変動する世界
1905年9月5日満州
近代史を語るには外せない一日となったこの日、極東ロシア軍は帝国陸軍に降伏した。
そしてそれから約一カ月後の10月10日、満州のハルビンにおいてハルビン条約が締結される。
大日本帝国は、日清戦争で得た賠償金の約三倍にあたる10億2600万円と樺太全島、南満州鉄道の利権、遼東半島の租借権の譲渡、沿海州の漁業権を手に入れた。
中でも帝国海軍にとってもっとも大きかったのは、樺太全島、特に樺太油田を手に入れたことだった。
満州からロシアを追い出したことで、満州は事実上日本の勢力圏となったのである。
1921年11月11日ワシントン
この日、世界に海軍の休日が訪れることはなかった。
第一次世界大戦後激化する建艦競争に遅れを見せていた大英帝国の働きかけによって、アメリカ大統領ウォーレン・G・ハーディングが提案したワシントン海軍軍縮条約は、不発に終わったのである。
アメリカ合衆国と大英帝国は、日露戦争以来拡張を続け、今や世界屈指の海軍戦力を持つ日本に、主力艦対米英6割を押し付け抑えようと目論んだ。
しかし、四カ国条約の締結によって日英同盟を破棄させようと目論んだアメリカ合衆国であったが、アメリカが国連に参加していないことを逆手に取った日本がアメリカの国連への参加を迫ると、アメリカ全権大使の権限ではどうにもならなくなりワシントン会議からの撤退を表明した。
さらにアメリカの撤退によって日本も同会議からの撤退を表明、これ以上の続行は不可能と判断したイギリスは、ワシントン会議の中止を決定したのであった。
1923年9月1日11時58分東京
盛大な地響きと共に訪れた巨大な揺れが、日本の心臓部である帝都を襲った。
霞ヶ関の官庁街、日比谷の海軍軍令部、陸軍参謀本部といった帝国の政治、軍事の中枢もまた被害を受けた。
それは、横須賀の海軍工廠において進水を待っていた天城型巡洋戦艦一番艦天城もまた例外ではないことを示していた。
帝国海軍の威信をかけて建造されていた、八八艦隊計画の嚆矢である長門型戦艦に続く第二弾であった30ノットの高速を発揮し、41センチ砲10門という重武装をもつ高速戦艦は建造台から転落し、竜骨が真っ二つに折れてその生涯を閉じることになる。
帝国政府は、関東大震災の復興支援や各交通網の再整備による莫大な資金を調達するため八八艦隊計画の中止を決定。
現在建造の終わっている長門型戦艦を除く14隻の巡戦、戦艦は陽の目を見ることがなくなったのである。
しかしそんな日本を尻目に、アメリカではある建艦計画が蠢動していた。
ダニエルズ・プランである。
ご存知の方も多いかと思うが、ここにその詳細を記しておく。
アメリカ合衆国 ダニエルズ・プラン
コロラド級戦艦
コロラド
メリーランド
ワシントン
ウェスト・ヴァージニア
サウスダコタ級戦艦
サウスダコタ
インディアナ
モンタナ
ノース・カロライナ
アイオワ
マサチューセッツ
レキシントン級巡洋戦艦
レキシントン
コンステレーション
サラトガ
レンジャー
コンスティテューション
ユナイテッド・ステーツ
以上がダニエルズ・プランの全てであり、これらの巡戦、戦艦の全てが16インチ砲(41センチ砲)搭載戦艦であった。
性能諸元については、後々記載する。
帝国海軍は、この米海軍の建艦計画に焦りを覚えたものの、政府や国民が関東大震災からの復興を望んでいる以上何も言えなかった。
そして、復興の終わるその日を虎視眈々と待つのであった。




