第二次世界大戦勃発!
1939年9月1日ドイツ・ポーランド国境
その日、夜明けとともにやってきたものは、機械的なエンジン音と、車体に鉤十字の書かれた戦車だった。
この日を境に、ヨーロッパで点火された戦火は、世界各地に飛び火することになる。
さらに、9月17日にはソビエト連邦もポーランドへの侵攻を開始、大方の予想を反してヨーロッパの名だたる大国の一つであったポーランドは、わずか2ヶ月であえなくその名を世界地図上から消してしまう。
戦火が飛び火したのは日本とて例外ではなく、それは日独伊三国同盟によってさらに加速されることになる。
1941年11月28日東京
駐日アメリカ大使が突きつけてきた「ハル・ノート」それは、アメリカからの最後通牒に他ならなかった。
この頃には、日米の対立は深刻なものとなっており、開戦も近いといわれていた。
そして、このハル・ノートによって日米の間の溝はさらに深まり、この3日後の12月1日の御前会議によって開戦が決定される。
そして世界は、数年にわたる戦乱の渦に巻き込まれていくことになる。
1941年12月8日午前0時ワシントン・D・C
駐米日本大使が宣戦布告を行い太平洋戦争が幕を開けた。
そして宣戦布告から約3時間後、ハワイ真珠湾の米太平洋艦隊司令部に開戦の報せが飛んだ。
太平洋艦隊司令長官ジェームズ・O・リチャードソン大将は、直ちに出撃準備を開始させた。
そして「オペレーション・クロスパシフィック」(太平洋横断作戦)を発動、麾下の第1任務部隊(戦艦部隊)、第2任務部隊(巡洋戦艦部隊)、第3任務部隊(空母部隊)に出撃を命じる。
自身も、第1任務部隊旗艦戦艦サウスダコタに座乗し、極東の島国の三流海軍を叩き潰すべく、司令長官直々に前線へと赴いていた。
「極東の三流海軍など恐るるに足らない」
「俺たちは、パクス・アメリカーナを実現して西海岸に凱旋する」
「むしろ、我々の大艦隊に恐れをなして出てこないのではないか」
そのような空気が参謀達のなかで流れていた。
そんな中一人の参謀だけが違う考えを持っていた。
チャールズ・ホレイショー・マクモリス大佐だった。
「マクモリス大佐。君は、参謀の大半が言うように怖気づいて逃げ出すと思うかね。ジャップのでかたについて君の意見を聞かせて欲しいのだが」
リチャードソン大将が聞いた。
「私は、そうは思いません。ジャップは、我が国からの嫌がらせとも取れる要求に最後まで妥協を続け、とうとう開戦に踏み切った。我が国とジャップの国力の差を見れば、長期戦に陥れば、ジャップが負けるというのは軍人でなくともわかります。だからこそ、ジャップは短期決戦で一気にけりをつけようとするでしょう。となれば、緒戦から全力でぶつかってくる他ない。ジャップは、逃げも隠れもしません。確実に出てきます」
彼は、そう言い切った。
「そうか...」
とリチャードソン大将は、少し考えると参謀達に向き直った。
「諸君!我々は、全力で奴らにぶつかり、その実力を遺憾なく発揮しようではないか!世界の覇者は合衆国なのだと、極東の島国などにできることは限られていると、そう教えてやろうではないか!」
彼の言葉でその場の雰囲気が、一瞬にして変わった。
今までの、余裕が溢れ、緊張感が緩みきっていた空気が吹き飛び、代わりに士気が溢れ始め、緊張感が心地よく感じられる。
そんな空気になった。
第一次世界大戦以来、太平洋を挟んで少しずつ対立を深め、互いに軍事力を拡張させ続けて来た二つの大国が、ついに激突するのであった。
果たして、その第一ラウンドを制するのはどちらなのか、それは分からない。
だが数多くの人命と、鋼鉄の破片が吹き飛ぶことだけは確かだろう。