太平洋のターニングポイント 3
1942年4月9日エスピリッツサント島沖
輸送船団からの敵戦艦部隊発見の報告は、攻略艦隊司令部を混乱の渦に突き落とした。
焦り、後悔、動揺、そう行った感情が艦橋を満たし、彼らの対応は後手に回った。
攻略艦隊が戦場に到着したとき、輸送船団は壊滅状態にあった。
17隻いた輸送船団は、9隻にまで減っていた。
戦艦5隻を擁する艦隊があげた戦果としては、少ないかも知れない。
その理由としては、護衛艦隊の奮戦が挙げられよう。
輸送船団を護衛していた重巡3隻、軽巡2隻、駆逐艦8隻は持てる限りの力を振り絞って戦い、敵重巡2隻、軽巡3隻を撃沈破するなど善戦した。
だが、ある程度の装甲を持った重巡や軽巡と言えどもそれが力を発揮するのは巡洋艦同士の戦いのみである。
それに予定されていない大口径弾が放り込まれたらどうなるか、それは明白であった。
米戦艦は、日本巡洋艦部隊を第一の脅威対象と認め、その主砲を向けたのである。
*
軽巡「揖斐」の右舷前方に水柱が立ち上り、水中を巨大な衝撃が伝わってくる。
艦橋に詰めていた「揖斐」の首脳部は、その大半がよろめきかけた。
その表情は一様に固く、どこか悲壮感を感じさせるものだった。
軽巡「揖斐」は、六六艦隊計画に伴い建造された軽巡で、排水量7,300トンの艦体に駿河型や扶桑型の副砲と同じ三連装15センチ砲を4基12門、他に25ミリ三連装機銃6基、63センチ四連装魚雷発射管1基を搭載し、最新鋭駆逐艦の島風型にも採用された高圧のロ号艦本式缶4基10万馬力がこれを36ノットの快速で走らせる。
装甲も砲戦距離が15,000m程度なら20センチ砲弾にも耐えられる計算であった。
着弾の度に近づいてくる水柱が、遂に「揖斐」の両舷に立ち上った。
「夾叉されました!」
「速力最大!面舵一杯!」
軽巡が戦艦と撃ち合ったところで結果など知れている。
ならば敵戦艦に一矢報いるために、死中に活を求めるべきだ。
そう考えた「揖斐」艦長柳本大佐は、敵戦艦に肉薄し、至近距離から艦中央に備え付けられた魚雷発射管で雷撃を敢行すべく舵を右に切った。
舵が効き始め、7,000トンを超える艦体が右に旋回を始めた頃、見張り員から報告が入った。
「敵戦艦、斉射に移行しました!」
「了解!」
直後、敵の大口径弾が飛来したものの、その全てが、「揖斐」の後方に着弾した。
「水雷長、距離4,000で魚雷発射だ」
「はっ!」
「見張り員、敵戦艦との距離は?」
「距離、九〇(9,000m)!」
「後、5,000か」
「敵戦艦発砲!斉射です!」
「艦長!蛇行の許可を!」
「よし!蛇行しろ!航海長、頼むぞ」
「はっ!お任せを!」
9,000mという距離は、昼間砲戦として極めて至近と言えた。
運に恵まれていたのか、はたまた蛇行が功を奏したのか、何れにしても敵戦艦の第二射で直撃弾が生じることは無かった。
敵戦艦が再装填を行なっている間の約40秒という時間を「揖斐」は、有効に活用した。
「距離、四〇(4,000m)!」
「取舵一杯!回頭終わり次第、雷撃始め!」
「回頭完了しました!」
「雷撃始め!撃てっ!」
わずか四射線では心許ない、ということで「揖斐」には魚雷の再装填装置が備え付けられていた。
魚雷の再装填が完了し、再度雷撃を敢行しようとしたとき、それは起こった。
「揖斐」に降り注いでいた敵戦艦の高角砲弾の一発が、魚雷発射管を直撃。
魚雷を巻き込んで誘爆したのである。
刹那、軽巡「揖斐」を衝撃が襲い、艦中央部に空けられた破口から怒濤のごとく海水が浸入してきた。
それに追い討ちをかけるようにして敵戦艦の主砲弾が「揖斐」に到達。
艦尾の第三、第四砲塔に直撃弾が生じた。
軽巡の装甲が戦艦砲による至近距離からの砲撃に耐えられる道理は無かった。
主砲弾火薬庫の誘爆によって艦尾を捩じ切られた「揖斐」は、急速に傾いていった。
薄れゆく意識の中、柳本艦長は歪む視界の端に決定的な瞬間をありありと捉えた。
敵戦艦の舷側に2本の巨大な水柱が立ち上る決定的瞬間を―――
*
結果から言って、米艦隊は悪手を打ったと言えよう。
日本巡洋艦部隊は、確かに脅威対象ではあった。
しかし、巡洋艦に屠れるのは、駆逐艦や巡洋艦のみであり、戦艦の装甲を撃ち抜くことはできない。
