪というのは一ヶ月で一センチメートルほど伸びるらしい。
髪の伸び具合でも月日の流れを知ろうなんて人間はいろいろ考えるものだ。
元はお菓子が入っていた缶の中、鉛筆やボールペンと一緒に立っている鋏を引き抜く。
長くなった前髪を一房掴んで鋏をあてた。
じょきり。
手の中に切り落とされた髪を近くにあった広告用紙の上に落とす。
じょきじょき。ハラハラ。
切られた髪が広告用紙の上で山になる。
紙ではなく髪を切った鋏を缶へと戻す。
髪山を広告用紙で包み込み、ゴミ箱に放り込む。
鏡の前には立たない。その必要はない。
目にかからなくなった前髪の代わりにひきつった顔で笑った母を見る。
大丈夫、可愛い!
鮮やかに蘇り耳を打つ力強い母の声。
ふっと微笑んで、黒い服を脱いだ。