それを鑑みれば先に輸送船団を屠り、それから巡洋艦部隊を攻撃するべきであった。
しかし、巡洋艦部隊を先に攻撃した結果、巡洋艦部隊の思わぬ奮闘によって彼ら米戦艦部隊は、多大な時間を浪費してしまった。
この時間の浪費は痛かった。
輸送船団への攻撃はお座なりになり、その後に到着した攻略部隊の主力との決戦に引き込まれ、彼らは輸送船団を取り逃がしてしまったのだから。
その上、軽巡「揖斐」を相手取っていた巡洋戦艦「サラトガ」が酸素魚雷2本の直撃を受け、大破するというおまけまでついた。
それでも、日本艦隊主力の戦艦部隊到着に慌てることなく態勢を立て直すことに成功したことは賞賛に値するといえた。
*
「前方に敵戦艦部隊を視認!間違いありません。エニウェトク環礁沖で取り逃がした米戦艦部隊の生き残りですっ!」
「見張り員より報告!敵艦隊に型式不明の新鋭戦艦を確認!」
「未知の新鋭艦か。全艦葬り去ってやる。主砲測的始めっ!」
「敵艦発砲!目標は本艦です!」
敵艦の艦上に閃光が煌めき、轟音とともに敵弾が飛来する。
そして、直撃弾が生じた―――
*
敵戦艦が吹き飛ぶ様子は第一任務部隊旗艦戦艦「メイン」からでもはっきりと確認できた。
「敵一番艦、轟沈!」
「敵は、スルガ・タイプですな。六六艦隊最強の戦艦です」
「主砲塔の天蓋に直撃したのだろう。18インチ砲に耐えられる装甲を纏っていても、あそこはどうしても薄くなるからな」
「その通りです。それにあの艦は、敵艦隊の旗艦だったようです。敵艦隊は、目に見えて統制が取れなくなっています」
「敵艦隊が態勢を立て直す前に各個撃破するんだ。第一射で直撃を与え、撃沈に追い込んだのは多分に運の要素が強い。それに敵艦隊は、大破したサラトガを狙ってくるぞ」
その通りだった。
早くも「サラトガ」の周囲を水柱が囲み始めていた。
「目標、敵二番艦。主砲、ファイア!」
前部に2基、後部に1基にある50口径16インチ砲9門が火を噴いた。
目標は、敵二番艦。
スルガ・タイプとみられる帝国海軍の主力戦艦だった。
*
《 エスピリッツサント沖海戦戦闘報告書
戦艦「近江」艦長 帝国海軍大佐西田正雄
本海戦の敗戦の原因。その一つは、主砲塔天蓋の装甲の薄さである。戦艦「駿河」轟沈も主砲塔天蓋を打ち破られ、主砲弾火薬庫に敵弾が命中したことにある。
我が艦隊に慢心があったことも否めない。が、それは些末なことであった。慢心があったとて我が艦の砲術科は堂々たる戦果を得たと確信している。現に、レキシントン級とみられる敵巡洋戦艦を屠ったのだから。
それに、どうやら米国は遠距離からでも砲弾を命中させ得る装置を開発したようである。敵艦隊は、あくまで25,000から30,000程度での砲戦にこだわっていた。その距離でなお、数々の直撃弾を得、艦に深刻な損害をもたらした。本艦とて例外ではない。本艦の致命傷となったのは敵新鋭戦艦の放った16インチ砲弾が急角度で落下し、煙突を直撃した一撃である。遠距離砲戦においては我らが砲術科の精鋭と言えども直撃を与えるのは至難の技である。これからは帝国海軍の戦艦特有の健脚を活かし、中距離砲戦で決着を着けるのが至当と小官は断言する。
現在時刻は一七三〇、全艦に火の手が周り、すでに総員退去の命令が出ている。小官は、戦艦「近江」喪失の責任を取り、艦と命運を共にする所存である。帝国海軍の武運の長く久しいことを。帝国海軍万歳》
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主力艦隊同士の戦闘における米戦艦部隊の勝利によって、日本艦隊はその戦力を大幅に減じることとなった。
アメリカは、エスピリッツサント島喪失と引き換えに帝国海軍の主力戦艦を撃攘し、帝国海軍の誇る六六艦隊の威力を半減させるに成功した。
後世の戦史家達は、このエスピリッツサント島沖海戦を“太平洋のターニングポイント”と呼んだ。
これより先、帝国海軍は長く苦しい戦いを強いられることとなる。
この海戦の結果、帝国海軍は戦艦「駿河」、「近江」を含む5隻を喪失し、巡洋艦6隻、駆逐艦10隻を撃沈破されたのだ。
これで攻勢に出ることの方が難しかった———




